「ギリシャ正教会」の版間の差分
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しかし、[[19世紀]]初頭にギリシャ人の民族意識が高まると、[[1821年]]にオスマン帝国の意を受けたコンスタンディヌーポリ総主教の慰撫を振り切る形で現在のギリシャの地で民族蜂起が起こり、ギリシャは王国として[[1830年]]にオスマン帝国から独立を果たした。これにともない、新生[[ギリシャ王国]]内の正教会は、[[アテネ]][[大主教]]を首座として、旧宗主国オスマン帝国の影響下にあるコンスタンディヌーポリ総主教からの教会独立を宣言、[[1850年]]に至って[[総主教]]の側から承認を受け、相互に独立を承認した教会の関係になった。ただし、ギリシャ正教会の首座主教は「総主教」ではなく「アテネ大主教」のままである。 |
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=== 正教会の歴史 === |
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=== キリスト教としての信仰の確立の歴史 === |
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イエスの復活信仰の確立・ナザレのイエスの死を通しての贖罪信仰の確立・主イエス・キリスト信仰の確立・終末信仰の確立については、[[キリスト教#歴史]]を参照 |
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=== 聖書は神の言葉という信仰の確立 === |
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正教会において聖書は、聖伝の中核であり、使徒らが残した最も公的な啓示と捉えられている。 |
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聖書は神の言葉という信仰の確立については、[[旧約聖書#神の言葉として成立した聖書の歴史]]を参照 |
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== 教義 == |
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=== 童貞女マリヤより生まれたイイススハリストス(イエスキリスト) === |
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* ナザレのイエスは、処女マリアから生まれた、と信じる。聖書に書いてある通りである。 |
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=== ナザレのイイスス(イエス)は死んだけれども、よみがえった === |
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* 罪がないナザレのイエスは死刑になったが、死んでから三日たってからまた生き返った、と信じる。聖書に書いてある通りである。 |
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=== ナザレのイイスス(イエス)は天に昇って行ってから、神の右に座った === |
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* ナザレのイエスはみんなの見ている前で、天に昇って行った、と信じる。聖書に書いてある通りである。 |
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* ナザレのイエスは再び天から降りてきて、最後の審判の時に、今現在生きている者と、すでに死んだ者とをさばくと信じる。 |
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* すでに死んだ人でも生き返ると信じる。イエスを救い主と信じる人は、神の国が到来したら、新しい命がもらえると信じる。 |
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=== 聖書は神の言葉だと信じる === |
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指導者が[[聖神]](聖霊)に満たされて語る言葉は、神の言葉とされているので、聖神に満たされて書かれた聖書は、聖伝の中核であり、最も公的な啓示と捉えられている。<ref>なお、聖書が神の言葉として成立した経緯については[[旧約聖書#神の言葉として成立した聖書の歴史]]を参照</ref> |
