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「悪魔の門」の版間の差分

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*[[大韓民国]]
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*[[エヴェンキ人|エベンキ人]]・[[ワイ人]](濊族)
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*[[ウリチ]]
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*[[オロチ (民族)|オロチ]]
*[[オロチ (民族)|オロチ]]

2020年8月11日 (火) 04:40時点における版

座標: 北緯44度29分 東経135度23分 / 北緯44.483度 東経135.383度 / 44.483; 135.383

悪魔の門洞窟入口

悪魔の門(あくまのもん、英: Devil’s Gate Cave、露: Пещера Чертовы Ворота ペシチェラチェルトーヴヴォロータ)は、ロシアウラジオストクの上方にあるアムール川流域の沿海地方(プリモルスキー地方)で確認されている洞窟である[1]。別称、チェルトーヴヴォロータ洞窟(Chertovy Vorota Cave、血まみれの門の洞窟)。チェルトーヴヴォロータはロシアの沿海州ダリネゴルスクから約12キロメートル離れた、シホテアリニ山脈に位置するカルスト地形に出来た洞窟で、ルドナヤ川の支流であるクリヴァヤ川から約35メートル石灰岩の崖を登った辺りにある。この洞窟は新石器時代の遺跡でもあり、織物の存在を証明する考古学的証拠のうち最も古い物の幾つかがここで発見されている。[要出典]

人骨の発見

7体の人骨が洞窟の中で発見され、その内の2体、DevilsGate1DevilsGate2の頭蓋骨を用いて直接年代測定が行われ、紀元前5726年-紀元前5622年という結果が得られた。

当初、出土人骨の形態学的調査に基づいて、7体のうち3体は成人男性のもの、2体は成人女性のもの、1体は約12歳~13歳の未成年のもの、1体は約6歳~7歳の小児のものと推定された。しかし、未成年のものと推定された人骨以外の6体について、DNAの解析が行われ、形態学的知見により成人男性のものと推定されていた3体の人骨のうち、2体が実は女性のもので、更に、1体の小児も女児だったという事が判明した。即ち今のところ、発見された7体の人骨のうち、5体が女性、1体が男性、1体が未だにDNA解析が行われていないか或いはその結果が発表されていない。

MtDNAハプログループについては、成人男性1体、男性と誤認された成人女性1体、そして元より成人女性と推定されていた成人女性1体がハプログループD4mに属している。ハプログループD4mは現在、樺太(サハリン)島のニヴフで多く見られ、日本、ウリチ、ユカギール、エヴェン、エヴェンキ、ヤクート、ドルガン、モンゴル、ブリヤート、アルタイ、トゥヴァ、ウイグル、キルギスの人でもある程度見られる。残る女児1体、男性と誤認された成人女性1体、そして元より成人女性と推定されていた成人女性1体については、mtDNAハプログループが先述のハプログループD4mも含むハプログループD4まで断定できている。 ハプログループD4は現在、中央アジア、(チベット及び華北を含む)北東アジア、アメリカ州の先住民族に広く見られ、特に日本人(大和民族と琉球民族)に多くて多様性に富んだ古い型である。

1体の成人男性のY染色体ハプログループについては、北東アジアが起源と思われるハプログループC2-M217に属し、更に、現在のカザフ、モンゴル、シベリア先住民、北アメリカ先住民に多いC2b-F6273/Y6704/Y6708という一派に属しているという結果が得られた。

核DNAの解析を行ったところ、チェルトーヴヴォロータ出土の2体の人骨は比較可能なデータのある全てのヒトゲノム(古代人のものも現代人のものも含む)のうち、アムール川下流域に居住するツングース系民族のウリチのDNAに最も似ていた。同じくツングース系民族でアムール川中流域に居住するナナイ、アムール川上流域に居住するオロチェンとも似ているが、遠く離れたタイミル半島のガナサン人、朝鮮半島の朝鮮・韓国人、そして日本列島の日本人とも同程度遺伝的近似性が見られた。

韓国人発祥地

パク・ジョンファ蔚山科学技術院(UNIST)ゲノム研究所長(生命科学部教授)が率いるイギリスロシアドイツの国際共同研究チームは1日、「中朝国境・豆満江の北にあるロシア・アムール川流域の悪魔の門で発見された7700年前の現代人の祖先とは別のホモサピエンスではないゲノムを解読した」と明らかにした[1]

2017年2月2日の韓国中央日報によると、蔚山科学技術院(UNIST)ゲノム研究所の国際学術誌「Science Advances」で、韓民族(朝鮮民族)は、3〜4万年前に東南アジアから中国東部の海岸を経て極東地方に流れ込み、「北方人となった南方系の狩猟採集民」と、新石器時代が始まった1万年前に同じ経路で入ってきた「南方系の農耕民族」の血が混ざって形成されたと発表した[1]

今まで人類・考古学界の一部では、民族的な風貌などの共通点から、韓国人アルタイ山脈に始まり、モンゴル満州の原野を超えて朝鮮半島に移住した北方民族であると推定されてきたが、現在の進歩した科学界の判断は違っており、2009年、UNISTは国際学術誌「Science」に「朝鮮民族が東南アジアから北東へ移動した南方系の巨大な流れに属している」と発表、今回の発表はこれをさらに具体化したことになる[1]

悪魔の門の洞窟人

韓国人のルーツといえるDNAが、ロシア・ウラジオストクのアムール川流域にある「悪魔の門の洞窟」で7700年前の20代と40代の女性の頭蓋骨から発見された[2]。ここは韓国の歴史上、かつての高句麗・東夫余(ふよ)・沃沮(よくそ)の地と言われている[2]

ゲノム研究所がスーパーコンピュータで、この頭蓋骨の遺伝子を解読・分析したところ、悪魔の門の洞窟人は3〜4万年前に現地に定着した南方系人で、韓国人に特徴な茶色い目とシャベル型切歯(shovel-shaped incisor)の遺伝子を持っていることが証明された[注 1][2]。悪魔の門の洞窟人(黒い山葡萄原人)は近くに住む、濊(わい)族の末裔と混ざりエベンキ人となる。(北朝鮮では教科書にも掲載)近くの原住民を除く現代人の中では韓国人がこれと近いことが判明した[2]

UNISTゲノム研究所のパク・ジョンファ所長は「ミトコンドリアDNAの種類が同じであるということは、母系が同じであるということを意味する[2]。長い時間差を考慮しても2つの人類の遺伝子は非常に近く、悪魔の洞窟人(黒い山葡萄原人)は韓国人の祖先だと言える」と話している[2]

脚注

注釈

  1. ^ また彼らは、牛乳を消化できない遺伝変異や、高血圧に弱い遺伝子、体臭が少ない遺伝子、耳たぶの薄い遺伝子など、現代の東アジア人の典型的な遺伝特性も持っていた。

出典

関連項目