コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「紀元前8世紀」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 「カク」→「虢」の改名に伴うリンク修正依頼 (虢石父) - log
108行目: 108行目:
* [[幽王 (周)|幽王]](? - [[紀元前771年|前771年]]) - [[周|西周]]の第12代の王(在位[[紀元前781年|前781年]] - [[紀元前771年|前771年]])
* [[幽王 (周)|幽王]](? - [[紀元前771年|前771年]]) - [[周|西周]]の第12代の王(在位[[紀元前781年|前781年]] - [[紀元前771年|前771年]])
* [[褒姒]](前8世紀前半) - 周の幽王の后・申后に代わり后にされる・絶世の美女で亡国の原因とされる
* [[褒姒]](前8世紀前半) - 周の幽王の后・申后に代わり后にされる・絶世の美女で亡国の原因とされる
* [[カク石父|虢石父]](? - [[紀元前771年|前771年]]) - 周の王族・虢の君主・幽王に遊興を勧め亡国の因をなしたか
* [[虢石父]](? - [[紀元前771年|前771年]]) - 周の王族・虢の君主・幽王に遊興を勧め亡国の因をなしたか
* 申侯(前8世紀前半) - 周の諸侯・娘は幽王の后(申后)・[[犬戎]]と結んで幽王を倒し平王を擁立
* 申侯(前8世紀前半) - 周の諸侯・娘は幽王の后(申后)・[[犬戎]]と結んで幽王を倒し平王を擁立
* [[平王 (周)|平王]](? - [[紀元前720年|前720年]]) - 東周の初代(周の第13代)の王(在位[[紀元前771年|前771年]] - [[紀元前720年|前720年]])
* [[平王 (周)|平王]](? - [[紀元前720年|前720年]]) - 東周の初代(周の第13代)の王(在位[[紀元前771年|前771年]] - [[紀元前720年|前720年]])

2020年8月12日 (水) 07:42時点における版

千年紀: 紀元前1千年紀
世紀: 前9世紀 - 紀元前8世紀 - 前7世紀
「カピトリヌスの雌狼」(カピトリーノ美術館蔵)。狼の乳を飲むロームルスレムスの銅像。ロームルスは伝承上の都市国家ローマの建国者。
「ディピュロンのアンフォラ」。ギリシア陶器の幾何学様式後期を代表する名品で現在はアテネ国立考古学博物館が所蔵している。
ホメロス。『イリアス』『オデュッセイア』をまとめたとされる盲目の吟遊詩人。画像はウィリアム・ブーグローによる歴史画「ホメロスと案内人」(ミルウォーキー美術館英語版蔵)。
聖地オリンピア。もともとゼウス神が祀られていた神域で、紀元前8世紀からこの神に捧げられるオリンピアの競技が行われることになった。画像は紀元前740年頃に作製され競技に際し奉献されたラコニア様式の青銅製の馬の像(ルーヴル美術館蔵)。
ウラルトゥ王国の繁栄と凋落。ウラルトゥの王サルドゥリ2世の時に勢力が最大となったが、隣国アッシリアに攻め込まれて衰退した。画像はウラルトゥの主神ハルディの像(アルメニアエレバン・エレブニ要塞博物館蔵)。
ドゥル・シャルキン。アッシリア王サルゴン2世の時代に造営された都で10年余ほど用いられた後、ニネヴェに改めて遷都され放棄された。保存状態は悪くなく多くの浮彫で飾られた宮殿の城壁が発掘されている。画像はサルゴン2世と家臣の浮彫(ルーヴル美術館蔵)。

紀元前8世紀(きげんぜんはちせいき、きげんぜんはっせいき)は、西暦による紀元前800年から紀元前701年までの100年間を指す世紀

できごと

紀元前800年代

紀元前780年代

  • 紀元前780年 - 周で涇水・渭水・洛水の三川の水が涸れて岐山が崩れる大地震が発生(三川岐山地震)。

紀元前770年代

紀元前760年代

  • 紀元前763年

紀元前750年代

紀元前740年代

紀元前730年代

紀元前720年代

紀元前710年代

  • 紀元前719年 - の公子州吁が兄の桓公を殺害し君主となる。
    • 州吁は鄭の公子共叔段と組みと連合して、鄭の荘公を攻撃するが失敗し処刑される(東門の戦い)。
  • 紀元前717年 - アッシリア王サルゴン2世がカルフ(ニムルド)からドゥル・シャルキン(コルサバド遺跡)へ遷都。
  • 紀元前716年頃 - リュディアでヘラクレス家のカンダウレス王に代わり、メルムナス家のギュゲスが王になる。
  • 紀元前716年 - ローマ王ロームルスが死去し、サビニ人ヌマ・ポンピリウスが第2代ローマ王に選出される。
  • 紀元前714年 - アッシリア王サルゴン2世によりウラルトゥ王ルサ1世が大敗しムサシルが陥落する。
  • 紀元前713年 - アッシリア王サルゴン2世が新ヒッタイト系のタバル王国を制圧する。
  • 紀元前710年頃 - レラントス戦争によりハルキスエレトリアがエウボイアの覇権をめぐり激突( - 紀元前650年頃)

紀元前700年代

  • 紀元前709年
    • アッシリア王サルゴン2世がバビロンを陥落させ「バビロニア王」を名乗る。
    • フリギアミダス(ムシュキ王ミタ)がアッシリア王サルゴン2世に和平を申し入れる。
    • 陘廷の戦いで、晋の分家である曲沃の姫称(後の晋の武公)が宗家の哀侯と小子侯を滅ぼす。
  • 紀元前707年 - 東周の桓王が蔡・衛・陳と連合して鄭を攻撃したが撃退される(繻葛の戦い)。
    • 鄭の荘公はこの戦いで威信を高め「春秋の小覇」と呼ばれた。対して周王室の力の衰えが明らかになった。
  • 紀元前706年 - スパルタのパルテニアイらによるタラス(イタリア半島南端の現タレントゥム)植民市の建設。
  • 紀元前705年 - アッシリア王サルゴン2世死去。後継のセンナケリブドゥル・シャルキンからニネヴェへ遷都。
  • 紀元前703年 - アッシリア王センナケリブがバビロニア王メロダク・バルアダン2世を倒し、傀儡政権を擁立するがバビロニアの政情は不安定。
  • 紀元前700年以前 - フリギア王国の都ゴルディオントルコのヤッスホユック遺跡)に「ミダス王の墓」が建てられる。
  • 紀元前700年頃 - ヘシオドスの『神統記』『仕事と日』が成立。

人物

中国

王政ローマ

ギリシア

オリエント

南アジア

技術・社会

脚注

注釈

出典

関連項目