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[[義淵]]に師事して[[法相]]・[[華厳宗|華厳]]の教学を学び、はじめ[[元興寺]]に住し、のちに[[興福寺]]に移った。正しく授戒できる師の日本への招聘を[[舎人親王]]に建議し、[[733年]]([[天平]]5年)[[栄叡]]・[[普照]]を中国の[[唐]]に派遣して[[道璿]]・[[鑑真]]らの来日のきっかけをつくったと伝えられる。[[751年]]([[天平勝宝]]3年)律師に任じられ、翌[[752年]](天平勝宝4年)の[[東大寺]][[大仏]]開眼供養では華厳講師をつとめたが、[[755年]](天平勝宝7年)律師を辞任している。


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2020年8月25日 (火) 01:09時点における版

隆尊(りゅうそん、慶雲3年(706年) - 天平宝字4年閏4月18日760年6月9日)は、奈良時代

人物

義淵に師事して法相華厳の教学を学び、はじめ元興寺に住し、のちに興福寺に移った。正しく授戒できる師の日本への招聘を舎人親王に建議し、733年天平5年)栄叡普照を中国のに派遣して道璿鑑真らの来日のきっかけをつくったと伝えられる。751年天平勝宝3年)律師に任じられ、翌752年(天平勝宝4年)の東大寺大仏開眼供養では華厳講師をつとめたが、755年(天平勝宝7年)律師を辞任している。

関連項目