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2009年度のナイターオフ期間には、『MBSたびぐみ』で水曜日のパーソナリティを担当。「水曜は鉄どうでしょう」をテーマに、自らの乗車・取材経験を交えながら、鉄道に対する知識や見識を存分に披露した。<ref>[[2009年]][[12月31日]]に放送された『[[MBSうたぐみ Smile×Songs]]』との合同特別番組『MBSたびぐみ×うたぐみ ゆく年くる年』では、[[日本海 (列車)|寝台特急「日本海」]]車内からの生中継を予定していた。馬野自身にとっても1,000kmを超える初めての長旅になるはずだったが、当日の悪天候で同号が運休。中継自体が中止になった。その後、2009年度の『MBSたびぐみ』最終放送(2010年3月24日)で、大阪発札幌行きの[[トワイライトエクスプレス]]に乗車した模様を報告している。</ref> 2010年度の同番組でも、「レールウェイ・パーソナリティ」と称しながら、引き続き水曜日のパーソナリティを担当。2011年度には、「レールウェイ・ジャーナリスト」との肩書で金曜日のパーソナリティを務めていた。
2009年度のナイターオフ期間には、『MBSたびぐみ』で水曜日のパーソナリティを担当。「水曜は鉄どうでしょう」をテーマに、自らの乗車・取材経験を交えながら、鉄道に対する知識や見識を存分に披露した。<ref>[[2009年]][[12月31日]]に放送された『[[MBSうたぐみ Smile×Songs]]』との合同特別番組『MBSたびぐみ×うたぐみ ゆく年くる年』では、[[日本海 (列車)|寝台特急「日本海」]]車内からの生中継を予定していた。馬野自身にとっても1,000kmを超える初めての長旅になるはずだったが、当日の悪天候で同号が運休。中継自体が中止になった。その後、2009年度の『MBSたびぐみ』最終放送(2010年3月24日)で、大阪発札幌行きの[[トワイライトエクスプレス]]に乗車した模様を報告している。</ref> 2010年度の同番組でも、「レールウェイ・パーソナリティ」と称しながら、引き続き水曜日のパーソナリティを担当。2011年度には、「レールウェイ・ジャーナリスト」との肩書で金曜日のパーソナリティを務めていた。


[[2010年]][[5月27日]]の『ちちんぷいぷい』で[[京都市電]]の[[レール]]が[[京都市営地下鉄]]・[[烏丸御池駅]]で発売されることが放送された。そこで、番組が馬野にこのことについて聞いたところ、「レールのカーブの部分がたまらないですよね」と答えた。スタジオにいた出演者達は「わからない」と言っていた。[[2011年]][[6月]]には、プロ野球中継で訪れた[[富山県]]において、[[富山ライトレール]]と[[万葉線]]の[[路面電車]]に乗車。日本国内で路面電車を運営する20事業体保有の路線をすべて踏破した<ref>ただし、一部の事業体の路線では、一部区間にしか乗車していない。</ref>。
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2020年9月27日 (日) 09:11時点における版

うまの まさゆき
馬野 雅行
プロフィール
出身地 日本の旗東京都品川区
国籍 日本
生年月日 (1965-07-12) 1965年7月12日(58歳)
最終学歴 日本大学芸術学部
勤務局 毎日放送
部署 アナウンサー室
活動期間 1989年 -
ジャンル スポーツ報道番組
公式サイト プロフイール
出演番組・活動
出演中 プロ野球阪神タイガース戦実況
各種スポーツ実況
あどりぶラヂオ
出演経歴VOICE
MBSナウ
MBSたびぐみ とっておき旅ラジオ
with…夜はラジオと決めてます』火曜日

馬野 雅行(うまの まさゆき、1965年7月12日 - )は、毎日放送(MBS)所属のアナウンサーで、同局のアナウンス部長。

来歴・人物

東京都品川区出身。東京都立三田高等学校卒業。毎日放送と同じJNN系列・東北放送(TBC)のアナウンサー、ニッポン放送(LF)のスポーツアナウンサーであった深澤弘の実況を聴いたことをきっかけに、アナウンサーへの道を志す。

大学生時代には、日本テレビスポーツ部のアルバイトとして、プロ野球中継のビデオ再生を担当。その縁で、徳光和夫とも関わりがあった[1]日本大学芸術学部を卒業後の1989年に、アナウンサーとして毎日放送へ入社。同期入社のアナウンサーに来栖正之、テレビプロデューサーで東京支社制作部チーフプロデューサーの越智暁がいる。

