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'''ユニオシ'''(I. Y. Yunioshi, Mr. Yunioshi)は、[[トルーマン・カポーティ]]の短編小説『[[ティファニーで朝食を]]』([[1958年]])、およびこの小説をもとに作られた同名映画に登場する、[[日系アメリカ人]]・[[日本人]]の男性である。 |
'''ユニオシ'''(I. Y. Yunioshi, Mr. Yunioshi)は、[[トルーマン・カポーティ]]の短編小説『[[ティファニーで朝食を]]』([[1958年]])、およびこの小説をもとに作られた同名映画に登場する、[[日系アメリカ人]]・[[日本人]]の男性である。 |
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小説と映画ではその描写が大幅に異なり、映画の方は典型的な[[人種差別]]描写として批判された。 |
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== 小説のユニオシ == |
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== 映画のユニオシ == |
== 映画のユニオシ == |
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[[ミッキー・ルーニー]]が演じた。映画版のユニオシのキャラクターは、監督の[[ブレイク・エドワーズ]]の創作と言われる{{Sfn|澤野|1995|pp=303-304}}。映画版ではホリーと同じアパートに住む日本人カメラマンという設定だけは原作と似ているが、 |
[[ミッキー・ルーニー]]が演じた。映画版のユニオシのキャラクターは、監督の[[ブレイク・エドワーズ]]の創作と言われる{{Sfn|澤野|1995|pp=303-304}}。映画版ではホリーと同じアパートに住む日本人カメラマンという設定だけは原作と似ているが、描写が異なる。 |
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*背が低く、[[メガネ]]、[[出っ歯]]などといった[[ステレオタイプ]]的な醜い容姿の日本人として描かれている{{Efn2|小説版では背が低いという点以外、ユニオシについての身体的特徴の描写はない。}}{{Sfn|村上|1993|pp=85-86}}。 |
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*映画ではホリーは[[ニューヨーク]]に留まるため、上述のアフリカの写真のエピソードは削除されている{{Sfn|村山|2007|p=105}}。 |
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*部屋のカギをもち忘れたホリーがユニオシを訪ねるシーン{{Efn2|このシーン自体は小説版にもある。}}では、ユニオシの部屋が俗悪な日本趣味として描かれる上、起こされたユニオシは極めて狼狽する{{Sfn|村山|2007|p=105}}。 |
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*ホリーに起こされることが何度も続いたユニオシは、さらに階下でうるさいパーティーをやられたことから彼女に反感を抱き、警察を呼んでホリーを逮捕させる{{Efn2|小説版ではマダム・スパネラがホリー追い出しを画策する。}}{{Sfn|村上|1993|pp=85-86}}。 |
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こうした映画版の描写について、[[村上由見子]]は[[太平洋戦争]]前後のアメリカにあった、日本人を「先天的幼児」とみなす風潮と関連付けている{{Sfn|村上|1993|pp=85-86}}。 |
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== 批判 == |
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{{See also|ハリウッドにおける東アジア人の描かれ方}} |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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* {{Cite book |和書 |author=村上由見子 |editor= |title=イエロー・フェイス ハリウッド映画にみるアジア人の肖像 |accessdate= |date=1993-02-25 |publisher=[[朝日新聞社]] |series=[[朝日選書]] |id= |isbn=978-4-02-259569-0 |oclc= |doi= |ref={{SfnRef|村上|1993}}}} |
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ユニオシ(I. Y. Yunioshi, Mr. Yunioshi)は、トルーマン・カポーティの短編小説『ティファニーで朝食を』(1958年)、およびこの小説をもとに作られた同名映画に登場する、日系アメリカ人・日本人の男性である。
小説と映画ではその描写が大幅に異なり、映画の方は典型的な人種差別描写として批判された。
小説のユニオシ
主人公ホリー・ゴライドリーと同じアパートに住む日系人2世の雑誌カメラマンという設定であり、彼がアフリカで撮った写真から、アフリカへ渡ったホリーの消息が語られるという筋立てとなっている[1][2]。ホリーに対しては好意的である[1]。登場人物のジョー・ベルはユニオシをJapと呼ぶ部分がある一方、語り手の「私」はユニオシのことを差別的に語っていない[3]。
ユニオシの名前の由来は、20世紀前半のアメリカで活動した日本人画家の国吉康雄ではないかと言われている[4][5]。
映画のユニオシ
ミッキー・ルーニーが演じた。映画版のユニオシのキャラクターは、監督のブレイク・エドワーズの創作と言われる[6]。映画版ではホリーと同じアパートに住む日本人カメラマンという設定だけは原作と似ているが、描写が異なる。
批判
映画が公開された当初は、ユニオシについては好意的な評価があったが[7]、1990年には『ボストン・グローブ』が「攻撃的でゆがんだ民族描写」と批判した[8]。1993年には『ロサンゼルス・デイリーニュース』も「攻撃的なステレオタイプであり、侮辱と傷をもたらした」と批判するなど[9]、映画版ユニオシへの批判が相次ぐ。
ニューヨークのブルックリン・ブリッジ・パーク(Brooklyn Bridge Park)での映画祭で、この映画の上映への反対運動が起きた際、『ニューヨーク・デイリーニュース』では反対運動に同情しつつ、過去のアメリカが犯した人種差別の歴史を隠さずに直視しすべきだという意見が載った[10]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b 村上 1993, p. 86.
- ^ 澤野 1995, pp. 302–303.
- ^ 村山 2007, pp. 106–107.
- ^ 村山 2007, pp. 108–109.
- ^ Gordon H. Chang (2009年2月16日). “Emerging from the Shadows: The Visual Arts and Asian American History” (英語) (PDF). Journal of Transnational American Studies (カリフォルニア大学サンタバーバラ校) 1 (1): 10. ISSN 1940-0764 2019年8月7日閲覧。.
- ^ 澤野 1995, pp. 303–304.
- ^ A.H. WEILER (1961年10月6日). “The Screen: 'Breakfast at Tiffany's':Audrey Hepburn Stars in Music Hall Comedy” (英語). ニューヨーク・タイムズ 2019年8月7日閲覧。
- ^ John Koch (1990年4月1日). “Quick Cuts and Stereotypes” (英語). ボストン・グローブ. オリジナルの2012年11月8日時点におけるアーカイブ。 2019年8月7日閲覧。
- ^ "Breaking Barriers". ロサンゼルス・デイリーニュース. (1993年9月7日)
- ^ Jeff Yang (2011年7月17日). “'Breakfast at Tiffany’s' protest is misguided: Let’s deal openly with the film's Asian stereotypes” (英語). ニューヨーク・デイリーニュース 2019年8月7日閲覧。
参考文献
- 澤野雅樹「謎のユニオシを求めて」『ユリイカ』第27巻第5号 4月臨時増刊、青土社、1995年4月25日、301-317頁、NCID BN14599321。
- 村山瑞穂「『ティファニーで朝食を』の映画化にみる冷戦期アメリカの文化イデオロギー」(PDF)『愛知県立大学外国語学部紀要 言語・文学編』第39巻、愛知県立大学、長久手町、2007年、97-114頁、doi:10.15088/00000647、ISSN 02868083、NAID 110006486276、NCID AN00056192。