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=== 解散後 ===
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*MASAKIは[[LOUDNESS]]に[[ボーカリスト]]の[[マイク・ヴェセーラ]]の後任として加入。[[2000年]]にLOUDNESSがオリジナル・メンバーでの復活後、MASAKIは[[ニューヨーク]]を拠点に2018年までFiRESiGNなるバンドで女性シンガーを従え、ベース兼バックボーカルとして活動していた。([[山田雅樹]]の項目参照)
*MASAKIは[[LOUDNESS]]に[[ボーカリスト]]の[[マイク・ヴェセーラ]]の後任として加入。[[2000年]]にLOUDNESSがオリジナル・メンバーでの復活後、MASAKIは[[ニューヨーク]]を拠点に2018年までFiRESiGNなるバンドで女性シンガーを従え、ベース兼バックボーカルとして活動していた。([[山田雅樹]]の項目参照)
*HIROは1991年に[[浜田麻里]]のサポートドラマーとして依頼を受けたことで帰国。後にLOUDNESSからドラムの[[樋口宗孝]]が脱退すると、HIROが樋口の後任として加入する。LOUDNESS時代に[[柴田直人]]と知り合ったこともあり、2001年以降再始動した[[ANTHEM]]に参加していたが2004年、2008年に膝の痛みにより度々休業しては復帰を繰り返していた。2012年、2008年のバイク事故による足の怪我が悪化したことにより一時離脱、2013年に正式に脱退が発表された。
*HIROは1991年に[[浜田麻里]]のサポートドラマーとして依頼を受けたことで帰国。後にLOUDNESSからドラムの[[樋口宗孝]]が脱退すると、HIROが樋口の後任として加入する。LOUDNESS時代に[[柴田直人]]と知り合ったこともあり、2001年以降再始動した[[ANTHEM (バンド)|ANTHEM]]に参加していたが2004年、2008年に膝の痛みにより度々休業しては復帰を繰り返していた。2012年、2008年のバイク事故による足の怪我が悪化したことにより一時離脱、2013年に正式に脱退が発表された。
*EZO時代にグリーンカードを取得したSHOYOは新たなバンドを結成するために貸しスタジオを経営しながら音楽活動を続けていたがMASAKI以上のボーカルを見つけることが出来ず頓挫する<ref name="HEADBANG 24">『ヘドバン』Vol.23(2019年 シンコーミュージック・エンタテイメント)170~173p</ref>。同時期にアミューズからの紹介で[[DEAD END (バンド)|DEAD END]]を解散して間もない頃の[[MORRIE]]と出会い、MORRIEのソロアルバムにも数曲参加していたり<ref name="HEADBANG 24"/>、[[:en:Sulfur (band)|Sulfur]]にも短期間ではあるが在籍していたこともあった<ref>『ヘドバン』Vol.23(2019年 シンコーミュージック・エンタテイメント)175p</ref>。90年代後半には貸しスタジオが経営難になったことでスタジオ維持の為にアルバイト生活を続けていたがそれでも追いつかずスタジオを閉鎖<ref name="HEADBANG 24"/>。知人の紹介によりシェフの道へと転職しアメリカ在住のまま第一線から退いており寿司職人として『SUSHISAMBA』に勤務し、「EZOロール」という創作巻き寿司を提供していた<ref>[http://sushisamba.com/location/miami/dromo/team SUSHISAMBA] 2015年4月16日閲覧</ref><ref>『ヘドバン』Vol.2 (2013年 [[シンコーミュージック・エンタテイメント]])101p</ref>。2019年に帰国し、MORRIEによると同年5月に京都で飲食店をオープンさせたことを明かしている<ref>[https://www.instagram.com/p/Byr-z_3p2Ic/ MORRIEのInstagram 2019年6月14日]</ref>。
*EZO時代にグリーンカードを取得したSHOYOは新たなバンドを結成するために貸しスタジオを経営しながら音楽活動を続けていたがMASAKI以上のボーカルを見つけることが出来ず頓挫する<ref name="HEADBANG 24">『ヘドバン』Vol.23(2019年 シンコーミュージック・エンタテイメント)170~173p</ref>。同時期にアミューズからの紹介で[[DEAD END (バンド)|DEAD END]]を解散して間もない頃の[[MORRIE]]と出会い、MORRIEのソロアルバムにも数曲参加していたり<ref name="HEADBANG 24"/>、[[:en:Sulfur (band)|Sulfur]]にも短期間ではあるが在籍していたこともあった<ref>『ヘドバン』Vol.23(2019年 シンコーミュージック・エンタテイメント)175p</ref>。90年代後半には貸しスタジオが経営難になったことでスタジオ維持の為にアルバイト生活を続けていたがそれでも追いつかずスタジオを閉鎖<ref name="HEADBANG 24"/>。知人の紹介によりシェフの道へと転職しアメリカ在住のまま第一線から退いており寿司職人として『SUSHISAMBA』に勤務し、「EZOロール」という創作巻き寿司を提供していた<ref>[http://sushisamba.com/location/miami/dromo/team SUSHISAMBA] 2015年4月16日閲覧</ref><ref>『ヘドバン』Vol.2 (2013年 [[シンコーミュージック・エンタテイメント]])101p</ref>。2019年に帰国し、MORRIEによると同年5月に京都で飲食店をオープンさせたことを明かしている<ref>[https://www.instagram.com/p/Byr-z_3p2Ic/ MORRIEのInstagram 2019年6月14日]</ref>。
*TAROもSHOYOと同じくミュージシャン業から足を洗い、現在は[[SPEEDSTAR RECORDS]]のA&Rディレクターとして所属し、[[くるり]]や[[ハナレグミ]]、[[高田漣]]などの担当をしている<ref>『ヘドバン』Vol.2 (2013年 シンコーミュージック・エンタテイメント) 103p</ref>。
*TAROもSHOYOと同じくミュージシャン業から足を洗い、現在は[[SPEEDSTAR RECORDS]]のA&Rディレクターとして所属し、[[くるり]]や[[ハナレグミ]]、[[高田漣]]などの担当をしている<ref>『ヘドバン』Vol.2 (2013年 シンコーミュージック・エンタテイメント) 103p</ref>。

