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== 略歴 ==
== 略歴 ==
[[東プロイセン]]の[[ケーニヒスベルク (プロイセン)|ケーニヒスベルク]]出身。1925年に[[ヴァイマル共和国軍|ドイツ陸軍]]の歩兵連隊に入隊。1934年3月1日にはナチス党政権下で極秘裏に再建された[[ドイツ空軍 (国防軍)|空軍]]へ移籍。さらに1935年10月1日には[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊(SS)]]に入隊(隊員番号257,146)。[[バイエルン州]][[バート・トェルツ]]([[:de:Bad Tölz|Bad Tölz]])の親衛隊士官学校に配属され、1936年から同校の教官に任じられた。1937年5月1日に[[国家社会主義ドイツ労働者党]](ナチ党)に入党(党員番号4,691,488)。1938年8月にはSS第4連隊「デア・フューラー」の指揮官となる。その後、1939年6月1日に[[親衛隊少佐]]に昇進し、対空砲機関銃部隊(Fliegerabwehr-Maxchinengewehr-Abteilung)の指揮官となった。さらにその後、装甲師団「ケンプフ」に配属され、1939年9月の[[ポーランド侵攻]]に従軍した。1940年4月に[[パウル・ハウサー]]指揮下の[[第2SS装甲師団]]「ダス・ライヒ」に配属され、[[西部戦線 (第二次世界大戦)|西部戦線]]に従軍。[[一級鉄十字章]]と[[二級鉄十字章]]を叙勲した。1940年12月13日に[[親衛隊中佐]]に昇進した。その後も「ダス・ライヒ」に属して[[バルカン半島の]]や[[独ソ戦]]を転戦。[[スモレンスク]]での戦闘後、1941年9月に[[騎士鉄十字章]]を受章した。1942年3月には[[親衛隊大佐]]に昇進。1942年6月には[[ドイツ十字章]]金章を受章している。1942年7月にパウル・ハウサーの下にSS装甲軍団が創設されるとパウル・ハウサー軍団長の副官に任じられ、[[第三次ハリコフ攻防戦]]に参加した。1943年4月20日、[[親衛隊上級大佐]]に昇進。1943年11月から[[第17SS装甲擲弾兵師団]]「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」に配属され、1944年1月から6月15日にかけて師団長となった。1944年4月20日には[[親衛隊少将]]及び武装親衛隊少将に昇進。1944年6月から[[ノルマンディー上陸作戦]]を迎えうつ作戦に参加したが、激しい負傷をした。1944年11月1日から1945年2月10日にかけて再度「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」師団長となる。この間の1944年12月1日、[[親衛隊中将]]及び武装親衛隊中将に昇進し、軍集団「ライン」の参謀長ともなった。さらに1945年1月29日から1945年3月9日にかけて第2SS装甲師団「ダス・ライヒ」の師団長となった。1945年3月9日、[[ハンガリー]]の[[セーケシュフェヘールヴァール]]で激しく負傷。この時の負傷がもとで5月1日、[[バート・アウスゼー]]([[:de:Bad Aussee|Bad Aussee]])の軍事病院において死去した。
[[東プロイセン]]の[[ケーニヒスベルク (プロイセン)|ケーニヒスベルク]]出身。1925年に[[ヴァイマル共和国軍|ドイツ陸軍]]の歩兵連隊に入隊。1934年3月1日にはナチス党政権下で極秘裏に再建された[[ドイツ空軍 (国防軍)|空軍]]へ移籍。さらに1935年10月1日には[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊(SS)]]に入隊(隊員番号257,146)。[[バイエルン州]][[バート・トェルツ]]([[:de:Bad Tölz|Bad Tölz]])の親衛隊士官学校に配属され、1936年から同校の教官に任じられた。1937年5月1日に[[国家社会主義ドイツ労働者党]](ナチ党)に入党(党員番号4,691,488)。1938年8月にはSS第4連隊「デア・フューラー」の指揮官となる。その後、1939年6月1日に[[親衛隊少佐]]に昇進し、対空砲機関銃部隊(Fliegerabwehr-Maxchinengewehr-Abteilung)の指揮官となった。さらにその後、装甲師団「ケンプフ」に配属され、1939年9月の[[ポーランド侵攻]]に従軍した。1940年4月に[[パウル・ハウサー]]指揮下の[[第2SS装甲師団]]「ダス・ライヒ」に配属され、[[西部戦線 (第二次世界大戦)|西部戦線]]に従軍。[[一級鉄十字章]]と[[二級鉄十字章]]を叙勲した。1940年12月13日に[[親衛隊中佐]]に昇進した。その後も「ダス・ライヒ」に属して[[バルカン戦線 (第二次世界大戦)]]や[[独ソ戦]]を転戦。[[スモレンスク]]での戦闘後、1941年9月に[[騎士鉄十字章]]を受章した。1942年3月には[[親衛隊大佐]]に昇進。1942年6月には[[ドイツ十字章]]金章を受章している。1942年7月にパウル・ハウサーの下にSS装甲軍団が創設されるとパウル・ハウサー軍団長の副官に任じられ、[[第三次ハリコフ攻防戦]]に参加した。1943年4月20日、[[親衛隊上級大佐]]に昇進。1943年11月から[[第17SS装甲擲弾兵師団]]「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」に配属され、1944年1月から6月15日にかけて師団長となった。1944年4月20日には[[親衛隊少将]]及び武装親衛隊少将に昇進。1944年6月から[[ノルマンディー上陸作戦]]を迎えうつ作戦に参加したが、激しい負傷をした。1944年11月1日から1945年2月10日にかけて再度「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」師団長となる。この間の1944年12月1日、[[親衛隊中将]]及び武装親衛隊中将に昇進し、軍集団「ライン」の参謀長ともなった。さらに1945年1月29日から1945年3月9日にかけて第2SS装甲師団「ダス・ライヒ」の師団長となった。1945年3月9日、[[ハンガリー]]の[[セーケシュフェヘールヴァール]]で激しく負傷。この時の負傷がもとで5月1日、[[バート・アウスゼー]]([[:de:Bad Aussee|Bad Aussee]])の軍事病院において死去した。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==

