コンテンツにスキップ

「カルロス菅野」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
19行目: 19行目:
{{DEFAULTSORT:かるろすかんの}}
{{DEFAULTSORT:かるろすかんの}}
{{Authority control}}
{{Authority control}}
[[Category:日本のパーカッショニスト]]
[[Category:日本の打楽器奏者]]
[[Category:日本のフュージョン・ミュージシャン]]
[[Category:日本のフュージョン・ミュージシャン]]
[[Category:日本の音楽プロデューサー]]
[[Category:日本の音楽プロデューサー]]

2020年10月29日 (木) 23:15時点における版

カルロス菅野( - かんの、本名:菅野 真吾(かんの しんご)、1957年7月21日 - )は、フュージョンプレイヤーパーカッショニストであり音楽プロデューサーでもある。東京都出身。

来歴

高校時代を広島市で過ごし、大学は大阪工業大学工学部に進学。1979年卒業後関西で音楽活動を行う。1984年に上京し松岡直也グループへ加入(当時は本名の菅野真吾で活動。現在の名前になったのは1987年から)。また「オルケスタ・デ・ラ・ルス」に結成メンバーとして参加。同バンドは1989年渡米しツアーを行い海外で人気を得て翌1990年、BMGビクター(現BMG JAPAN)より発売したファーストアルバム『デ・ラ・ルス』は、アメリカビルボードラテン・チャートで11週連続1位を記録し全米で大ヒットした。また中南米でも大ヒットし日本を代表するサルサバンドとなった。

同年大儀見元の脱退により「オルケスタ・デ・ラ・ルス」のリーダーとなり、1991年のセカンドアルバム『サルサに国境はない』はプラチナディスク1992年のサード アルバム『ディフェレンテス』は、ゴールドディスクを獲得。1993年に発表した4THアルバム『ラ・アベントゥーラ』はグラミー賞にノミネートされた。また各国でチャリティーコンサートを行い、これが評価され同年、日本人音楽家として初めて国連平和賞をグループで受賞した。この年暮れのNHK紅白歌合戦にも出場した。

1995年「オルケスタ・デ・ラ・ルス」を脱退。日本のトップミュージシャンを集め、ラテン・ジャズビッグバンド熱帯JAZZ楽団」を結成。パーカッショニスト兼リーダー兼プロデューサーとして、これまで国内で7枚、海外で3枚のオリジナルアルバムを発表。また多くのトップミュージシャンとのセッションやアルバム参加、また国内、海外公演を続けている。 

2008年4月から2009年3月まで、MBSラジオで放送された『大人のわがまま・音楽の旅』、及び新潟放送山陰放送など民放AMラジオ局で放送された『カルロス菅野のジャズフィーリング』のパーソナリティを担当した。

外部リンク