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大学卒業後、最初は[[三井物産]]に入社、16年間勤務した。1944年、日本生命の取締役として転身した。株式会社であった日本生命が相互会社として1947年に再出発するに当たり専務となり、[[1948年]]、44歳の時、5代目社長に就任。[[1982年]]まで35年間にわたり社長を務めた。社長時代の[[1974年]][[11月3日]]、[[勲一等]][[瑞宝章]]受章。生保業界の重鎮とも呼ばれ、[[1976年]]に、[[オハイオ州立大学]]内にある保険殿堂入りを果たした。また、[[浅利慶太]]や[[石原慎太郎]]のスポンサーとなり、[[日生劇場]]の生みの親でもある。 |
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1983年から1996年まで、[[松下幸之助]]の後任として伊勢神宮崇敬会第4代会長<ref>[https://iseshima.keizai.biz/phone/headline.php?id=2829 「伊勢神宮崇敬会会長にパナ副会長・松下正幸さん 松下幸之助は第3代会長」][[伊勢志摩経済新聞]]2017年07月07日</ref>。その他には、朝日放送{{efn|会社法人としては現在の[[朝日放送グループホールディングス]]。放送局としては現在の[[朝日放送テレビ]]・[[朝日放送ラジオ]]。}}、[[近畿日本鉄道]]、[[ |
1983年から1996年まで、[[松下幸之助]]の後任として伊勢神宮崇敬会第4代会長<ref>[https://iseshima.keizai.biz/phone/headline.php?id=2829 「伊勢神宮崇敬会会長にパナ副会長・松下正幸さん 松下幸之助は第3代会長」][[伊勢志摩経済新聞]]2017年07月07日</ref>。その他には、朝日放送{{efn|会社法人としては現在の[[朝日放送グループホールディングス]]。放送局としては現在の[[朝日放送テレビ]]・[[朝日放送ラジオ]]。}}、[[近畿日本鉄道]]、[[髙島屋]]などの取締役をそれぞれ務めた。 |
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2020年6月15日 (月) 23:35時点における版
弘世 現(ひろせ げん、1904年5月21日 - 1996年1月10日)は、日本の実業家、日本生命社長。同社の「中興の祖」と呼ばれた弘世助太郎の娘婿。娘の準子はサントリー名誉会長・鳥井道夫の妻で、孫の夫はパナソニック副会長・松下正幸。
人物・来歴
成瀬隆蔵の六男として、東京市麴町区(現・東京都千代田区)[1]に生まれる。成瀬家は二条関白藤原良基の末裔で、尾張犬山城の城主だった成瀬隼人正を先祖とする門閥である。隆蔵の長男の成瀬達は日本生命4代目社長、三男の成瀬雄吾は第一火災海上社長を務めた。
現は初等科から高等科まで学習院に学び、1928年東京帝国大学経済学部卒業。卒業と同時に弘世家の婿養子となる。弘世家は嵯峨源氏の流れを汲むとされており、旧彦根藩の御用商人であった。
大学卒業後、最初は三井物産に入社、16年間勤務した。1944年、日本生命の取締役として転身した。株式会社であった日本生命が相互会社として1947年に再出発するに当たり専務となり、1948年、44歳の時、5代目社長に就任。1982年まで35年間にわたり社長を務めた。社長時代の1974年11月3日、勲一等瑞宝章受章。生保業界の重鎮とも呼ばれ、1976年に、オハイオ州立大学内にある保険殿堂入りを果たした。また、浅利慶太や石原慎太郎のスポンサーとなり、日生劇場の生みの親でもある。
1983年から1996年まで、松下幸之助の後任として伊勢神宮崇敬会第4代会長[2]。その他には、朝日放送[注釈 1]、近畿日本鉄道、髙島屋などの取締役をそれぞれ務めた。
1996年1月10日、死去。享年91歲。
家族
- 妻:芳子 - 弘世助太郎の三女
- 子
- 孫
著書
- 「私の生命保険昭和史」東洋経済新報社 ほか
外部リンク
- ザ・ガーデン・プレイス・ソシュウエン 1934年に建てられた弘世家(弘世助三郎)の別邸[3]。1945年に占領軍の接収を心配した弘世現が中国人貿易商の黄萬居に売却し[4]、中華料理店「蘇州園」として使われたのち、1995年より結婚式場。
脚注
注釈
- ^ 会社法人としては現在の朝日放送グループホールディングス。放送局としては現在の朝日放送テレビ・朝日放送ラジオ。
出典
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