コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「シェルボーン・ホテル」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
地図の位置を定義部近くに上げる
Cewbot (会話 | 投稿記録)
7行目: 7行目:
== 歴史 ==
== 歴史 ==
[[File:Shelbourne-Hotel-Dublin-ca-1900.jpeg|thumb|250px|シェルボーン・ホテル、1900年ころ。着色は{{仮リンク|フォトクローム|en|Photochrom}}による。]]
[[File:Shelbourne-Hotel-Dublin-ca-1900.jpeg|thumb|250px|シェルボーン・ホテル、1900年ころ。着色は{{仮リンク|フォトクローム|en|Photochrom}}による。]]
シェルボーン・ホテルは、[[ティペラリー]]出身のマーティン・バーク (Martin Burke<!--英語版にある同名の人物とは別人。-->) が、ヨーロッパ最大級の庭園公園 (garden square) であった[[ダブリン]]の[[セント・スティーヴンス・グリーン]]を見下ろす場所に並んでいた3棟の[[タウンハウス (イギリス)#アイルランドのタウンハウス|タウンハウス]]を取得して、[[1824年]]に開業した。バークは、この新しい[[グランドホテル]]に、第2代[[シェルバーン伯爵]] (Earl of Shelburne) [[ウィリアム・ペティ (第2代シェルバーン伯)|ウィリアム・ペティ]]にちなんで、'''ザ・シェルボーン''' (The Shelbourne) と名付けた<ref name="people">{{cite book| first1=Michael| last1=O'Sullivan| first2=Bernardine| last2=O'Neill| title=The Shelbourne and its people| publisher=Blackwater Press| date=15 November 1999| isbn=978-1841314426}}</ref>。
シェルボーン・ホテルは、[[ティペラリー]]出身のマーティン・バーク (Martin Burke<!--英語版にある同名の人物とは別人。-->) が、ヨーロッパ最大級の庭園公園 (garden square) であった[[ダブリン]]の[[セント・スティーヴンス・グリーン]]を見下ろす場所に並んでいた3棟の[[タウンハウス (イギリス)#アイルランドのタウンハウス|タウンハウス]]を取得して、[[1824年]]に開業した。バークは、この新しい[[グランドホテル]]に、第2代[[シェルバーン伯爵]] (Earl of Shelburne) [[ウィリアム・ペティ (第2代シェルバーン伯)|ウィリアム・ペティ]]にちなんで、'''ザ・シェルボーン''' (The Shelbourne) と名付けた<ref name="people">{{cite book| first1=Michael| last1=O'Sullivan| first2=Bernardine| last2=O'Neill| title=The Shelbourne and its people| publisher=Blackwater Press| date=15 November 1999| isbn=978-1841314426}}</ref>。


[[1900年代]]はじめには、[[アドルフ・ヒトラー]]の異母兄[[アドルフ・ヒトラー#父母と兄弟|アロイス・ヒトラー・ジュニア(アロイス2世)]]が、ダブリン滞在中にこのホテルで働いていた<ref>{{cite web |title=Paddy, Bridget and Uncle Adolf -- meet the Irish Hitlers |work=[[:en:Irish Independent|Irish Independent]] |date=2012-02-26 |url=http://www.independent.ie/lifestyle/paddy-bridget-and-uncle-adolf-meet-the-irish-hitlers-26825755.html |accessdate=2016-10-31}}</ref>。
[[1900年代]]はじめには、[[アドルフ・ヒトラー]]の異母兄[[アドルフ・ヒトラー#父母と兄弟|アロイス・ヒトラー・ジュニア(アロイス2世)]]が、ダブリン滞在中にこのホテルで働いていた<ref>{{cite web |title=Paddy, Bridget and Uncle Adolf -- meet the Irish Hitlers |work=[[:en:Irish Independent|Irish Independent]] |date=2012-02-26 |url=http://www.independent.ie/lifestyle/paddy-bridget-and-uncle-adolf-meet-the-irish-hitlers-26825755.html |accessdate=2016-10-31}}</ref>。

