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2020年8月2日 (日) 22:19時点における版
戸次氏 | |
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杏葉紋 | |
本姓 |
1.豊後大神氏流臼杵氏 2.秀郷流(藤原氏)大友氏 |
家祖 | 戸次重秀 |
種別 | 武家 |
出身地 | 豊後国戸次荘 |
主な根拠地 |
豊後国 筑後国 |
著名な人物 |
戸次鑑連 誾千代 |
支流、分家 |
松岡氏(武家) 竹中氏(武家) |
凡例 / Category:日本の氏族 |
戸次氏(べっきうじ、べっきし)は、日本の氏族。大神氏流戸次氏からは佐伯氏などが出た。べつに藤原姓大友氏流戸次氏がある。
概要
元々大神氏流の臼杵氏一族で、豊後国戸次荘を領して戸次氏と名乗った 。後に男系が途絶えたため、大友氏より第2代当主親秀の二男利根重秀を養子に迎えたという説と、家が絶えたので利根重秀が戸次荘を委ねられたという説がある。大友氏の庶子家の筆頭として栄えた。
19代目当主で戦国時代の戸次親家の代までには戸次庄を失い、豊後国鎧ケ岳城主となっていたが、20代目の戸次鑑連(のちの道雪)が大友義鑑・大友義鎮の下で活躍する。天文22年(1554年)に鑑連が隠居すると、戸次氏家督は戸次鎮連が相続した。鑑連は元亀2年(1571年)に立花氏名跡を相続する。21代目の鑑連は天正14年(1586年)に大友家加判衆となる。
以降も少なくとも戸次統常の後嗣である戸次延常(亀松)が早死するまで本家は大友氏家臣として続いており、十時輿左衛門系図[1]では、天正16年(1588年)1月15日に亀松名義で十時惟益に対して緒方庄軸丸屋敷[2]5貫の朱印状を与えている記述が見える。
江戸時代には多くの分流・庶流が柳河藩士として続いたほか、柳河藩主立花貞俶の5男である通孝は戸次氏を称し、通孝の子である立花通栄も当初は戸次氏を称した。また戸次親宗(治部大輔、藤北戸次氏)の子孫が彦根藩士となっている。
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系譜
- 太字は当主[3]、実線は実子、点線は養子。
大神惟基 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
臼杵惟盛 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
惟衡 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
戸次惟家1 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
惟隆2 | [豊後佐伯氏] 佐伯惟康 | [賀来氏] 賀来惟秀 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
惟継3 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
惟房4 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
惟澄5 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
重秀6[4] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
時親7[5] | 松岡重頼 | 利根頼親 | 竹中頼直 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
清田直時 | 大神朝直 | 貞直8[6] | 藤北親教 | 津守貞能 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高貞[7] | 頼時9 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
直光10[8] | 片賀瀬直時 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
直世11[9] | 利光[10] | 女(大友親世室[11]) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高載12 | 重世 | 親載14 | 氏詮 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
直繁13 | 直国 | 親貞17 | 直頼15[12] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
能泰16[13] | [片賀瀬戸次氏] 親続 | 親宣18 | [藤北戸次氏] 親延 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
親久 | 親家19 | 親宗 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
親俊 | 親善(紹花) | 鑑連(立花道雪)20 | 鑑方 | 鎮栄 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鎮就 | 鑑員 | 鎮秀 | 誾千代 | 立花宗茂 | 鎮連21 | 鎮連 | 統栄 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鎮智 | 統貞 (紹珊) | [柳河藩士] 親良 | 統常22 | 親栄 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
統雪 | 親実 | 延常 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
能俊 | 親貞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
- ^ 『柳川歴史資料集成第二集 柳河藩享保八年藩士系図・下』所収
- ^ 大分県大野郡軸丸村、現在の豊後大野市緒方町軸丸
- ^ 『系図纂要』の戸次氏系図に基づく。
- ^ 大友親秀の子。北条重時より一字拝領か(『系図纂要』に「以赤橋重時縁坐服近北条氏」と記載がある)。
- ^ 母は北条重時の娘。得宗/鎌倉幕府執権の北条時宗を烏帽子親とし、鎌倉において元服、その偏諱(「時」の字)を賜う。
- ^ 得宗/鎌倉幕府執権の北条貞時を烏帽子親として元服、その偏諱(「貞」の字)を賜う。
- ^ 得宗/鎌倉幕府執権の北条高時を烏帽子親として元服、その偏諱(「高」の字)を賜う。通称を若宮太郎と号す(「大友田原系図」)。早世。
- ^ 足利直冬を烏帽子親として元服し、その偏諱(「直」の字)を賜うが、のちに「頼秀」と改名(『系図纂要』)。
- ^ 『続群書類従』の「立花系図」では親矩の子(すなわち直光の孫)とする。
- ^ a b c 塙保己一 1973, p.369
- ^ 大友持直の母。
- ^ 群書系図部集「戸次系図」では直繁の子[10]。
- ^ 群書系図部集「戸次系図」では重世の子[10]。
参考文献
- 塙保己一 編「戸次系図」『群書系図部集4, 第3巻』八木書店、1973年、368-369頁。ISBN 4797102764。
- 『柳川歴史資料集成第二集 柳河藩享保八年藩士系図・下』 柳川市史編集委員会編・福岡県柳川市 1997年(平成9年)3月発行
- 十時輿左衛門系図