「チャールズ・ボイル (第3代ダンガーヴァン子爵)」の版間の差分
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2020年8月30日 (日) 23:15時点における版
第3代ダンガーヴァン子爵 チャールズ・ボイル Charles Boyle, 3rd Viscount Dungarvan | |
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生年月日 | 1639年12月12日(受洗) |
没年月日 | 1694年10月12日(54歳没) |
配偶者 |
ジェーン・シーモア アレトゥーサ・バークレー |
親族 |
第2代サマセット公ウィリアム・シーモア (最初の義父) 初代バークレー伯爵ジョージ・バークレー (en) (2人目の義父) |
第3代ダンガーヴァン子爵チャールズ・ボイル(Charles Boyle, Viscount Dungarvan, 3rd Baron Clifford, FRS、1639年12月12日 受洗 - 1694年10月12日)は、イギリスの貴族で政治家。有名なアングロ・アイリッシュ[注 1] の家系に生まれた。
生い立ち
チャールズは1639年、初代バーリントン伯爵リチャード・ボイルとその妻エリザベスの子として生まれ、誕生の時から儀礼称号としてダンガーヴァン子爵 [注 2]を称していた。
経歴
1663年、繰上勅書により正式にダンガーヴァン子爵を承継しアイルランド貴族院議員となり、また翌年王立協会のフェローとなった。
1670年から79年までタムワース選挙区 (英語版) からイングランド庶民院議員に選出され、1679年以降はヨークシャー選出となった。1689年にはチャールズの父が1644年に創設したクリフォード・オブ・ローデンボロー男爵位を繰上勅書により承継し、イングランド貴族院議員となった。
1691年の母の死により、クリフォード男爵位を承継した。1694年、チャールズは父親より早く亡くなり、彼の爵位は長男のチャールズに承継された[2] :174 [3] 。
家族
チャールズは1661年5月7日、ジェーン・シーモア(1637年 - 1679年)と結婚した。彼女は、第2代サマセット公ウィリアム・シーモアとその妻フランセス (英語版) の四女だった。2人は5人の子をもうけた。
- チャールズ(1660年 - 1704年) - 後に第4代ダンガーヴァン子爵、さらに後に第3代コーク伯爵、第2代バーリントン伯爵となった。
- エリザベス(1662年 - 1703年) - またいとこの第4代バリーモア伯爵ジェームズ・バリーと結婚した。
- メアリー(1664年頃 - 1709年) - 第2代クイーンズベリー公爵ジェイムズ・ダグラスと結婚した。
- ヘンリー(1669年 - 1725年) - 後に初代カールトン男爵となった
- アラベラ(1671年頃 - 1750年) - 初代シェルバーン伯爵ヘンリー・ペティ (英語版) と結婚した。
1679年にジェーンが亡くなり、チャールズは1688年に初代バークレー伯爵ジョージ・バークレー (英語版) の娘アレトゥーサ(1664年 - 1743年)と結婚し、1人の子供をもうけた。
- アレトゥーサ(1688年生) - ジェームズ・ヴァーノンと結婚した。
チャールズは1694年10月12日に亡くなった。
系譜図
リチャード・ボイル 初代コーク伯爵 初代ダンガーヴァン子爵 (1566-1643) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
リチャード・ボイル 初代バーリントン伯爵 第2代コーク伯爵 第2代ダンガーヴァン子爵 (1612-1698) | ロジャー・ボイル 初代オーラリー伯爵 (1621-1679) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チャールズ・ボイル 第3代ダンガーヴァン子爵 (1639-1694) | リチャード・ボイル (1640年代-1665) | ロジャー・ボイル 第2代オーラリー伯爵 (1649-1682) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チャールズ・ボイル 第2代バーリントン伯爵 第3代コーク伯爵 第4代ダンガーヴァン子爵 (1660-1704) | ヘンリー・ボイル 初代カールトン男爵 (1669-1725) | ライオネル・ボイル 第3代オーラリー伯爵 (1671-1703) | チャールズ・ボイル 第4代オーラリー伯爵 (1674-1731) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
リチャード・ボイル 第3代バーリントン伯爵 第4代コーク伯爵 第5代ダンガーヴァン子爵 (1694-1753) | ヘンリエッタ・ハミルトン (-1732) | ジョン・ボイル 第5代コーク伯爵 第5代オーラリー伯爵 第6代ダンガーヴァン子爵 (1707-1762) | マーガレット・ハミルトン (1710-1758) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ハミルトン・ボイル 第6代コーク伯爵 第6代オーラリー伯爵 第7代ダンガーヴァン子爵 (1729-1764) | エドマンド・ボイル 第7代コーク伯爵 第7代オーラリー伯爵 第8代ダンガーヴァン子爵 (1742-1798) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注釈
脚注
- ^ The Anglo-Irish, Fidelma Maguire, University College Cork and Donnchadh Ó Corráin 2017年5月29日閲覧
- ^ John Lodge (英語版) , Mervyn Archdall (英語版) . "The peerage of Ireland; or, A genealogical history of the present nobility of that kingdom .." Dublin, J. Moore (1789) vol.1 2017年5月29日閲覧
- ^ The Peerage Charles Boyle, 2nd Baron Clifford of Lanesborough 2017年5月29日閲覧
議会 | ||
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先代 ジョン・スウィンフェン ジョン・フェルラーズ (英語版) |
タムワース選挙区選出 イングランド庶民院議員 with ジョン・スウィンフェン 英語版 1670年 - 1679年 |
次代 ジョン・スウィンフェン トマス・ティン (英語版) |
先代 コニャーズ・ダーシー (英語版) トマス・スリングスビー (英語版) |
ヨークシャー選挙区選出 イングランド庶民院議員 with ヘンリー・フェアファクス (英語版) 1679-1685, ジョン・カイエ 1685- 1679年 - 1689年 |
次代 ジョン・カイエ トマス・フェアファクス (英語版) |
アイルランドの爵位 | ||
先代 リチャード・ボイル |
ダンガーヴァン子爵 (繰上勅書) 1663年 - 1694年 |
次代 チャールズ・ボイル |
イングランドの爵位 | ||
先代 リチャード・ボイル |
クリフォード・オブ・レーンズボロー男爵 (繰上勅書) 1689年 - 1694年 |
次代 チャールズ・ボイル |
先代 エリザベス・ボイル |
クリフォード男爵 1691年 - 1694年 |