2020年8月30日 (日) 23:11時点における版

シェルボーン・ホテル、2008年8月撮影。
地図
地図

シェルボーン・ホテル (Shelbourne Hotel) は、アイルランドダブリンにある有名なホテルで、市街地中心部の公園セント・スティーヴンス・グリーン英語版の北側に位置するランドマークとなっている。現在はマリオット・インターナショナルが運営しており、18か月かけた改修工事を経て2007年3月に営業再開されて以降は、265室の規模で営業している。マリオットの日本語サイトでは、ザ・シェルボーン・ダブリン・ア・ルネッサンス・ホテル (The Shelbourne Dublin, A Renaissance Hotel) と表記されている[1]

このホテルを設計したのはジョン・マカーディ (John McCurdy) で、建物の周囲に配置されたヌビアの王女たちと足枷をされた女奴隷たちを描いた4体の銅像は、パリのM・M・バルベゼ (M. M. Barbezet) の工房で鋳造されたものである。

歴史

シェルボーン・ホテル、1900年ころ。着色はフォトクローム英語版による。

シェルボーン・ホテルは、ティペラリー県出身のマーティン・バーク (Martin Burke) が、ヨーロッパ最大級の庭園公園 (garden square) であったダブリンセント・スティーヴンス・グリーンを見下ろす場所に並んでいた3棟のタウンハウスを取得して、1824年に開業した。バークは、この新しいグランドホテルに、第2代シェルバーン伯爵 (Earl of Shelburne) ウィリアム・ペティにちなんで、ザ・シェルボーン (The Shelbourne) と名付けた[2]

1900年代はじめには、アドルフ・ヒトラーの異母兄アロイス・ヒトラー・ジュニア(アロイス2世)が、ダブリン滞在中にこのホテルで働いていた[3]

1916年イースター蜂起の際には、アンドリュース大尉 (Captain Andrews) が指揮する40名のイギリス軍の部隊がホテルを占拠し、マイケル・マリン英語版が率いたアイルランド市民軍と義勇軍に対抗した[2]。別の説明では、ホテルに陣取ったイギリス軍部隊は100名以上で[4]4月25日の未明から、蜂起側が占拠していたセント・スティーヴンス・グリーンに対して機関銃ライフル銃で一斉射撃をおこない、多数の死傷者を出したとされる[5]

1922年には、アイルランド憲法が112号室で起草され、これにちなんでこの部屋はザ・コンスティテューション・ルーム(The Constitution Room:憲法の部屋)と称されるようになった[6]

2018年の11月と12月には、欧州サッカー連盟 (UEFA) が、各種のトーナメントにおける組み合わせ抽選をおこなう場所として、このホテルを使用した。

このホテルについては、歴史をまとめた本が2冊あり、エリザベス・ボウエンによる1951年の『The Shelbourne Hotel』と[7]、マイケル・オサリヴァン (Michael O'Sullivan) が、バーナーディン・オニール (Bernardine O'Neill) と共作して1999年にダブリンのブラックウォーター・プレスから出版した『The Shelbourne and its people』がある[2]

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』の中にも、このホテルへの言及がある (U 15.2994)。

脚注

  1. ^ ザ・シェルボーン・ダブリン・ア・ルネッサンス・ホテル”. Marriott International, Inc.. 2019年2月27日閲覧。
  2. ^ a b c O'Sullivan, Michael; O'Neill, Bernardine (15 November 1999). The Shelbourne and its people. Blackwater Press. ISBN 978-1841314426 
  3. ^ Paddy, Bridget and Uncle Adolf -- meet the Irish Hitlers”. Irish Independent (2012年2月26日). 2016年10月31日閲覧。
  4. ^ 1916 Rising: Dublin 2 street map”. The Irish Times. 2019年2月27日閲覧。
  5. ^ An Easter Rising timeline: Tuesday, April 25th, 1916”. The Irish Times (2016年4月25日). 2019年2月27日閲覧。
  6. ^ Lyons, Tom; McConnell, Daniel (12 February 2012). “FG insider briefs the top bankers at private dinner: Cox marks the card of corporate elite on crisis”. Irish Independent. http://www.independent.ie/business/irish/fg-insider-briefs-the-top-bankers-at-private-dinner-3017077.html 2017年7月31日閲覧。 
  7. ^ The Shelbourne Hotel”. Google Books. 2019年2月27日閲覧。:この本は、『The Shelbourne』として言及されることもある

関連項目

外部リンク

座標: 北緯53度20分20秒 西経6度15分22秒 / 北緯53.33893度 西経6.256092度 / 53.33893; -6.256092