毎日放送へ入社後は、スポーツ中継の実況・リポーターを担当するかたわら、テレビ・ラジオの報道番組にも出演。同局が制作に協力した「阪神タイガースオリジナルDVDブック 猛虎烈伝」では、先輩アナウンサーの森本栄浩とともに、DVD映像のナレーションを務めている。また、バレーボールC級審判員の資格を有する。入社2年目の1990年には、毎日放送千里丘放送センター(旧本社)では最後のラジオニュース(8月31日の『毎日ニュース』最終版)と、現在の本社(大阪市北区茶屋町)では最初のラジオニュース(9月1日早朝の『毎日ニュース』)を担当[2]した。

1994年9月から1997年9月までの3年間は、平日夕方のニュース番組『MBSナウ』のキャスターを担当。後継番組の『VOICE』でも、2006年4月から2009年3月までの3年間にわたって、メインキャスターを務めていた。いずれの番組も、スポーツアナウンサーとしての活動と並行させていた関係で、担当日は週2~3日であった。

『MBSナウ』キャスター時代の1994年9月4日には、MBSテレビで放送された関西国際空港の開港記念特別番組で、一番機(グアム便)離陸の瞬間を実況。1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、発生当日の昼から夜まで、MBSテレビJNN報道特別番組のメインキャスターを担当。放送中にたびたび起こった余震の様子を的確に伝えたほか、同日午後に回線トラブルからネット出し回線が途切れた際も冷静に対応した。

スポーツ中継・報道以外の番組では、「西日本一の鉄道アナ」「レールウェイ・パーソナリティ」「レールウェイ・ジャーナリスト」を自認するほどの鉄道ファンとして有名(後述)。MBSテレビ制作の全国ネット番組『情熱大陸』では、2013年の放送から、提供クレジットに馬野のアナウンス音源が使われている。また、後輩アナウンサーの松井愛と共に、松田聖子の熱烈なファンであることを公言。学生時代に松田の主演映画「野菊の墓」の一般公募オーディションを受けていたほか、毎日放送への入社後は、パーソナリティを務めるラジオ番組(『あどりぶラヂオ』など)で松田の楽曲だけを流すこともある。

その一方で、近年はアナウンサーの管理業務にも従事。アナウンス部のデスク、局次長、マネジャーを経て、2019年6月の人事異動でアナウンス部長へ就任した(関岡香の後任)。

世界陸上での活動

TBS制作の世界陸上中継では、2001年カナダ大会2003年パリ大会に、毎日放送を代表する形で参加。砲丸投円盤投ハンマー投やり投の実況を担当した。

地元・大阪で2007年に開催された世界陸上大阪大会では、『VOICE』のキャスターとプロ野球の実況を担当していた関係で、実況に加われなかった。ただし、『VOICE』が放送されない9月2日日曜日)の閉会式では、会場(長居スタジアム)で司会を務めた。

スポーツ実況

プロ野球では、テレビ・ラジオとも、長年にわたって阪神タイガースの公式戦を中心に実況やベンチリポーターを担当。『VOICE』で月~水曜日のメインキャスターを務めた時期にも、木~日曜日の中継に登場していた。

2002年にTBS系列で長居スタジアムからサッカーキリンチャレンジカップ日本代表×ウクライナ代表を中継した際には、日本代表サイドのリポーターを担当。2004年に開催された男子ゴルフダンロップフェニックストーナメントでは、毎日放送がTBS系列全国ネット向けのテレビ中継を制作していた関係で、最終日中継のメイン実況担当としてタイガー・ウッズの日本ツアー初優勝の瞬間を伝えた。

また、4期先輩の森本栄浩と同様に、バレーボールの実況も随時担当。2002年アジア競技大会では、日本国内でのテレビ中継権をTBSテレビが保有していた関係で、毎日放送を代表して開催地の釜山へ派遣されると、バレーボール中継の実況を任された。

2006年10月21日には、昼間にマスターズゴルフ倶楽部(兵庫県三木市)で女子プロゴルフ(マスターズGCレディース予選)のテレビ実況を担当してから、ナゴヤドームに移動。プロ野球日本シリーズ・第1戦(ナイトゲーム)のラジオ中継で、6回表から試合終了まで実況を務めた(試合開始から5回裏までは同僚アナウンサーの仙田和吉が実況)。翌22日には、同ゴルフ倶楽部に戻ったうえで、マスターズGCレディース決勝のテレビ中継で実況を務めている。

さらに、毎日放送グループ(MBSテレビ・ラジオ・GAORA)が「with Tigers」キャンペーンの一環で協賛していた阪神主催公式戦の地上波テレビ・ラジオ・CS同時中継(阪神甲子園球場)では、2013年4月13日(対横浜DeNAベイスターズ戦)でGAORA(CS)中継分、2015年4月19日(対読売ジャイアンツ戦)でMBSテレビ(地上波)中継分の実況を担当。2015年のテレビ中継では、5回裏にマウロ・ゴメス(同年から阪神に在籍する内野手)の甲子園初ホームラン(2点本塁打)の瞬間を伝えた[3]

鉄道ファン

中学生時代の1980年に、小田急電鉄の「アユ電」(毎年6月1日に行われる鮎漁の解禁に合わせて前日の5月31日の深夜に運転された列車)に関する取材記事を雑誌『鉄道ファン』へ寄稿するなど、根っからの鉄道ファンである。関西では「鉄道ファンのアナウンサー」として知られている。

毎日放送へ入社後は、ニュース原稿で使われていた「鉄道マニア」という表現を、報道局に直訴して「鉄道ファン」に変えさせた。以降のMBSニュースでは、テレビ・ラジオとも「鉄道マニア」という表現を使わなくなった。

もっとも、馬野自身は毎日放送への入社当初、鉄道ファンであることをあえて公にしなかった。鉄道ファンに対する風当たりが現在以上に強かった当時の風潮に配慮していたとのことで、当時の先輩アナウンサーで鉄道ファンの子守康範との間で、ひそかに鉄道談義を繰り広げる程度にとどめていたという。しかし、『あどりぶランド』(当時放送されていたアナウンサー総出演のテレビ番組)の鉄道関連ロケで、鉄道に詳しくないにもかかわらず取材を任されたアナウンサーの(馬野や子守のような鉄道ファンにとって)要領を得ない報告に接したことから、子守と揃って一念発起。鉄道ファンであることを出演番組で打ち出すとともに、鉄道関連の取材を一手に引き受けるようになったという。 ちなみに、子守のフリーアナウンサー転身後(2004年5月30日)にMBSラジオで放送された『月極ラジオ』でも、子守との間で熱い鉄道談義を展開。その内容が鉄道ファンの共感を呼んだうえに、リスナーの反応も良かったことから、2005年2月27日の同番組や2009年12月16日の『MBSたびぐみ』水曜日でも同様の内容で放送が実現している。

2008年に廃止された寝台急行銀河号のラストラン乗車券を偶然手に入れることができ、B寝台で最後の旅を経験している。この模様は、MBSテレビの情報番組『ちちんぷいぷい』で大々的に放送された。

2009年度のナイターオフ期間には、『MBSたびぐみ』で水曜日のパーソナリティを担当。「水曜は鉄どうでしょう」をテーマに、自らの乗車・取材経験を交えながら、鉄道に対する知識や見識を存分に披露した。[4] 2010年度の同番組でも、「レールウェイ・パーソナリティ」と称しながら、引き続き水曜日のパーソナリティを担当。2011年度には、「レールウェイ・ジャーナリスト」との肩書で金曜日のパーソナリティを務めていた。

2010年5月27日の『ちちんぷいぷい』で京都市電レール京都市営地下鉄烏丸御池駅で発売されることが放送された。そこで、番組が馬野にこのことについて聞いたところ、「レールのカーブの部分がたまらないですよね」と答えた。スタジオにいた出演者達は「わからない」と言っていた。2011年6月には、プロ野球中継で訪れた富山県において、富山ライトレール万葉線路面電車に乗車。日本国内で路面電車を運営する20事業体保有の路線をすべて踏破した[5]

トワイライトエクスプレスJR西日本大阪駅-札幌駅間で運行していた寝台特急列車)の最終運行日になった2015年3月12日(木曜日)には、札幌発上り列車の発車時刻(14:06)が『ちちんぷいぷい』の第1部(北海道放送との同時ネットパート)と重なったことから、札幌駅ホームからの生中継リポーターとして発車の瞬間を実況。空路での帰阪を経て、翌13日(金曜日)には、大阪駅のホームでこの列車が到着(12:55)した模様を取材した。当日の同番組第1部では、その模様の報告を兼ねて、北陸新幹線(JR西日本が翌々日から営業運転を開始)の解説をスタジオで担当した。

その一方で、2017年3月までは、「毎日新聞」大阪本社発行版に月に1回のペースで「線路はつづくよ」というコラムを執筆[6]。休日には、阪急電鉄の車掌アナウンス研修にアドバイザーとして関わったり、同社内のアナウンスコンクールで審査員を務めたりしている。2019年2月6日放送分の『ちちんぷいぷい』では、10年以上にわたって審査に携わる阪急電鉄社内での車掌コンテストの模様を、日本国内のテレビ番組で初めて紹介した。

現在の担当番組

テレビ・ラジオのスポーツ中継

※1990年3月28日の第62回選抜高等学校野球大会1回戦・高松商×鳥取西戦のラジオ中継で実況デビュー。以降は、プロ野球ゴルフ陸上競技バレーボールなどの中継で実況を担当している。アナウンス部長への就任後も担当を継続しているが、就任2年目の2020年には、例年に比べて担当の機会を減らしている。
※プロ野球では、1990年10月4日の近鉄×ダイエー戦(藤井寺球場)のラジオ中継から実況を担当。2003年5月9日横浜×阪神戦(横浜スタジアム)ラジオ中継では、3回表に阪神の濱中治片岡篤史およびジョージ・アリアスが3者連続本塁打(平成の3連発)を放った瞬間を実況した。
※CS放送のGAORAでは、主に選抜高校野球やバレーボール中継の実況を担当している。
JNN(全国)ネット実況は、男子ゴルフダンロップフェニックストーナメントMRTと共同制作)。その他には、2015年よりTHE QUEENS presented by KOWA(前身である日韓女子プロゴルフ対抗戦2007年2009年の実況も担当)とではメイン実況。ヴァーナルレディース→フンドーキンレディース(現・ほけんの窓口レディース)(RKB毎日放送制作・2008年より)やサン・クロレラクラシック北海道放送制作・2012年より)ではホール担当として出演した事がある。プロ野球実況に関しては2006年頃まで甲子園球場で行われている阪神×巨人戦の全国ネット実況を担当していたが、現在はローカル中心(2016年4月26日に中継の同カードにて約10年ぶりに全国ネット実況を務めた)。男子ゴルフつるやオープン1998年から2009年まで、LPGAミズノクラシック(現・TOTOジャパンクラシック)2009年から2014年まで、ほけんの窓口レディースRKB毎日放送制作)では2017年度までメイン実況を担当。

テレビ

※鉄道関係の中継・取材で不定期出演。2010年1月から3月までは、『MBSたびぐみ』水曜日のテレビ版として、「週末ウォーカー」(金曜日のVTR取材コーナー)を隔週で担当していた。担当期間の終了後も、鉄道関係の話題を扱う場合には、スタジオで解説役を担当。2017年度からは、「行けばわかるさ 絶景散歩」(金曜日第1部のロケコーナー)のリポーターを毎日放送のアナウンサーが毎週交互に務める関係で、鉄道関連の絶景にちなんだ企画の立案・リポート・スタジオ報告を一手に担うことがある。ちなみに、いずれの企画でも、VTRを紹介する場合には車掌風の口調による「VTR、出発進行!」というコールを必ず入れている。
※2010年1月26日(火曜日)には、番組初のCD「すごくおいしいうた」(ベストアルバム、同月20日全国発売)に関する特別企画で、毎日放送本社1階アトリウムからの生中継に出演。同アルバムのオリコン・ウィークリーアルバムチャート初登場順位発表の模様を伝えた。以降も、番組プロデュースのCDシングルを出すたびに、「ミスター緊張感」との称号を受けながら同様の趣旨でオリコンチャート初登場の順位を発表している。
※2019年10月1日から、「Newsミント!」(『MBSナウ』『VOICE』の流れを汲む関西ローカルニュースパート)と「今日のニュース 大事なトコロに赤えんぴつ」(同年3月まで『VOICE』を放送していた18時台に新設されたニュースパート)の火曜分でニュースナレーターを担当。他のコーナーのナレーションや、ロケリポートで出演することもある。
※2020年4月3日からは、「密着 朝駆け夜討ち」(金曜日18時台の密着取材企画)取材VTRのナレーションも担当。『おうちにいようよ(→あしたのために) ちちんぷいぷい&ミント!』(新型コロナウイルスへの感染拡大防止策の一環で2020年4月20日から5月29日まで編成)では同コーナーが放送されないため、火曜日に「Newsミント!」のニュースナレーター、金曜日に「聞いてよ大吉!今日の拡散希望さん」(後輩の大吉洋平が進行する特別企画)のナレーターを務めている。
  • 痛快!明石家電視台
    • 2006年10月1日放送分の「痛快!明石家電視台 in 韓国・済州島 サン様ファミリー大集合スペシャル」で、「明石家ビッグ3ゴルフ」の実況を担当した。
    • 2014年以降は、年に1~2回放送される「MBSアナウンサー大集合スペシャル」に、アナウンサーの1人として出演している。「MBSアナウンサー26人大集合スペシャル」(2014年4月7日放送分)では、「鉄道ファン」として知られる中川家・礼二の前で電車の車内アナウンス、2016年の「MBSアナウンサースペシャル第1弾」(同年8月8日放送分)では即興で実況を披露した。
  • MBSニュース(不定期・プロ野球シーズンでも担当)
  • コトノハ図鑑→「へぇ~のコトノハ」(不定期)
    • 所属する毎日放送アナウンサー室の企画で、2018年7月から2020年3月まで『コトノハ図鑑』(事前収録のレギュラー番組)として放送された後に、2020年4月改編から『ちちんぷいぷい』月・水曜日のレギュラーコーナー「へぇ~のコトノハ」へ移行。
    • 2018年10月15日放送分の『コトノハ図鑑』では、「鉄道のコトノハ」(自身の提案による調査企画)で、後輩の高井美紀と共に南海電気鉄道の研修センターを取材した。

ラジオ

  • MBSベースボールパーク(前身の『毎日放送ダイナミックナイター』→ 『MBSタイガースナイター』→ 『MBSタイガースライブ』時代から実況・ベンチリポーターを担当)
  • MBSニュース(不定期、プロ野球シーズンでも担当)
    • 宿直勤務も随時担当。『子守康範 朝からてんコモリ!』が午前5時から放送されていた時期(2009年4月 - 2019年6月)には、5時台で放送していた『子守康範 朝からてんコモリ! 5時ですよ~』に定時ニュースを内包していたため、宿直勤務の一環で当該時間帯のニュースを読み終えた後に、子守との間で鉄道談議を繰り広げることが多かった。
  • あどりぶラヂオ(2018年4月 - )
    • 1993年4月から出演していた『ヤンタンMUSICネトランジェ』の終了(同年12月)以来およそ24年振りに、深夜の生放送番組でパーソナリティを担当。不定期ながら、プロ野球シーズン中にも出演することがある。

この他にも、新型コロナウイルスへの感染拡大を背景に2020年4月から放送されているステーションジングル「心のおまもり MBSラジオ」のアナウンスも担当。

過去の担当番組

テレビ

ラジオ

以下の番組では、現在の同僚アナウンサーでもある古川圭子とレギュラーで共演。

関連人物

脚注

  1. ^ 2007年9月11日” (2007年9月11日). 2018年7月10日閲覧。
  2. ^ いずれも、アナウンサー室の宿直勤務の一環で担当。
  3. ^ ヤクルトの左翼手ウラディミール・バレンティンは、ゴメスの打球が自身の左頭上を大きく越えるほど飛んでいたにもかかわらず、ゆっくりと後退しながら捕球の仕草を見せた。
  4. ^ 2009年12月31日に放送された『MBSうたぐみ Smile×Songs』との合同特別番組『MBSたびぐみ×うたぐみ ゆく年くる年』では、寝台特急「日本海」車内からの生中継を予定していた。馬野自身にとっても1,000kmを超える初めての長旅になるはずだったが、当日の悪天候で同号が運休。中継自体が中止になった。その後、2009年度の『MBSたびぐみ』最終放送(2010年3月24日)で、大阪発札幌行きのトワイライトエクスプレスに乗車した模様を報告している。
  5. ^ ただし、一部の事業体の路線では、一部区間にしか乗車していない。
  6. ^ MBSアナブログ 馬野雅行オフィシャルブログ2017年8月25日付記事「5年ぶり」
  7. ^ 入社1年目で出演したが、当時の上司・角淳一から、放送終了後に準備不足を厳しく指摘されたという(2010年2月10日放送の『MBSたびぐみ』での馬野本人の述懐より)。
  8. ^ 復帰した2013年2月19日放送分および、火曜日の最終放送(同年3月26日)での発言より。

外部リンク