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===現代ユニコーンズ時代===
===現代ユニコーンズ時代===
現代在籍時は主砲として活躍し、2002年には46本塁打、2003年には53本塁打と2年連続45本塁打以上を記録し、当時三星に在籍していた[[李承ヨプ (野球)|イ・スンヨプ]]と本塁打王争いを繰り広げた。特に2003年李承燁が年間56本塁打の韓国プロ野球記録を打ち立てた際は、そのライバルとして大いに注目された。
現代在籍時は主砲として活躍し、2002年には46本塁打、2003年には53本塁打と2年連続45本塁打以上を記録し、当時三星に在籍していた[[李承 (野球)|イ・スンヨプ]]と本塁打王争いを繰り広げた。特に2003年李承燁が年間56本塁打の韓国プロ野球記録を打ち立てた際は、そのライバルとして大いに注目された。


そして2004年11月、FAを行使し[[三星ライオンズ]]に4年契約で移籍した。
そして2004年11月、FAを行使し[[三星ライオンズ]]に4年契約で移籍した。

2020年6月16日 (火) 22:42時点における版

沈 正洙(シム・ジョンス)
Sim Jeong-Soo
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
出身地 大田広域市
生年月日 (1975-05-05) 1975年5月5日(49歳)
身長
体重
182 cm
100 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 右翼手左翼手
プロ入り 1994年 1次ドラフトでOBベアーズから指名
初出場 1994年5月18日
最終出場 2008年4月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

沈 正洙(シム・ジョンス、심정수、1975年5月5日 - )は、大韓民国大田広域市出身の元プロ野球選手外野手)。

経歴

斗山ベアーズ時代

東大門商業高校卒業後、1994年ドラフト指名でOBベアーズに入団。

1995年116試合に出場しレギュラーに定着すると、持ち前の長打力で本塁打を量産するようになり、1999年には31本塁打で初めて30本の大台に乗った。当時の斗山には金東柱タイロン・ウッズがいて、「ウ・ドン・ス」と呼ばれた最強クリーンアップを形成していた。

だがプレーオフや韓国シリーズでは活躍できず、また2000年末の韓国プロ野球選手協会設立をめぐる大騒動の中心人物の1人だったこともあり2001年2月沈哉学(シム・ジェハク)との1対1トレードで現代ユニコーンズに移籍した。

現代ユニコーンズ時代

現代在籍時は主砲として活躍し、2002年には46本塁打、2003年には53本塁打と2年連続45本塁打以上を記録し、当時三星に在籍していたイ・スンヨプと本塁打王争いを繰り広げた。特に2003年李承燁が年間56本塁打の韓国プロ野球記録を打ち立てた際は、そのライバルとして大いに注目された。

そして2004年11月、FAを行使し三星ライオンズに4年契約で移籍した。

三星ライオンズ時代

年俸7億5000万ウォンと史上最高の球界最高年俸選手になったにもかかわらず、三星移籍以降は腰やひじなどの故障に悩まされ、高額年俸に見合わない成績を残し続けた。

特に2006年は故障でシーズンの大半を棒に振り、1本塁打しか打てなかった。

2007年は31本塁打、101打点の成績で復活をアピールし、自身初の本塁打王、打点王と二冠に輝いた。

しかし、2008年はひざの故障が再発。不振にあえいだ末、手術を受けてシーズン終了まで完治せず、回復の見込みがないという理由で同年オフに現役引退を発表した。結局三星に在籍した4年間のうち、年俸に相応しい活躍を見せたのは2007年のたった1年だけだった。

引退後は、2009年からアメリカ合衆国・サンディエゴで生活し野球界からは離れている。

プレースタイル・人物

100kgを超える巨体の持ち主で、その体型から「ヘラクレス」の異名をとった。独特のオープンスタンスの打撃フォームで、通算300本塁打以上を記録したが、国家代表にはいつも故障などを理由に辞退していてほとんど縁がなかった。

視力が極端に悪く、以前は普通の眼鏡をかけて打席に立っていた。視力強化のため、レーシックを受けたが、ただ遠く見るのを目的とする一般人向けの手術で、むしろ野球選手として不可欠な動体視力を悪化させる結果を招いた。その後はスポーツゴーグルをかけて打席に立っていた。

詳細情報

年度別成績

















































O
P
S
1994 OB 32 66 61 4 10 4 0 3 23 9 0 0 1 0 2 0 2 15 1 .164 .215 .377 .592
1995 116 405 362 63 102 19 0 21 184 59 4 2 1 5 29 2 8 78 6 .282 .344 .508 .852
1996 107 425 371 51 92 15 3 18 167 54 4 5 2 4 40 9 8 85 5 .248 .331 .450 .781
1997 40 145 122 17 30 5 0 5 50 22 2 1 0 1 22 2 0 27 1 .246 .359 .410 .769
1998 126 518 477 71 140 29 4 19 234 73 4 1 0 2 34 3 5 82 5 .294 .346 .491 .836
1999 斗山 132 544 480 79 161 35 1 31 291 110 1 4 0 3 53 4 8 77 17 .335 .408 .606 1.014
2000 126 542 454 75 138 21 2 29 250 91 3 0 0 9 69 1 10 67 12 .304 .400 .551 .951
2001 現代 107 453 381 67 112 19 1 18 187 70 8 2 0 1 60 4 11 75 11 .294 .404 .491 .895
2002 133 577 502 101 161 22 1 46 323 119 2 1 0 3 69 10 3 114 13 .321 .404 .643 1.047
2003 133 601 460 110 154 16 1 53 331 142 6 2 0 8 124 17 9 63 14 .335 .478 .720 1.197
2004 102 455 367 64 94 14 1 22 176 78 0 1 0 7 75 3 6 128 11 .256 .385 .480 .864
2005 三星 124 528 433 77 119 14 0 28 217 87 3 2 0 2 89 4 4 116 12 .275 .402 .501 .903
2006 26 96 85 8 12 1 0 1 16 7 0 0 0 1 8 0 2 22 3 .141 .229 .188 .417
2007 124 515 427 64 110 17 0 31 220 101 6 0 0 2 83 1 3 113 10 .258 .381 .515 .896
2008 22 88 68 8 16 0 0 3 25 7 0 1 0 0 20 0 0 11 5 .235 .409 .368 .777
KBO:15年 1450 5958 5050 859 1451 231 14 328 2694 1029 43 22 4 48 777 60 79 1073 126 .287 .388 .533 .921
  • 太字はリーグ最高

獲得タイトル・記録