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=== [[生神女]]マリヤは[[神の母]]である === |
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マリアは神を生んだ母親として[[聖人]]であるとされる。 |
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==指導者の現況== |
==指導者の現況== |
2020年12月23日 (水) 02:31時点における版
ギリシャ正教会(ギリシャせいきょうかい)は、以下の三通りの意義に使われる、キリスト教の教派・教会組織を指す言葉。本項では下記1番の用例による、ギリシャ共和国に存在するギリシャ正教会について詳述する。
- 1833年に正教会(東方正教会)のコンスタンディヌーポリ総主教庁(コンスタンティノープル総主教庁)から独立した、ギリシャ共和国にある独立正教会。
- 正教会の全体を指す総称。ギリシア正教会の呼称が世界史教科書などで使われている[1]。
- ロシア正教会・ブルガリア正教会といったスラヴ系の各正教会、および非ギリシャ人が主導する東方諸教会等への対義としての、コンスタンディヌーポリ総主教庁などかつての五大総主教座を中心とするギリシャ人の正教会。
正教会は一カ国に一つの教会組織を具える事が原則だが(ギリシャ正教会以外の例としてはグルジア正教会、ロシア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、日本正教会など。もちろん例外もある)、これら各国ごとの正教会が異なる教義を信奉している訳では無く、同じ信仰を有している[2]。
日本語としていずれも定着しているため上記2番、3番に挙げた用例も誤りとまでは言えない。だが後二者はギリシャ一国に限った教会ではないため厳密には「ギリシャ」を冠する必要はなく、誤解を招きやすい表現であると言える。
概要
ギリシャ正教会 | |
---|---|
創設者 | 使徒 |
独立教会の宣言 | 1833年 |
独立教会の承認 | 1850年(コンスタンディヌーポリ総主教庁により) |
現在の首座主教 | イエロニモス2世 |
大主教庁所在地 | アテネ(ギリシャ) |
主な管轄 | ギリシャ |
奉神礼の言語 | ギリシャ語 |
聖歌伝統 | ビザンティン聖歌 |
暦 | 修正版ユリウス暦 |
概算信徒数 | 10,000,000人 |
公式ページ | ギリシャ正教会公式サイト(ギリシャ語・英語) |
ギリシャ正教会(ギリシャ語:Εκκλησία της Ελλάδος、英語:Church of Greece)は、正教会における独立正教会のひとつ。アテネに大主教座を置き、主としてギリシャ共和国の信徒を管轄する。ただし、ギリシャ共和国領とは完全には一致せず、クレタ島はコンスタンディヌーポリ総主教庁の管轄下にある[3]。ギリシア国外のヨーロッパ、アメリカ合衆国などに移民を中心にして成立した教会の多くも[4]、アテネ大主教の管轄下ではなくコンスタンディヌーポリ総主教庁の庇護下にある。
ギリシャ正教会はコンスタンディヌーポリ総主教庁の一教区ではなく、完全な独立正教会であることは、西方教会との関係[5]や北ギリシャの教区の管轄問題[6]等を巡って見解の差が発生するケースがある事にも示されている。また、コンスタンディヌーポリ総主教は民族的にはギリシャ人であっても、トルコ国民である事がトルコ政府の求める要件とされており、ギリシャ正教会から直接にコンスタンディヌーポリ総主教が選立される事は現在ではない(ただし過去にはメレティオス・メタクサキスのような例があった)。
歴史
ギリシャの正教会はローマ帝国時代以来の由緒をもつが、ギリシャ人の居住していたペロポネソス半島からアナトリア半島にかけての地域を管轄する教会は、東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリス(現代ギリシャ語:コンスタンディヌーポリ、英語:コンスタンティノープル)に座すコンスタンディヌーポリ総主教のもとにあり、中心地は現在のギリシャの領土内ではなかった。1453年にコンスタンディヌーポリ(コンスタンティノープル)はイスラム教徒のオスマン帝国の支配下に入り、前後してギリシャ人を含む正教徒の居住地域の多くがオスマン帝国領になったため、オスマン帝国はコンスタンディヌーポリ総主教を保護して国内の正教徒を統制する政策をとった。
しかし、19世紀初頭にギリシャ人の民族意識が高まると、1821年にオスマン帝国の意を受けたコンスタンディヌーポリ総主教の慰撫を振り切る形で現在のギリシャの地で民族蜂起が起こり、ギリシャは王国として1830年にオスマン帝国から独立を果たした。これにともない、新生ギリシャ王国内の正教会は、アテネ大主教を首座として、旧宗主国オスマン帝国の影響下にあるコンスタンディヌーポリ総主教からの教会独立を宣言、1850年に至って総主教の側から承認を受け、相互に独立を承認した教会の関係になった。ただし、ギリシャ正教会の首座主教は「総主教」ではなく「アテネ大主教」のままである。
