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「徐建寅」の版間の差分

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'''徐 建寅'''(じょ けんいん、''Xu Jianyin''、[[1845年]] - [[1901年]])、字は'''仲虎'''は、[[清]]末の[[技術者]]。
'''徐 建寅'''(じょ けんいん、''Xu Jianyin''、[[1845年]] - [[1901年]])、字は'''仲虎'''は、[[清]]末の[[技術者]]。


[[江蘇省]][[無錫]]出身。父の[[徐寿]]も科学者である。著書に『造船全書』『兵法新書』などがある。はじめ[[江南機器製造総局]]で[[李善蘭]]・[[華コウ芳|華蘅芳]]らと西洋の自然科学書の翻訳にあたった。後に北洋機器局、山東機器局で勤務する。[[1878年]]、駐独公使館の参事となり、[[イギリス]]・[[フランス]]を視察した。[[1886年]]から金陵機器局で銃の開発にあたり、後に[[福州船政局]]を経て、湖北槍炮廠の責任者に任命される。[[1901年]]、火薬の試作をしているときに爆発事故が起こり、死去。
[[江蘇省]][[無錫]]出身。父の[[徐寿]]も科学者である。著書に『造船全書』『兵法新書』などがある。はじめ[[江南機器製造総局]]で[[李善蘭]]・[[華蘅芳]]らと西洋の自然科学書の翻訳にあたった。後に北洋機器局、山東機器局で勤務する。[[1878年]]、駐独公使館の参事となり、[[イギリス]]・[[フランス]]を視察した。[[1886年]]から金陵機器局で銃の開発にあたり、後に[[福州船政局]]を経て、湖北槍炮廠の責任者に任命される。[[1901年]]、火薬の試作をしているときに爆発事故が起こり、死去。





2020年8月13日 (木) 22:10時点における版

徐 建寅(じょ けんいん、Xu Jianyin1845年 - 1901年)、字は仲虎は、末の技術者

江蘇省無錫出身。父の徐寿も科学者である。著書に『造船全書』『兵法新書』などがある。はじめ江南機器製造総局李善蘭華蘅芳らと西洋の自然科学書の翻訳にあたった。後に北洋機器局、山東機器局で勤務する。1878年、駐独公使館の参事となり、イギリスフランスを視察した。1886年から金陵機器局で銃の開発にあたり、後に福州船政局を経て、湖北槍炮廠の責任者に任命される。1901年、火薬の試作をしているときに爆発事故が起こり、死去。