2021年2月22日 (月) 09:28時点における版

FLATBACKER
フラットバッカー
別名 E・Z・O
出身地 日本の旗 日本北海道札幌市
ジャンル ヘヴィメタル[1]
グラム・メタル
スラッシュメタル[2]
ハードコア・パンク[2]
パンク・ロック[2]
活動期間 1982年 - 1990年
レーベル ビクター・エンタテインメント
ゲフィン・レコード
メンバー MASAKI (ヴォーカル)
SHOYO (ギター)
TARO (ベース)
HIRO (ドラム)

FLATBACKER(フラットバッカー、1982年 - 1990年頃)は、日本ヘヴィメタルバンド。

なお、この項目では改名後の「E・Z・O」時代についても触れる。

メンバー

歴史

FLATBACKER

1982年北海道札幌市で結成。結成当時のバンド名は「FRATVACKER」。ヘヴィメタルのみならず、スラッシュメタルやハードコア・パンクの要素も取り入れた音楽性であった。1984年に7曲入りデモテープ『皆殺し』を発表。同年にヤマハ主催のコンテストで優秀賞を獲得し[3]、この事がきっかけでビクターのディレクターと知り合い、1985年にビクターより1stアルバム『戦争 -アクシデント-』を発表。1986年には2ndアルバム『餌 -ESA-』を発表。その後、世界規模での活動に向けて渡米。

E・Z・O

渡米直後に所属事務所をアミューズに移籍し、バンド名も『FLATBACKER』から『E・Z・O(イーズィーオー)』に改名、ゲフィン・レコードと契約。なお、『EZO』の由来はメンバーの出身地である北海道の旧国名蝦夷からである。E・Z・Oとしてのデビュー時のキャッチコピーは「隠れて何をしてたんだ!」。

E・Z・O改名後の1987年に1st(FLATBACKER時代から数えれば3rdにあたる)アルバム『E・Z・O』を発表。プロデューサーにキッスジーン・シモンズを迎える。アミューズの戦略により歌舞伎を彷彿させるメイクを施し、当時アメリカでショー・コスギが忍者ブームを巻き起こしていた[要出典]ことに着目し『忍者メタル』として売り出す。デビューアルバムの歌詞カードにはメンバーがそれぞれMASAKI(風)SHOYO(火)TARO(地)HIRO(水)とキャラクター設定が決められていた写真が掲載されている。同年、ガンズ・アンド・ローゼズとのクラブツアーも実施。

