コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「小川とわ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
外部リンク: デフォルトソート内の空白を全角空白から半角空白に変えました
テンプレ追加。記事冒頭の定義文の姓と名の間に半角空白を追加。なぜか生年のあとに全角空白が混在しているため修正。定義文に「トンボ鉛筆会長」と書かれているが明らかに虚偽のため修正。会長在任時(1957年 - 1964年)はまだ「株式会社トンボ鉛筆」は存在しない。等
1行目: 1行目:
{{出典の明記|date=2020年9月}}
'''小川とわ'''(1895年10月10日 - 1964年5月25日)は[[トンボ鉛筆]]創立者である小川春之助の妻で、夫の事業を支え続け、夫の死後はトンボ鉛筆の会長を務めた。
{{Infobox 人物
|氏名 = 小川 とわ
|ふりがな = おがわ とわ
|画像 =
|画像サイズ =
|画像説明 =
|生年月日 = [[1895年]][[10月10日]]
|生誕地 = {{Flagicon|JPN}} [[東京府]][[東京市]]
|没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1895|10|10|1964|5|25}}
|死没地 =
|職業 = 実業家
|国籍 = {{JPN}}
|出身校 =
|配偶者 = 小川春之助(夫)
|子供 = 小川八郎(長男)<br />小川浩平(二男)<br />小川隆司(三男)
|親 =
|親戚 = 小川作太郎(義父)
}}
'''小川 とわ'''(1895年10月10日 - 1964年5月25日)は、[[日本]]の[[実業家]]。[[位階]]は[[従六位]]。[[勲等]]は[[勲五等]]。

[[トンボ鉛筆|株式会社トンボ鉛筆製作所]][[会長]](第2代)などを歴任した。

== 概要 ==
[[トンボ鉛筆]]創立者である小川春之助の妻で、夫の事業を支え続け、夫の死後はトンボ鉛筆の会長を務めた。


== 生涯 ==
== 生涯 ==
9行目: 33行目:


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
{{Reflist}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
16行目: 41行目:


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

* [https://www.tombow.com/100th/ トンボ鉛筆創立100年周年記念サイト]
* [https://www.tombow.com/100th/ トンボ鉛筆創立100年周年記念サイト]


{{Start box}}
{{S-bus}}
{{Succession box
| title = [[トンボ鉛筆|株式会社トンボ鉛筆製作所会長]]
| years = 第2代:[[1957年]] - [[1964年]]
| before = [[小川作太郎]]
| after = (廃止)
}}
{{End box}}
{{People-stub}}
{{Normdaten}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:おかわ とわ}}
{{デフォルトソート:おかわ とわ}}
[[Category:女性実業家]]
[[Category:女性実業家]]
[[Category:従六位受位者]]
[[Category:従六位受位者]]

2020年9月26日 (土) 13:16時点における版

おがわ とわ

小川 とわ
生誕 1895年10月10日
日本の旗 東京府東京市
死没 (1964-05-25) 1964年5月25日(68歳没)
国籍 日本の旗 日本
職業 実業家
配偶者 小川春之助(夫)
子供 小川八郎(長男)
小川浩平(二男)
小川隆司(三男)
親戚 小川作太郎(義父)
テンプレートを表示

小川 とわ(1895年10月10日 - 1964年5月25日)は、日本実業家位階従六位勲等勲五等

株式会社トンボ鉛筆製作所会長(第2代)などを歴任した。

概要

トンボ鉛筆創立者である小川春之助の妻で、夫の事業を支え続け、夫の死後はトンボ鉛筆の会長を務めた。

生涯

1895年(明治28年)10月10日、東京芝に生まれる[要出典]明治45年、17歳で、小川春之助に嫁ぐ[要出典]夫の父小川作太郎は鉛筆を作る職人で[要出典]親族にも鉛筆業者が多かった[要出典]1913年大正2年)夫、春之助が浅草に「小川春之助商店」を開業[要出典]当初は文房具を扱っていたが[要出典]次第に鉛筆の製造販売に注力していく[要出典]とわは家事育児の傍ら、会社の計理を担当すると共に[要出典]トンボ鉛筆黎明期には店の評判を工夫する、販売促進や宣伝も担当した[要出典]

夫との間に3男4女をもうけた[1]。息子たちは家業を支え、長男 小川八郎、次男 小川浩平、三男 小川隆司は順に社長を務めた[2]

夫の死後、執筆した著書『蜻蛉日記(せいれいにっき)ーえんぴつと共に五十年ー』(朝日書院、1964年)では、本人の人生と不可分だったトンボ鉛筆創成期からの50年の歴史を知ることができる。本を書き上げた後、刊行直前の1964年5月25日に死去。従六位勲五等瑞宝章を追贈された[2]

脚注

  1. ^ 『蜻蛉日記』156ページ、『トンボ鉛筆100年史』35、39、58ページ
  2. ^ a b トンボ鉛筆100年史 | ebook5”. my.ebook5.net. 2020年9月26日閲覧。

参考文献

  • 『蜻蛉日記(せいれいにっき)ーえんぴつと共に五十年ー』朝日書院 1964年
  • 『トンボ鉛筆100年史』トンボ鉛筆 2013年

外部リンク

ビジネス
先代
小川作太郎
株式会社トンボ鉛筆製作所会長
第2代:1957年 - 1964年
次代
(廃止)