コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ウルシュラ・ラドワンスカ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Mtfdog (会話 | 投稿記録)
Cewbot (会話 | 投稿記録)
48行目: 48行目:


== 来歴 ==
== 来歴 ==
5歳のときから姉のアグニエシュカとともに父親の手ほどきで[[テニス]]を始めた。2005年にプロに転向。しばらくはジュニア大会やITFのサーキット大会に出場し[[2007年ウィンブルドン選手権]]ジュニア女子シングルス・ダブルスで2冠を獲得。[[2007年全仏オープン]]と[[2007年全米オープン (テニス)|2007年全米オープン]]ジュニア女子ダブルスで優勝している。2007年5月の[[イスタンブール・カップ]]のダブルスでは姉のアグニエシュカとのペアで決勝に進出し、[[チャン詠然|詹詠然]]&[[サニア・ミルザ]]組を 6–1, 6–3 で破りツアー初優勝している。
5歳のときから姉のアグニエシュカとともに父親の手ほどきで[[テニス]]を始めた。2005年にプロに転向。しばらくはジュニア大会やITFのサーキット大会に出場し[[2007年ウィンブルドン選手権]]ジュニア女子シングルス・ダブルスで2冠を獲得。[[2007年全仏オープン]]と[[2007年全米オープン (テニス)|2007年全米オープン]]ジュニア女子ダブルスで優勝している。2007年5月の[[イスタンブール・カップ]]のダブルスでは姉のアグニエシュカとのペアで決勝に進出し、[[詹詠然]]&[[サニア・ミルザ]]組を 6–1, 6–3 で破りツアー初優勝している。


[[2008年ウィンブルドン選手権]]で主催者推薦選手として、[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]シングルスに初出場。[[クララ・ザコパロバ]]を 6-1, 6-4 で破り2回戦で[[セリーナ・ウィリアムズ]]に 4-6, 4-6 で敗れた。
[[2008年ウィンブルドン選手権]]で主催者推薦選手として、[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]シングルスに初出場。[[クララ・ザコパロバ]]を 6-1, 6-4 で破り2回戦で[[セリーナ・ウィリアムズ]]に 4-6, 4-6 で敗れた。
131行目: 131行目:
| クレー
| クレー
| {{flagicon|POL}} [[アグニエシュカ・ラドワンスカ]]
| {{flagicon|POL}} [[アグニエシュカ・ラドワンスカ]]
| {{flagicon|TPE}} [[チャン詠然|詹詠然]]<br/>{{flagicon|IND}} [[サニア・ミルザ]]
| {{flagicon|TPE}} [[詹詠然]]<br/>{{flagicon|IND}} [[サニア・ミルザ]]
| 6–1, 6–3
| 6–1, 6–3
|}
|}

2020年8月11日 (火) 04:14時点における版

ウルシュラ・ラドワンスカ
Urszula Radwańska
ウルシュラ・ラドワンスカ
基本情報
愛称 Ula (ウラ)
国籍 ポーランドの旗 ポーランド
出身地 ドイツ・アハウス
居住地 ポーランド・クラクフ
生年月日 (1990-12-07) 1990年12月7日(34歳)
身長 177cm
体重 57kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2005年
ツアー通算 1勝
シングルス 0勝
ダブルス 1勝
生涯獲得賞金 2,118,205 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 2回戦(2012)
全仏 2回戦(2012・13)
全英 2回戦(2008・09・13・15)
全米 2回戦(2010・13)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(2009・12)
全仏 ベスト8(2009)
全英 3回戦(2012)
全米 1回戦(2008-11)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 29位(2012年10月8日)
ダブルス 74位(2009年9月21日)
2015年11月9日現在

ウルシュラ・ラドワンスカ(Urszula Radwańska, Pl-Urszula Radwańska.ogg [urˈʂula radˈvaɲska]1990年12月7日 - )は、ポーランドの女子プロテニス選手。ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州アハウス英語版出身でクラクフに在住している。自己最高ランキングはシングルス29位、ダブルス74位。これまでにWTAツアーでシングルス優勝はないがダブルスで1勝を挙げている。身長177cm、体重57kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。1歳年上の姉、アグニエシュカ・ラドワンスカもプロテニス選手である。

