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「工藤美知尋」の版間の差分

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'''工藤 美知尋'''(くどう みちひろ、[[1947年]][[4月29日]]<ref>『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.258</ref> - )は、日本の戦史研究者、[[青山IGC学院]]学院長<ref>{{Cite web|url=https://www.aoyama-igc.com/ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20181101231318/https://www.aoyama-igc.com/ |title=社会人入試・大学院入試は青山IGC学院 |deadlinkdate=2019年7月 |archivedate=2018-11-01 |accessdate=2020-10-21}}</ref><ref name="ダイヤモンド社著者紹介">{{Cite web|url=https://www.diamond.co.jp/_itemcontents/0201_biz/01307-6.html#shoukai |title=『大学・大学院への「小論文」と「日本語表現」』目次・著者紹介 |publisher=[[ダイヤモンド社]] |year=2010 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20201020215825/https://www.diamond.co.jp/_itemcontents/0201_biz/01307-6.html#shoukai |archivedate=2020-10-20 |accessdate=2020-10-21}}</ref>。[[日本ウェルネススポーツ大学]]教授<ref name="日本ウェルネススポーツ大学">{{Cite web|url=https://www.nihonwellness.jp/gakubu/teacher.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20200809073250/https://www.nihonwellness.jp/gakubu/teacher.html |archivedate=2020-08-09 |title=教員紹介 |publisher=[[日本ウェルネススポーツ大学]] |accessdate=2020-10-21}}</ref>。
'''工藤 美知尋'''(くどう みちひろ、[[1947年]][[4月29日]]<ref>『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.258</ref> - )は、日本の戦史研究者、[[日本ウェルネススポーツ大学]]教授<ref name="日本ウェルネススポーツ大学">{{Cite web|url=https://www.nihonwellness.jp/gakubu/teacher.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20200809073250/https://www.nihonwellness.jp/gakubu/teacher.html |archivedate=2020-08-09 |title=教員紹介 |publisher=[[日本ウェルネススポーツ大学]] |accessdate=2020-10-21}}</ref>。


==人物==
==人物==
1947年、[[山形県]][[長井市]]生まれ{{R|ダイヤモンド社著者紹介}}。1970年、[[日本大学]]法学部卒業{{R|ダイヤモンド社著者紹介}}。1972年、日本大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了{{R|ダイヤモンド社著者紹介}}。1972年-1974年、[[オーストリア]]、[[ウィーン大学]]に留学{{R|ダイヤモンド社著者紹介}}。[[東海大学]]大学院政治学研究科博士課程満期退学{{R|日本ウェルネススポーツ大学}}<!-- ダイヤモンド社の著者紹介には「1979年博士課程修了」とあったが、これは「1985年博士号取得」という事実と矛盾する。日本ウェルネススポーツ大学の経歴にある「満期退学」(単位取得退学のことか?)の方が正しいと考えられる。 -->を経て、1985年、東海大学より政治学博士号を取得{{R|ダイヤモンド社著者紹介}}<ref name="CiNii">{{Cite web|url=https://ci.nii.ac.jp/naid/500000022665 |title=日本海軍・太平洋戦争開戦原因論 |website=CiNii博士論文 |publisher=[[CiNii]] |accessdate=2020-10-21}}</ref>。博士論文は『日本海軍・太平洋戦争開戦原因論』(学位授与番号:甲第63号){{R|CiNii}}。
1947年、[[山形県]][[長井市]]生まれ{{R|ダイヤモンド社著者紹介}}。1970年、[[日本大学]]法学部卒業{{R|ダイヤモンド社著者紹介}}。1972年、大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了{{R|ダイヤモンド社著者紹介}}。1972年-1974年、[[オーストリア]]、[[ウィーン大学]]に留学{{R|ダイヤモンド社著者紹介}}。[[大学]]大学院政治学研究科博士課程単位取得{{R|日本ウェルネススポーツ大学}}<!-- ダイヤモンド社の著者紹介には「1979年博士課程修了」とあったが、これは「1985年博士号取得」という事実と矛盾する。日本ウェルネススポーツ大学の経歴にある「満期退学」(単位取得退学のことか?)の方が正しいと考えられる。 -->を経て、1985年、大学より政治学博士号(論文博士)を取得{{R|ダイヤモンド社著者紹介}}<ref name="CiNii">{{Cite web|url=https://ci.nii.ac.jp/naid/500000022665 |title=日本海軍・太平洋戦争開戦原因論 |website=CiNii博士論文 |publisher=[[CiNii]] |accessdate=2020-10-21}}</ref>。博士論文は『日本海軍・太平洋戦争開戦原因論』(学位授与番号:甲第63号){{R|CiNii}}。


日本大学法学部専任講師{{R|ダイヤモンド社著者紹介}}を経て、1992年に社会人入試・大学院入試のための予備校青山IGC学院を主宰{{R|ダイヤモンド社著者紹介}}。[[日本ウェルネススポーツ大学]]教授務める{{R|日本ウェルネススポーツ大学}}。
日本大学法学部専任講師を経て、実業家。現在は、[[日本ウェルネススポーツ大学]]教授務める{{R|日本ウェルネススポーツ大学}}。


社会人入試・大学院入試予備校の先駆者として多くの著作を手がける。また、[[大日本帝国海軍]]の研究者としても著名で、帝国海軍史の著作もある。
[[大日本帝国海軍]]の研究者としても著名で、帝国海軍史の著作もある。


==著作==
==著作==

2021年1月16日 (土) 06:11時点における版

工藤 美知尋(くどう みちひろ、1947年4月29日[1] - )は、日本の戦史研究者、日本ウェルネススポーツ大学教授[2]

人物

1947年、山形県長井市生まれ[3]。1970年、日本大学法学部卒業[3]。1972年、同大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了[3]。1972年-1974年、オーストリアウィーン大学に留学[3]。同大学大学院政治学研究科博士課程単位取得[2]を経て、1985年、大学より政治学博士号(論文博士)を取得[3][4]。博士論文は『日本海軍・太平洋戦争開戦原因論』(学位授与番号:甲第63号)[4]

日本大学法学部専任講師を経て、実業家。現在は、日本ウェルネススポーツ大学教授を務める[2]

大日本帝国海軍の研究者としても著名で、帝国海軍史の著作もある。

著作

  • 「日本海軍と太平洋戦争」(上・下)、南窓社、1982年
  • 「東条英機暗殺計画」、PHP研究所、1986年
  • 「稜線 劇物語 山本五十六」、光人社、1990年
  • 「残照 劇物語 井上成美」、光人社、1990年
  • 「孤独 劇物語 裕仁天皇」、光人社、1991年
  • 「日本海軍の歴史がよくわかる本」、PHP研究所、2007年

脚注

  1. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.258
  2. ^ a b c 教員紹介”. 日本ウェルネススポーツ大学. 2020年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月21日閲覧。
  3. ^ a b c d e 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「ダイヤモンド社著者紹介」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  4. ^ a b 日本海軍・太平洋戦争開戦原因論”. CiNii博士論文. CiNii. 2020年10月21日閲覧。

外部リンク