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「桐谷洗鱗」の版間の差分

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* 「般若心中」口絵 [[武田仰天子]]作 [[嵩山堂]]版 明治35年(1902年)
* 「般若心中」口絵 [[武田仰天子]]作 [[嵩山堂]]版 明治35年(1902年)
* 「大石良雄」上下 口絵 [[塚原渋柿園]]作 隆文館版 明治39年(1906年)
* 「大石良雄」上下 口絵 [[塚原渋柿園]]作 隆文館版 明治39年(1906年)
* 『世界のお伽噺57 指環の魔力』挿絵 [[谷小波]]編 [[博文館]]版 明治37年(1904年)
* 『世界のお伽噺57 指環の魔力』挿絵 [[谷小波]]編 [[博文館]]版 明治37年(1904年)
== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* [[町田市立国際版画美術館]]編 『浮世絵モダーン 深水・五葉・巴水…伝統木版画の隆盛』 町田市立国際版画美術館、2005年 ※90頁
* [[町田市立国際版画美術館]]編 『浮世絵モダーン 深水・五葉・巴水…伝統木版画の隆盛』 町田市立国際版画美術館、2005年 ※90頁

2020年7月3日 (金) 06:22時点における版

桐谷 洗鱗(きりや せんりん、1877年9月1日1932年7月19日)は明治時代口絵画家大正時代から昭和時代にかけての日本画家版画家

来歴

富岡永洗及び橋本雅邦の門人。新潟県三島郡に生まれる。本名は長之助。深見和久太の四男であったが、桐谷姓を継いだ。20歳の時に上京、永洗に師事している。永洗が没した時、その夭折を惜しむ記事を投稿している。その後、雅邦に就いて東京美術学校日本画家選科を卒業し、仏教画の方に進んでいる。関東大震災後の1924年(大正13年)に伝統木版画の技法によった『大正震災木版画集』(36図)を画報社から磯田長秋西沢笛畝織田観潮川崎小虎川村彩天とともに一月から毎月3図ずつ刊行している。

作品

参考文献

  • 町田市立国際版画美術館編 『浮世絵モダーン 深水・五葉・巴水…伝統木版画の隆盛』 町田市立国際版画美術館、2005年 ※90頁
  • 山田奈々子『木版口絵総覧』文生書院、2005年