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「王騰 (右車騎将軍)」の版間の差分

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'''王 騰'''(おう とう、生没年不詳)は、[[五胡十六国時代]]の漢(後の[[前趙]])の[[軍人]]。漢の皇帝[[劉粲]]らを殺害して漢天王を自称した[[キン準|靳準]]についていたが、丞相[[劉曜]]に寝返った。
'''王 騰'''(おう とう、生没年不詳)は、[[五胡十六国時代]]の漢(後の[[前趙]])の[[軍人]]。漢の皇帝[[劉粲]]らを殺害して漢天王を自称した[[靳準]]についていたが、丞相[[劉曜]]に寝返った。


== 生涯 ==
== 生涯 ==

2020年8月12日 (水) 09:29時点における最新版

王 騰(おう とう、生没年不詳)は、五胡十六国時代の漢(後の前趙)の軍人。漢の皇帝劉粲らを殺害して漢天王を自称した靳準についていたが、丞相劉曜に寝返った。

生涯[編集]

漢に仕えて、右車騎将軍に任じられていた。

318年12月、左車騎将軍喬泰・衛将軍靳康・将軍馬忠らとともに靳準を殺害して、尚書令靳明を盟主に推戴した。侍中卜泰に伝国璽を奉じさせ、劉曜に降伏した。

これ以後、王騰の事績は史書に記されていない。

参考文献[編集]