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「ジョエル・ロブション」の版間の差分

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**5月: パリ・ロワイヤルホテルに「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」開店。現役に復帰する。
**5月: パリ・ロワイヤルホテルに「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」開店。現役に復帰する。
*[[2004年]]
*[[2004年]]
**4月: 東京・日本橋[[島屋]]に「ル・カフェ・ドゥ・ジョエル・ロブション(LE CAFE de Joel Robuchon)」開店。
**4月: 東京・日本橋[[島屋]]に「ル・カフェ・ドゥ・ジョエル・ロブション(LE CAFE de Joel Robuchon)」開店。
**12月: 東京・恵比寿に「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」をリニューアルオープン。
**12月: 東京・恵比寿に「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」をリニューアルオープン。
*[[2005年]]9月: ラスベガス MGM Grand Hotel に「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」(ラスベガス版で二つ星)「ジョエル・ロブション」(ラスベガス版で三ツ星)店。
*[[2005年]]9月: ラスベガス MGM Grand Hotel に「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」(ラスベガス版で二つ星)「ジョエル・ロブション」(ラスベガス版で三ツ星)店。

2020年6月15日 (月) 22:44時点における版

Joël Robuchon
2010年9月
生誕 1945年4月7日
ポワチエ, フランス
死没 (2018-08-06) 2018年8月6日(73歳没)
公式サイト www.joel-robuchon.net
料理人歴

ジョエル・ロブション: Joël Robuchon, 1945年4月7日 - 2018年8月6日[1])はフランスシェフ。世界で最も多くミシュランの星を持つ有名シェフとして知られている[1][2]ジョエル・ロビュションの表記もみられる[3]。2020年4月現在、10カ国12都市(パリ、東京、ロンドン、モナコ、上海、香港、マカオ、台北、ニューヨーク、マイアミ、ラスベガス、モントリオール)に同氏の名前を冠した店舗が存在しており、合計33個のミシュランの星を獲得している。

人物・生涯

ポワチエ出身。15歳で、ホテル「ルレ・ド・ポワチエ」の見習いシェフとしてキャリアをスタートさせた。その後セーヌ川の船上シェフを務めた[4]。28歳で「コンコルド・ラファエットホテル」の総料理長に就任、1976年にフランスの国家最優秀職人章(Meilleur Ouvrier de France, 略称MOF)の資格を取得。同年来日し、レストラン「ラ・ベル・エポック」で働く[5]1981年には独立してレストラン「ジャマン」を開店、後に店名を「ジョエル・ロブション」へと改め、現在に至る。ロブションは、レストランガイド「ゴー・ミヨ」に「世紀のシェフ」として紹介された事でも知られている。1990年代以降はフランス国外とりわけ日本での活動が豊富で、日本のフレンチ業界に与えた影響も大きく、日本のメディアでは「フレンチの神様」「フレンチの皇帝」と称されることも多い。

1996年に現役を退くも、その味を愛してやまない人達からの熱烈な声に後押しされる形で2003年に料理人として現役復帰する。

2020年現在世界10カ国に店舗を持ち、ミシュランガイドにて総数33個の星を獲得しており、「世界一星を持つシェフ」としても知られている。 日本国内では東京に9つの店舗を持ち、そのうちの「ガストロノミー ジョエル・ロブション(恵比寿ガーデンプレイス)」が三つ星、「ラ ターブル ドゥ ジョエル・ロブション(恵比寿ガーデンプレイス)」が二つ星、「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション(六本木ヒルズ)」が二つ星を獲得している。

日本国内でのロブション・グループの経営母体は、ピザーラの親会社としても知られる株式会社フォーシーズが受け持っている。 世界的には、東京、香港、マカオ、シンガポールとミシュラン3つ星レストラン4軒の総料理長で、アラン・デュカスの3軒を超え世界最多3つ星シェフであったが、シンガポール店の閉店により、アラン・デュカスと並ぶ3軒の世界最多タイの3つ星シェフとなっていた。

ドルドーニュ県でレストランを夫婦で経営する娘・ソフィーと[5]福岡在住の日本女性との息子・ルイ(龍依)・ロブション・安部がいる[6]。ルイは日仏産品の輸出入会社を経営している[7]

