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'''時崎 雄司'''(ときざき ゆうじ、[[1940年]][[1月6日]]-)は、[[日本]]の[[政治家]]。元[[日本社会党]][[衆議院議員]](1期)。
'''時崎 雄司'''(ときざき ゆうじ、[[1940年]][[1月6日]]-)は、[[日本]]の[[政治家]]。元[[日本社会党]][[衆議院議員]](1期)。
== 来歴 ==
== 来歴 ==
[[青森県]]出身。[[1962年]][[専修大学]]法学部卒。茨城県庁生協常務理事、県労働金庫理事、県職員組合委員長、日本社会党茨城県組織局長を経て、[[第39回衆議院議員総選挙|1990年の総選挙]]で[[茨城県第1区 (中選挙区)|旧茨城1区]]から立候補して初当選、1期務めた。[[第40回衆議院議員総選挙|1993年の総選挙]]で落選。[[第41回衆議院議員総選挙|1996年の総選挙]]では[[民主党 (日本 1996-1998)|民主党]]から新設された[[茨城県第1区|茨城1区]]より立候補したが落選した。その後は[[民進党]]で茨城県総支部連合会倫理委員長を務める<ref>{{Cite web |url=http://www.dp-ibaraki.jp/yakuin.html|title=役員情報 | 民進党 埼玉県総支部連合会 |accessdate=2020-04-28 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170211011324/http://www.dp-ibaraki.jp/yakuin.html|archivedate=2017-02-11|publisher=[[民進党]] |language=日本語}}</ref>。民進党の分裂後は[[国民民主党 (日本 2018-)|国民民主党]]に参加<ref>[http://dp-ibaraki.jp/officer/ 役員体制]国民民主党茨城県連</ref>。
[[青森県]]出身。[[1962年]][[専修大学]]法学部卒。茨城県庁生協常務理事、県労働金庫理事、県職員組合委員長、日本社会党茨城県組織局長を経て、[[第39回衆議院議員総選挙|1990年の総選挙]]で[[茨城県第1区 (中選挙区)|旧茨城1区]]から立候補して初当選、1期務めた。[[第40回衆議院議員総選挙|1993年の総選挙]]で落選。[[第41回衆議院議員総選挙|1996年の総選挙]]では[[民主党 (日本 1996-1998)|民主党]]から新設された[[茨城県第1区|茨城1区]]より立候補したが落選した。その後は[[民進党]]で茨城県総支部連合会倫理委員長を務める<ref>{{Cite web |url=http://www.dp-ibaraki.jp/yakuin.html|title=役員情報 | 民進党 埼玉県総支部連合会 |accessdate=2020-04-28 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170211011324/http://www.dp-ibaraki.jp/yakuin.html|archivedate=2017-02-11|publisher=[[民進党]] |language=日本語}}</ref>。民進党の分裂後は[[国民民主党 (日本 2018)|国民民主党]]に参加<ref>[http://dp-ibaraki.jp/officer/ 役員体制]国民民主党茨城県連</ref>。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==

2020年12月25日 (金) 09:15時点における版

時崎 雄司(ときざき ゆうじ、1940年1月6日-)は、日本政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。

来歴

青森県出身。1962年専修大学法学部卒。茨城県庁生協常務理事、県労働金庫理事、県職員組合委員長、日本社会党茨城県組織局長を経て、1990年の総選挙旧茨城1区から立候補して初当選、1期務めた。1993年の総選挙で落選。1996年の総選挙では民主党から新設された茨城1区より立候補したが落選した。その後は民進党で茨城県総支部連合会倫理委員長を務める[1]。民進党の分裂後は国民民主党に参加[2]

参考文献

脚注

  1. ^ 役員情報”. 民進党. 2017年2月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月28日閲覧。
  2. ^ 役員体制国民民主党茨城県連