1989年、隈取りメイクを落とし、アルバム『FIRE FIRE』をリリース。

1990年、解散。

解散後

  • MASAKIはLOUDNESSボーカリストマイク・ヴェセーラの後任として加入。2000年にLOUDNESSがオリジナル・メンバーでの復活後、MASAKIはニューヨークを拠点に2018年までFiRESiGNなるバンドで女性シンガーを従え、ベース兼バックボーカルとして活動していた。(山田雅樹の項目参照)
  • HIROは1991年に浜田麻里のサポートドラマーとして依頼を受けたことで帰国。後にLOUDNESSからドラムの樋口宗孝が脱退すると、HIROが樋口の後任として加入する。LOUDNESS時代に柴田直人と知り合ったこともあり、2001年以降再始動したANTHEMに参加していたが2004年、2008年に膝の痛みにより度々休業しては復帰を繰り返していた。2012年、2008年のバイク事故による足の怪我が悪化したことにより一時離脱、2013年に正式に脱退が発表された。
  • EZO時代にグリーンカードを取得したSHOYOは新たなバンドを結成するために貸しスタジオを経営しながら音楽活動を続けていたがMASAKI以上のボーカルを見つけることが出来ず頓挫する[4]。同時期にアミューズからの紹介でDEAD ENDを解散して間もない頃のMORRIEと出会い、MORRIEのソロアルバムにも数曲参加していたり[4]Sulfurにも短期間ではあるが在籍していたこともあった[5]。90年代後半には貸しスタジオが経営難になったことでスタジオ維持の為にアルバイト生活を続けていたがそれでも追いつかずスタジオを閉鎖[4]。知人の紹介によりシェフの道へと転職しアメリカ在住のまま第一線から退いており寿司職人として『SUSHISAMBA』に勤務し、「EZOロール」という創作巻き寿司を提供していた[6][7]。2019年に帰国し、MORRIEによると同年5月に京都で飲食店をオープンさせたことを明かしている[8]
  • TAROもSHOYOと同じくミュージシャン業から足を洗い、現在はSPEEDSTAR RECORDSのA&Rディレクターとして所属し、くるりハナレグミ高田漣などの担当をしている[9]

ディスコグラフィ

アルバム

FLATBACKER
  • 戦争 -アクシデント-(1985年、Invitation、LP、VIH-28228)
  • 餌 -ESA-(1986年、Invitation、LP、VIH-28245)
E・Z・O
  • E・Z・O(1987年4月6日、Invitation、LP:VIH-28281 CD:VDR-1343)
  • FIRE FIRE(1989年5月21日、Invitation、CD:VDR-1596)CDは限定缶ケース仕様と通常盤の2種類。
2005年再発盤CD (紙ジャケ仕様・デジタルリマスタリング盤)
  • FLATBACKER
    • 戦争 -アクシデント-(2005年3月16日、VICL-61593)
    • 餌 -ESA-(2005年3月16日、VICL-61594)
  • E・Z・O
    • E・Z・O(2005年3月16日、VICL-61595)
    • FIRE FIRE(2005年3月16日、VICL-61596)

デモテープ

FRATVACKER
  • 皆殺し(1984年) ※デモテープ

映像作品

FLATBACKER
  • WAR IS OVER(1985年12月16日、VHS、VTM-91)
  • WAR IS OVER and CLIPS(2004年9月22日、DVD、VIBL-217)
    • (2005年1月21日、DVD、VIBL-242)
    • (2008年11月19日、DVD、VIBL-562)
E・Z・O
  • E・Z・O(1988年1月21日、VHS、VTM-134)
    • (1991年12月16日、VHS、VIVL-64)
  • Returns(2004年9月22日、DVD、VIBL-215)
    • (2005年1月21日、DVD、VIBL-240)
    • (2008年11月19日、DVD、VIBL-560)

備考

脚注・出典

  1. ^ EZO reviews, music, news - sputnikmusic・2015年9月2日閲覧。
  2. ^ a b c Flatbacker reviews, music, news - sputnikmusic・2015年9月2日閲覧。
  3. ^ ANTHEM BIBLE(2005年 ドレミ楽譜出版社)53-54p
  4. ^ a b c 『ヘドバン』Vol.23(2019年 シンコーミュージック・エンタテイメント)170~173p
  5. ^ 『ヘドバン』Vol.23(2019年 シンコーミュージック・エンタテイメント)175p
  6. ^ SUSHISAMBA 2015年4月16日閲覧
  7. ^ 『ヘドバン』Vol.2 (2013年 シンコーミュージック・エンタテイメント)101p
  8. ^ MORRIEのInstagram 2019年6月14日
  9. ^ 『ヘドバン』Vol.2 (2013年 シンコーミュージック・エンタテイメント) 103p