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[[1960年]] [[武蔵野美術大学|武蔵野美術学校]]在学中に「日宣美」展で特賞受賞。
[[1960年]] [[武蔵野美術大学|武蔵野美術学校]]在学中に「日宣美」展で特賞受賞。


[[1961年]] [[島屋]]の宣伝部入社。
[[1961年]] [[島屋]]の宣伝部入社。


[[1963年]] 高島屋退社。フリーランスとなり、劇団[[黒色テント]]、[[水牛楽団]]などで独自のデザインを実践、多数のポスター、舞台美術を手がける。
[[1963年]] 高島屋退社。フリーランスとなり、劇団[[黒色テント]]、[[水牛楽団]]などで独自のデザインを実践、多数のポスター、舞台美術を手がける。

2020年6月15日 (月) 22:05時点における版

平野 甲賀(ひらの こうが、1938年 - )は、日本のブックデザイナー

妻の平野公子はスタジオイワト・プロデューサー。長男は写真家の平野太呂

来歴

1938年 朝鮮・京城(現:ソウル)生まれ。

1945年 終戦を迎え、静岡に移住。

1957年 武蔵野美術学校(現:武蔵野美術大学)デザイン学科入学。

1960年 武蔵野美術学校在学中に「日宣美」展で特賞受賞。

1961年 髙島屋の宣伝部入社。

1963年 高島屋退社。フリーランスとなり、劇団黒色テント水牛楽団などで独自のデザインを実践、多数のポスター、舞台美術を手がける。

1964年以降、晶文社のほぼ全ての本の装幀に携わる。また、サイをあしらった同社の書籍のロゴマークも彼の手による。

1984年には木下順二著の『本郷』(講談社、1983年)の装幀で講談社出版文化賞・ブックデザイン賞を受賞。現在まで6,000以上の本の装幀を手がける。

2013年、「平野甲賀の仕事 1964−2013 展」が武蔵野美術大学美術館で開催された[1]

著書

  • 『平野甲賀 装丁の本』(リブロポート、1985年)
  • 『平野甲賀〔装丁〕術・好きな本のかたち』(晶文社、1986年)
  • 『文字の力』(晶文社、1994年)
  • 『もじを描く』(編集グループSURE、2006年)
  • 『僕の描き文字』(みすず書房、2007年)
  • 『ブックデザインの構想 チェコのイラストレーションから、チラシ・描き文字まで』 (黒川創共著、編集グループSURE、2008年)

脚注

外部リンク