略年譜

恵比寿ガーデンプレイスの「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」
  • 1945年4月7日: ヴィエンヌ県ポワティエ生まれ。
  • 1960年: ホテル・レストラン「ルレ・ド・ポワティエ(Relais de Poitiers)」の見習いになる(15歳)。
  • 1966年: 「コンパニョン・ド・トゥール・ド・フランス(Compagnon du Tour de France): フランス遍歴同業者組合」加入。
  • 1974年: 「オテル コンコルド・ラ・ファイエット(Hotel Concorde La Fayette)」総料理長就任。
  • 1976年ポール・ボキューズ(Paul Bocuse)の招きで初来日し、日本のシンプルな盛り付けと重くないソースに影響を受ける。
  • 1978年: 「オテル ニッコー・ド・パリ(Hotel Nikko de Paris): レ・セレブリテ(Les Celebrites)」料理部門長就任。
  • 1981年: 「レ・セレブリテ」がミシュラン2つ星になる。
  • 1982年3月: ミシュラン1つ星。
  • 1983年: ミシュラン2つ星。
  • 1984年: ミシュラン3つ星を史上最短で獲得。
  • 1994年
    • 1月: 「ジャマン」を移転・拡大し、店名も「ジョエル・ロブション」に改める。
    • 10月: 東京・恵比寿シャトーレストラン「タイユバン・ロブション(Taillevent Robuchon)」プロデュース。
  • 1996年
    • 7月: 「最高の状態でやめたい」と言って「ジョエル・ロブション(Joel Robuchon)」を閉店、現役を引退。以降はレストランのプロデュース業と後進の育成に専念する。彼は以前より、「料理人は50歳を過ぎると腕が衰えてくる。だから、自分は50歳になったら現役を引退するつもりだ」と宣言しており、それを実行する形となった。
    • 10月: 「ラストール」顧問就任。自身のプロデュース・出演によるテレビ番組"CUISINEZ COMME UN GRAND CHEF"放映開始。
  • 2001年2月: マカオ・リスボアホテル「Robuchon a Galera」プロデュース。
  • 2003年
    • 4月: 東京・六本木ヒルズに「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション(L'ATELIER de Joel Robuchon)」開店。
    • 5月: パリ・ロワイヤルホテルに「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」開店。現役に復帰する。
  • 2004年
    • 4月: 東京・日本橋髙島屋に「ル・カフェ・ドゥ・ジョエル・ロブション(LE CAFE de Joel Robuchon)」開店。
    • 12月: 東京・恵比寿に「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」をリニューアルオープン。
  • 2005年9月: ラスベガス MGM Grand Hotel に「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」(ラスベガス版で二つ星)「ジョエル・ロブション」(ラスベガス版で三ツ星)店。
  • 2006年
    • 8月: Four Seasons Hotel New York に「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」開店。現在、閉店。
    • 9月: ロンドンに「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」開店。現在、1つ星。
    • 11月: 香港に「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」開店。現在、3つ星。ラトリエの3つ星は、世界でここ1軒だけ。
  • 2007年
    • 5月30日: 松坂屋名古屋本店に、レストラン「ラ・ターブル・ドゥ・ジョエル・ロブション」(LA TABLE de Joel Robuchon)開店。2011年6月閉店。
    • 9月26日: 松坂屋名古屋本店に、ブランジュリー&パティスリー「ラ・ブティック・ドゥ・ジョエル・ロブション 名古屋店」(LA BOUTIQUE de Joel Robuchon Nagoya)開店。2011年6月閉店。
  • 2018年
    • 8月6日: スイスのジュネーブで死去した[9][2]。73歳没[2]がんを患っていたという[2]

料理のスタイル

ジャン・ドラベーヌを生涯の師と呼び、アラン・シャベル、シャルル・バリエからも強い影響を受けて、ヌーベルキュイジーヌの新たな料理法に取り組むようになった。 ジョルジュ・プラリュから真空調理法を紹介され、その後、電車内の高級レストランの調理法として採用することになった。それ以来、真空調理法を評価して研究を行っている。分子ガストロノミーに対しては批判的である。

叙勲・受賞歴

他多数

著作

出典

  1. ^ a b 世界的シェフ、ロブション氏死去”. 共同通信社 (2018年8月6日). 2018年8月6日閲覧。
  2. ^ a b c d ジョエル・ロブション氏死去=「フランス料理の神様」”. 時事通信社 (2018年8月6日). 2018年8月12日閲覧。
  3. ^ NCID BA3112425X
  4. ^ ‘It was harder than military service’ – French chef on working for Joël RobuchonSouth Chine Morning Post, 27 Apr 2018
  5. ^ a b Mort de Joël Robuchon : qui sont ses enfants, Sophie et Louis Robuchon, tous les deux passionnés de cuisine ?Femme Actuelle, le 6 août 2018
  6. ^ ジョエル・ロブション2世であるルイ・ロブションが厳選する“とっておきの1本”が勢揃いオールドヴィンテージ/日本初上陸ワイン専門サイト「LR SELECTION」リニューアルオープン!PR TIMES, 2015年6月16日
  7. ^ ルイ・ロブション・安部レコール・デュ・ヴァン
  8. ^ Piano ma non solo, ジャン=ピエール・ティオレ, Anagramme Ed., 2012, 111
  9. ^ フランス料理のスター、ロブション氏死去 ミシュラン星30以上”. BBCニュース (2018年8月7日). 2019年12月15日閲覧。

関連項目

外部リンク