正教会の歴史
キリスト教としての信仰の確立の歴史
イエスの復活信仰の確立・ナザレのイエスの死を通しての贖罪信仰の確立・主イエス・キリスト信仰の確立・終末信仰の確立については、キリスト教#歴史を参照
聖書は神の言葉という信仰の確立
正教会において聖書は、聖伝の中核であり、使徒らが残した最も公的な啓示と捉えられている。
聖書は神の言葉という信仰の確立については、旧約聖書#神の言葉として成立した聖書の歴史を参照
教義
童貞女マリヤより生まれたイイススハリストス(イエスキリスト)
- ナザレのイエスは、処女マリアから生まれた、と信じる。聖書に書いてある通りである。
ナザレのイイスス(イエス)は死んだけれども、よみがえった
- 罪がないナザレのイエスは死刑になったが、死んでから三日たってからまた生き返った、と信じる。聖書に書いてある通りである。
ナザレのイイスス(イエス)は天に昇って行ってから、神の右に座った
- ナザレのイエスはみんなの見ている前で、天に昇って行った、と信じる。聖書に書いてある通りである。
- ナザレのイエスは再び天から降りてきて、最後の審判の時に、今現在生きている者と、すでに死んだ者とをさばくと信じる。
- すでに死んだ人でも生き返ると信じる。イエスを救い主と信じる人は、神の国が到来したら、新しい命がもらえると信じる。
聖書は神の言葉だと信じる
指導者が聖神(聖霊)に満たされて語る言葉は、神の言葉とされているので、聖神に満たされて書かれた聖書は、聖伝の中核であり、最も公的な啓示と捉えられている。[7]
マリアは神を生んだ母親として聖人であるとされる。
指導者の現況
2008年1月28日に、首座主教であるアテネ大主教フリストドゥロスが肝臓ガンで永眠した[8]。69歳。
後任のアテネ大主教としてイエロニモス2世が選立され[9]、2008年2月16日に着座した。
ギリシャ神話の関係と影響
ギャラリー
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イエロニモス2世のアテネ大主教着座式(アテネの生神女福音大聖堂にて)
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聖ネクタリオス修道院
-
ギリシャ正教会の旗(双頭の鷲)
脚注
- ^ 佐藤次高・木村靖二・岸本美緒『詳説 世界史B』山川出版社、2003年3月5日発行、p122
- ^ OCA - Q&A - Greek Orthodox and Russian Orthodox - Orthodox Church in Americaのページ。
- ^ "The Blackwell Dictionary of Eastern Christianity" Wiley-Blackwell; New edition (2001/12/5), p224, ISBN 9780631232032
- ^ Other Jurisdictions affiliated with the Ecumenical Patriarchate Greek Orthodox Archdiocese of America
- ^ Orthodox patriarch hits at "unacceptable" attacks on ecumenism (Jonathan Luxmoore 4 April 2012)
- ^ Patriarchal Letter to the Orthodox Churches about the Dioceses of the Ecumenical Patriarchate in the Nothern Greece and the islands of the Egean Sea (09/05/2004)
- ^ なお、聖書が神の言葉として成立した経緯については旧約聖書#神の言葉として成立した聖書の歴史を参照
- ^ ギリシャ正教会トップの大主教、69歳で死去 - CNN・日本語
- ^ Greek Orthodox bishops elect leader
関連項目
- ビザンティン
- ビザンティン建築 - 秀逸な記事
- アトス山 - コンスタンディヌーポリ総主教庁の管轄であって、アテネ大主教が管掌するギリシャ正教会には所属していない。
- アギア・ソフィア聖堂 (テッサロニキ)
- オシオス・ルカス修道院
- ダフニ修道院、オシオス・ルカス修道院、ヒオス島のネア・モニ修道院
- ネア・モニ修道院
- 神学者聖ヨハネ修道院と黙示録の洞窟を含むパトモス島の歴史地区 (ホーラ)
- ミストラス
- メテオラ
- ギリシャ神話
- ギリシャ哲学
外部リンク
- ギリシャ正教会公式サイト - ギリシャ語と英語。リンク先はギリシャ語。