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[[時事新報]]、[[読売新聞]]の記者を経て{{R|物故}}{{R|gisyuu}}官界に転じ、[[逓信大臣]][[秘書官]]、[[司法大臣]]秘書官、[[企画院|綜合計画局]]参事官、[[戦災復興院]]事務官、[[建設省]]弘報課長、[[事務次官等の一覧#内閣府事務次官|総理府総務副長官]](事務)を歴任{{R|物故}}{{R|gisyuu}}。臨時恩給等調査会委員、南方同胞援護会設立委員、中央青少年問題協議会副会長、[[日本民主党]]事務局長、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]事務局長も務めた{{R|物故}}{{R|gisyuu}}。


[[第28回衆議院議員総選挙|1958年(昭和33年)の衆議院総選挙]]で[[岡山県第2区 (中選挙区)|岡山県第2区]]から自民党公認で出馬するが次々点で落選(ちなみに次点は[[藤井勝志]])<ref name=国政>『国政選挙総覧 1947-2016』306頁。</ref>、[[第29回衆議院議員総選挙|1960年(1935年)の総選挙]]でトップ当選して衆議院議員となるが{{R|国政}}、この時大規模な[[選挙違反]]を起こして運動員や妻が検挙される。藤原本人も逮捕されて[[公職選挙法]]違反容疑で起訴、裁判は1965年(昭和40年)3月13日に[[広島高等裁判所]]岡山支部で懲役1年6ヵ月、執行猶予4年の有罪判決が下り<ref>『最高裁判所裁判集 刑事第159号』439、454頁。</ref>、1966年(昭和41年)4月21日に[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第1小法廷(裁判長[[岩田誠]])で上告棄却の判決を受けて有罪が確定した<ref>『最高裁判所裁判集 刑事第159号』439、442頁。</ref>。このため再選を狙ったの[[第30回衆議院議員総選挙|1963年(昭和38年)の総選挙]]では自民党の公認を得られず次点で落選、有罪判決確定後の[[第32回衆議院議員総選挙|1969年(昭和42年)総選挙]]にも出馬したが次々点にも届かずに落選している<ref>『国政選挙総覧 1947-2016』307頁。</ref>。


衆議院議員在任中は、国土開発審議会委員、自民党教育部長兼宗教部長、同中小企業労働部長、同内閣副部会長、同中国地方開発副委員長、同北海道開発副委員長などを歴任。議員退職後は、自民党前議員会専務理事の座にあった{{R|gisyuu}}。
衆議院議員在任中は、国土開発審議会委員、自民党教育部長兼宗教部長、同中小企業労働部長、同内閣副部会長、同中国地方開発副委員長、同北海道開発副委員長などを歴任。議員退職後は、自民党前議員会専務理事の座にあった{{R|gisyuu}}。

2020年9月26日 (土) 12:40時点における版

藤原 節夫(ふじわら せつお、1906年明治39年〉11月10日[1] - 1992年平成4年〉4月17日[2])は、昭和期の新聞記者、官僚政治家衆議院議員総理府総務副長官(事務担当)。

経歴

岡山県出身[2][3][注 1]。1932年(昭和7年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業した[2][3]

時事新報読売新聞の記者を経て[2][3]官界に転じ、逓信大臣秘書官司法大臣秘書官、綜合計画局参事官、戦災復興院事務官、建設省弘報課長、総理府総務副長官(事務)を歴任[2][3]。臨時恩給等調査会委員、南方同胞援護会設立委員、中央青少年問題協議会副会長、日本民主党事務局長、自由民主党事務局長も務めた[2][3]


衆議院議員在任中は、国土開発審議会委員、自民党教育部長兼宗教部長、同中小企業労働部長、同内閣副部会長、同中国地方開発副委員長、同北海道開発副委員長などを歴任。議員退職後は、自民党前議員会専務理事の座にあった[3]

栄典

1979年(昭和54年)旭日中綬章受賞[要出典]。1992年(平成4年)従四位[要出典]

著作

  • 『祖国によせる三つの希い:憲法改正国土開発PR 私の履歴書』政経墾談会、1976年。

脚注

注釈

  1. ^ 『最高裁判所裁判集 刑事第159号』439頁では本籍笠岡市大河。

出典

  1. ^ 『最高裁判所裁判集 刑事第159号』439頁。
  2. ^ a b c d e f 『現代物故者事典 1991~1993』521頁。
  3. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』557頁。

参考文献

  • 『最高裁判所裁判集 刑事第159号:昭和41年4月-6月』(国立国会図書館所蔵)
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『現代物故者事典 1991~1993』日外アソシエーツ株式会社、1994年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。