2020年8月16日 (日) 13:05時点における版

親衛隊中佐時代のヴェルナー・オステンドルフ

ヴェルナー・オステンドルフ(Werner Ostendorff、1903年8月15日-1945年5月1日)はナチス・ドイツ武装親衛隊の将軍。最終階級は親衛隊中将及び武装親衛隊中将(SS-Gruppenführer und Generalleutnant der Waffen-SS)。

略歴

東プロイセンケーニヒスベルク出身。1925年にドイツ陸軍の歩兵連隊に入隊。1934年3月1日にはナチス党政権下で極秘裏に再建された空軍へ移籍。さらに1935年10月1日には親衛隊(SS)に入隊(隊員番号257,146)。バイエルン州バート・トェルツBad Tölz)の親衛隊士官学校に配属され、1936年から同校の教官に任じられた。1937年5月1日に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に入党(党員番号4,691,488)。1938年8月にはSS第4連隊「デア・フューラー」の指揮官となる。その後、1939年6月1日に親衛隊少佐に昇進し、対空砲機関銃部隊(Fliegerabwehr-Maxchinengewehr-Abteilung)の指揮官となった。さらにその後、装甲師団「ケンプフ」に配属され、1939年9月のポーランド侵攻に従軍した。1940年4月にパウル・ハウサー指揮下の第2SS装甲師団「ダス・ライヒ」に配属され、西部戦線に従軍。一級鉄十字章二級鉄十字章を叙勲した。1940年12月13日に親衛隊中佐に昇進した。その後も「ダス・ライヒ」に属してバルカン戦線 (第二次世界大戦)独ソ戦を転戦。スモレンスクでの戦闘後、1941年9月に騎士鉄十字章を受章した。1942年3月には親衛隊大佐に昇進。1942年6月にはドイツ十字章金章を受章している。1942年7月にパウル・ハウサーの下にSS装甲軍団が創設されるとパウル・ハウサー軍団長の副官に任じられ、第三次ハリコフ攻防戦に参加した。1943年4月20日、親衛隊上級大佐に昇進。1943年11月から第17SS装甲擲弾兵師団「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」に配属され、1944年1月から6月15日にかけて師団長となった。1944年4月20日には親衛隊少将及び武装親衛隊少将に昇進。1944年6月からノルマンディー上陸作戦を迎えうつ作戦に参加したが、激しい負傷をした。1944年11月1日から1945年2月10日にかけて再度「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」師団長となる。この間の1944年12月1日、親衛隊中将及び武装親衛隊中将に昇進し、軍集団「ライン」の参謀長ともなった。さらに1945年1月29日から1945年3月9日にかけて第2SS装甲師団「ダス・ライヒ」の師団長となった。1945年3月9日、ハンガリーセーケシュフェヘールヴァールで激しく負傷。この時の負傷がもとで5月1日、バート・アウスゼーBad Aussee)の軍事病院において死去した。

参考文献

Yerger, Mark C. - Waffen-SS Commanders: Army, Corps, and Divisional Leaders, Vol.2 - Atglen, PA: Schiffer Military History, 1999