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* 『心に甦る「趙州録」』 窪田慈雲 2013年 [[春秋社]] ISBN 978-4393146156。解説・現代語訳・原文収録
* 『心に甦る「趙州録」』 窪田慈雲 2013年 [[春秋社]] ISBN 978-4393146156。解説・現代語訳・原文収録
* 『趙州録[[提唱]]』 福島慶道 春秋社 2013年 ISBN 978-4393142813
* 『趙州録[[提唱]]』 福島慶道 春秋社 2013年 ISBN 978-4393142813
* 『禅の[[語録]] 11 趙州録』 [[秋月龍みん|秋月龍珉]] [[筑摩書房]] 1972年、新装版2016年
* 『禅の[[語録]] 11 趙州録』 [[秋月龍珉]] [[筑摩書房]] 1972年、新装版2016年


== 伝記資料 ==
== 伝記資料 ==

2020年8月16日 (日) 08:51時点における版

趙州従諗
778年 - 897年
『仏祖正宗道影』木版画
諡号 真際大師
生地 曹州臨淄県郝郷
没地 趙州観音院
宗派 禅宗
寺院 曹州龍興寺、趙州観音院
南泉普願黄檗希運塩官斉安
著作 『趙州真際禅師語録』
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趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん、778年 - 897年)は、中国代の真際禅師。俗姓は郝。曹州臨淄県郝郷の出身。

生涯

幼くして曹州の龍興寺で出家し、後に池陽の南泉普願の下に至り、師の「平常心是道」に関する言葉により、大悟してその法嗣となる。嵩山の琉璃壇で受戒する。

60歳で遊方の途に出て、黄檗希運、塩官斉安らの禅匠の下で修禅する。

80歳で趙州の観音院(東院、河北省石家荘市趙県)に住するようになり、その後、40年間「口唇皮禅」と称される特異な禅風を宣揚し、120歳で没した。諡して真際大師という。

彼と門弟との問答の多くが、後世の「公案」となり、広く知られることとなった。特に、「狗子仏性」のエピソードは公案集『無門関』の第一則に取りあげられ、東洋的「絶対」の思想を象徴する問答として名高い。

語録等

  • 『趙州真際禅師語録三巻』
  • 『趙州真際禅師行状』

主な刊本

伝記資料

注・出典


師:南泉普願禅宗弟子: