「新吉久停留場」の版間の差分
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'''新吉久停留場'''(しんよしひさていりゅうじょう)は、[[富山県]][[高岡市]]吉久にある[[万葉線 (企業)|万葉線]][[万葉線高岡軌道線|高岡軌道線]]の[[鉄道駅|駅]](停留場)。[[富山県道350号堀岡新明神能町線]]の[[併用軌道]]区間に設置されている。 |
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高岡市衛生公社(TEK)のリサイクルセンターがほぼ正面に位置しており、'''TEK リサイクルセンター前'''(ティイーケーリサイクルセンターまえ)という副駅名がある。 |
高岡市衛生公社(TEK)のリサイクルセンターがほぼ正面に位置しており、'''TEK リサイクルセンター前'''(ティイーケーリサイクルセンターまえ)という副駅名がある。 |
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== 関連項目 == |
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2020年9月27日 (日) 09:13時点における版
新吉久停留場 | |
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新吉久停留場の電車のりば | |
しんよしひさ Shinyoshihisa (TEK リサイクルセンター前) | |
◄能町口 (0.5 km) (0.7 km) 吉久► | |
所在地 | 富山県高岡市吉久 |
所属事業者 | 万葉線 |
所属路線 | 高岡軌道線 |
キロ程 | 6.0 km(高岡駅起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1951年(昭和26年)4月1日 |
新吉久停留場(しんよしひさていりゅうじょう)は、富山県高岡市吉久にある万葉線高岡軌道線の駅(停留場)。富山県道350号堀岡新明神能町線の併用軌道区間に設置されている。
高岡市衛生公社(TEK)のリサイクルセンターがほぼ正面に位置しており、TEK リサイクルセンター前(ティイーケーリサイクルセンターまえ)という副駅名がある。
構造
相対式ホーム2面2線の地上駅。のりばは下り(越ノ潟駅方面)が上屋のあるスロープ付ホームであるのに対し、上りは路面に白線の枠の中を水色でペイントされただけの簡易なものであり、上屋はない[1]。電車の交換が可能である。
ペイント式ホームによる事故
新吉久、吉久、片原町の停留場は道幅が狭いためにペイント式の停留場であり、そのため利用者が通行する車にはねられる事故がたびたび起こっている。新吉久では2008年(平成20年)2月に死亡事故、2013年(平成25年)9月には重体事故、片原町でも2015年(平成27年)11月に車にはねられる事故が起こっており、利用者の安全確保が問題となっていた[2]。これを受け停留場付近の道路を拡幅することとなり、2017年(平成29年)の夏頃をめどに停留場をかさ上げしホームを設ける予定とし[2]、これまで事故が多く道路拡幅可能な下り側のみホームをかさ上げし、同年7月3日より供用開始した。上りホームは道路拡幅が難しくこれまでどおりペイントのみのホームとなる。整備費用は約1,100万円である[1]。また副駅名として「TEK リサイクルセンター前」と命名された。
周辺
歴史
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 富山地方鉄道の米島口 - 新湊(現六渡寺)間の開業により中間駅として開設。
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 事業譲渡により、加越能鉄道の駅となる。
- 2002年(平成14年)4月1日 - 事業譲渡により、万葉線の駅となる。
- 2017年(平成29年)7月3日 - 下り方面にホームを新設。「TEK リサイクルセンター前」の副駅名が命名される。
- 2019年(平成31年)1月30日 - 米島口側で試運転中の電車が脱線。翌31日まで運転休止となり、バスによる代替輸送が行われた[3]。