「松本泰」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
松本恵子 |
|||
39行目: | 39行目: | ||
== 経歴 == |
== 経歴 == |
||
[[東京]][[芝区]]に生まれる<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%9D%BE%E6%9C%AC+%E6%B3%B0-1655444 松本泰] 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」コトバンク</ref>。[[慶應義塾大学]]文学部卒業。学生時代の[[1911年]]に、少年を主人公にした自伝的小説「樹陰」を『[[三田文学]]』に発表し、『[[スバル (文芸雑誌)|スバル]]』や『雄弁』などにも同傾向の作品を執筆した。これらはのちに最初の作品集『天鵞絨』(籾山書店、1913年3月)にまとめられた。同書刊行の[[1913年]]に[[イギリス]]へ遊学、[[1919年]]に帰国した。帰国後は、[[ |
[[東京]][[芝区]]に生まれる<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%9D%BE%E6%9C%AC+%E6%B3%B0-1655444 松本泰] 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」コトバンク</ref>。[[慶應義塾大学]]文学部卒業。学生時代の[[1911年]]に、少年を主人公にした自伝的小説「樹陰」を『[[三田文学]]』に発表し、『[[スバル (文芸雑誌)|スバル]]』や『雄弁』などにも同傾向の作品を執筆した。これらはのちに最初の作品集『天鵞絨』(籾山書店、1913年3月)にまとめられた。同書刊行の[[1913年]]に[[イギリス]]へ遊学、[[1919年]]に帰国した。帰国後は、[[髙島屋]]に勤務しながら、『三田文学』などを舞台に、英国での経験を材料にした創作を発表した。 |
||
みずから奎運社を興して『秘密探偵雑誌』(のち『探偵文藝』と改題)を発刊し、探偵小説の創作や翻訳に活躍した。とくに、「[[犯罪#犯罪とフィクション|犯罪小説]]」と呼ばれる分野での先駆者として知られている。 |
みずから奎運社を興して『秘密探偵雑誌』(のち『探偵文藝』と改題)を発刊し、探偵小説の創作や翻訳に活躍した。とくに、「[[犯罪#犯罪とフィクション|犯罪小説]]」と呼ばれる分野での先駆者として知られている。 |
2020年6月15日 (月) 21:41時点における版
松本 泰 | |
---|---|
誕生 |
松本 泰三 1887年2月22日 東京芝区 |
死没 | 1939年4月19日(52歳没) |
職業 | 小説家、翻訳家 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 慶應義塾大学文学部 |
活動期間 | 1911年 - 1939年 |
文学活動 |
三田文学 犯罪小説 |
代表作 |
『清風荘事件』 『三つの指紋』 |
デビュー作 | 『樹陰』(1911年) |
配偶者 | 松本恵子 |
ウィキポータル 文学 |
松本 泰(まつもと たい、1887年2月22日 - 1939年4月19日)は、日本の小説家、推理作家、翻訳家である。本名は松本 泰三(まつもと たいぞう)。
経歴
東京芝区に生まれる[1]。慶應義塾大学文学部卒業。学生時代の1911年に、少年を主人公にした自伝的小説「樹陰」を『三田文学』に発表し、『スバル』や『雄弁』などにも同傾向の作品を執筆した。これらはのちに最初の作品集『天鵞絨』(籾山書店、1913年3月)にまとめられた。同書刊行の1913年にイギリスへ遊学、1919年に帰国した。帰国後は、髙島屋に勤務しながら、『三田文学』などを舞台に、英国での経験を材料にした創作を発表した。
みずから奎運社を興して『秘密探偵雑誌』(のち『探偵文藝』と改題)を発刊し、探偵小説の創作や翻訳に活躍した。とくに、「犯罪小説」と呼ばれる分野での先駆者として知られている。
探偵作家の牙城であった雑誌『新青年』には1篇しか作品を発表していない。そのため、作風や探偵小説に対する考え方に関しても、いわゆる『新青年』系統の作家たちとは一線を画する存在であった。
翻訳家としても『ノートルダムの傴僂男』などの訳がある。
1939年、腸癌により死去。
作品リスト
- 松本泰探偵小説選 1 (『論創ミステリ叢書』4、論創社、2004年2月) ISBN 4-8460-0409-0
- 松本泰探偵小説選 2 (『論創ミステリ叢書』5、論創社、2004年3月) ISBN 4-8460-0411-2