「谷川哲也」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし |
m Bot作業依頼: ENEOSグループ関連のカテゴリ移行依頼 (Category:ENEOSグループのスポーツ関係者) - log |
||
54行目: | 54行目: | ||
[[Category:日本の野球指導者]] |
[[Category:日本の野球指導者]] |
||
[[Category:アスレティックトレーナー]] |
[[Category:アスレティックトレーナー]] |
||
[[Category: |
[[Category:ENEOSグループのスポーツ関係者]] |
||
[[Category:東京ヤクルトスワローズ関連人物]] |
[[Category:東京ヤクルトスワローズ関連人物]] |
||
[[Category:横浜DeNAベイスターズ関連人物]] |
[[Category:横浜DeNAベイスターズ関連人物]] |
2020年6月29日 (月) 13:48時点における版
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 鳥取県東伯郡三朝町 |
生年月日 | 1961年9月24日(63歳) |
身長 体重 |
177 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
トレーナー・コンディショニングコーチ歴 | |
この表について
|
谷川 哲也(たにがわ てつや、1961年9月24日 - )は、鳥取県出身のアスレティックトレーナー、プロ野球コーチ。プロ野球選手の経験はない。
経歴
倉吉北高校2年の時、1978年夏の第60回全国高等学校野球選手権大会に出場。早稲田実業を3-2で破り2回戦に進出した。
新チームでは主将および1番打者を務め、1979年春の第51回選抜高等学校野球大会に出場、静岡高を1-0、高松商高を7-4と連破して準々決勝に進出している。高松商高戦の1回表に初回先頭打者本塁打を放って注目された。
1979年夏の県大会では、準決勝で境高に7-8で敗れ、春夏連続の甲子園出場はならなかった。
高校卒業後は、社会人野球の川崎製鉄水島で野球を続けたが、故障もあって十分な活躍ができないまま退社。その後、自らが故障に苦しんだ体験からスポーツ医学を志して、東京衛生学園専門学校に進学し研鑽を深めた。
その後、スポーツプログラムス社を経て日本石油のトレーナーを務め、1995年の第66回都市対抗野球大会でのチームの優勝に貢献、さらに1996年のアトランタオリンピックでは全日本チームのトレーナーも務め、選手のフィジカル面で銀メダル獲得に大きく貢献した。
こうした実績が注目され、1997年から2003年までプロ野球・ヤクルトスワローズの二軍トレーナー、次いで2004年から2009年まで横浜ベイスターズの二軍・湘南シーレックスのストレングス&コンディショニングチーフコーチを務めた。
2010年にはJFE東日本のトレーナーを務め[1]、2011年にはJX-ENEOSのトレーナーに復帰している[2]。
背番号
- 82 (1997年 - 2003年)
- 89 (2004年 - 2009年)