来歴

5歳のときから姉のアグニエシュカとともに父親の手ほどきでテニスを始めた。2005年にプロに転向。しばらくはジュニア大会やITFのサーキット大会に出場し2007年ウィンブルドン選手権ジュニア女子シングルス・ダブルスで2冠を獲得。2007年全仏オープン2007年全米オープンジュニア女子ダブルスで優勝している。2007年5月のイスタンブール・カップのダブルスでは姉のアグニエシュカとのペアで決勝に進出し、詹詠然&サニア・ミルザ組を 6–1, 6–3 で破りツアー初優勝している。

2008年ウィンブルドン選手権で主催者推薦選手として、4大大会シングルスに初出場。クララ・ザコパロバを 6-1, 6-4 で破り2回戦でセリーナ・ウィリアムズに 4-6, 4-6 で敗れた。

2009年のドバイ・テニス選手権では1回戦で当時10位の姉アグニエシュカに 6-4, 6-3 で勝利した。ラドワンスカ姉妹対決は4回あり姉の3勝1敗である。3月のBNPパリバ・オープンでは2回戦で当時8位のスベトラーナ・クズネツォワを 6-2, 4-6, 6-3 で破り4回戦まで進出している。バーミンガム、イスタンブール、ロサンゼルスの3大会でベスト8に進出した。2009年全仏オープンではアグニエシュカと組んだダブルスでベスト8に進出している。

2010年全豪オープンでは1回戦でセリーナ・ウィリアムズに 2-6, 1-6 で敗れた。この試合を最後に故障で7カ月間ツアーを離れた。2010年全米オープンでは1回戦でアンナ・チャクベタゼを 6-3, 6-3 で破り初戦を突破したが2回戦でルルド・ドミンゲス・リノに 2-6, 5-7 で敗れた。

2012年6月のユニセフ・オープンでは予選から勝ち上がりツアー初のシングルス決勝に進出した。ナディア・ペトロワに 4–6, 3–6 で敗れ準優勝となった。ロンドン五輪でオリンピックに初出場。シングルス2回戦で金メダルを獲得したセリーナ・ウィリアムズに 2-6, 4-6 で敗れた。姉のアグニエシュカと組んだダブルスでも2回戦でリサ・レイモンド&リーゼル・フーバー組に 4-6, 6-7 で敗退した。9月のタシケント・オープン広州国際女子オープンでベスト4に進出し2012年10月8日付の世界ランキングで29位の自己最高位を記録した。

近年はランキングが下がり女子ツアー下部大会でプレーしている。

WTAツアー決勝進出結果

シングルス: 2回 (0勝2敗)

大会グレード
2008年以前 2009年以後
グランドスラム (0–0)
WTAファイナルズ (0–0)
ティア I (0–0) プレミア・マンダトリー (0-0)
プレミア5 (0-0)
ティア II (0–0) プレミア (0–0)
ティア III (0–0) インターナショナル (0–2)
ティア IV & V (0–0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2012年6月23日 オランダの旗 スヘルトーヘンボス ロシアの旗 ナディア・ペトロワ 4–6, 3–6
準優勝 2. 2015年7月26日 トルコの旗 イスタンブール ハード ウクライナの旗 レシヤ・ツレンコ 5–7, 1–6

ダブルス: 1回 (1勝0敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 2007年5月21日 トルコの旗 イスタンブール クレー ポーランドの旗 アグニエシュカ・ラドワンスカ チャイニーズタイペイの旗 詹詠然
インドの旗 サニア・ミルザ
6–1, 6–3

4大大会シングルス成績

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 通算成績
全豪オープン LQ LQ 1R LQ 2R 1R A 1R 1R A 1–5
全仏オープン LQ 1R A LQ 2R 2R 1R LQ A A 2–4
ウィンブルドン 2R 2R A LQ 1R 2R 1R 2R LQ A 4–6
全米オープン LQ 1R 2R 1R 1R 2R LQ 1R LQ A 2–6

外部リンク