「ティファニーで朝食を」の版間の差分
m →製作の経緯: Wikipedia:表記ガイド#句点「1文だけの括弧内には句点を打たないでください」に基づき、「マリリン・モンローは夜の女をお引き受けいたしません。」の文末の句点(。)を除去 |
|||
138行目: | 138行目: | ||
| colspan="2" | |
| colspan="2" | |
||
|- |
|- |
||
| その他 || || [[勝田久]]<br />[[緑川稔]] ||[[峰恵研]]<br />[[西村知道]]<br />[[島香裕]]<br />[[さとうあい]]<br />田原アルノ<br />[[古田信幸]]<br />[[種田文子]]<br />[[木藤聡子]]||[[仲野裕]]<br />[[宝亀克寿]]<br />古田信幸<br />[[中澤やよい]]<br />[[ |
| その他 || || [[勝田久]]<br />[[緑川稔]] ||[[峰恵研]]<br />[[西村知道]]<br />[[島香裕]]<br />[[さとうあい]]<br />田原アルノ<br />[[古田信幸]]<br />[[種田文子]]<br />[[木藤聡子]]||[[仲野裕]]<br />[[宝亀克寿]]<br />古田信幸<br />[[中澤やよい]]<br />[[遠藤純一]]<br />[[すずき紀子]]<br />[[斎藤恵理]]<br />[[相楽恵美]] |
||
|- |
|- |
||
| 演出 || style="background:#d3d3d3;" | || 中野寛次 || colspan="2" |[[伊達康将]] |
| 演出 || style="background:#d3d3d3;" | || 中野寛次 || colspan="2" |[[伊達康将]] |
2021年3月21日 (日) 00:07時点における版
ティファニーで朝食を Breakfast at Tiffany's | |
---|---|
作者 | トルーマン・カポーティ |
国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
ジャンル | 中編小説 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
初出情報 | |
初出 | 『エスクァイア』1958年11月号 |
刊本情報 | |
刊行 | ランダムハウス 1958年10月28日 |
日本語訳 | |
訳者 | 龍口直太郎 |
ウィキポータル 文学 ポータル 書物 |
『ティファニーで朝食を』(ティファニーでちょうしょくを、原題: Breakfast at Tiffany’s)は、アメリカ合衆国の小説家トルーマン・カポーティによる中編小説。1958年にランダムハウスから出版された。ニューヨークを舞台に、自由奔放に生きる女性主人公を描く。1961年にオードリー・ヘプバーン主演でパラマウント映画によって映画化された。
題名は主人公の言う「ティファニーで朝食を食べるご身分」というたとえで、当時ニューヨーク5番街にあるティファニーは宝石店であり実際のレストランではなかったが、映画の影響を受け2017年にブランド初となるダイニングスペースがオープンした。映画版では冒頭で、(小説に描かれていない)題名そのものを直接的に表した「オードリー・ヘプバーンがティファニーのショーウィンドウを前に朝食を食べるシーン」がつくられた。
あらすじ
この節の加筆が望まれています。 |
1943年の秋、無名の語り手はホリー・ゴライトリーと友人になる。二人はマンハッタンのアッパー・イースト・サイドにある、ブラウンストーン造りのアパートメントの住人である。ホリー(18 - 19歳)はニューヨークのカフェ・ソサエティ・ガールとなった田舎娘である。
したがって、彼女は働かず、金持ち男性と交際することで生活している。彼らは彼女をクラブやレストランに連れて行き、現金や高価なプレゼントを与え、彼女は彼らの一人と結婚することを望む。カポーティによると、ゴライトリーは娼婦ではなく、「アメリカン・ゲイシャ」である[1]。
ホリーは厳選した私生活の逸話や、様々な物事への率直な視点で人々をぎょっとさせることを好む。1年の間に、彼女は徐々に自分自身のことを語り手に明かし、語り手は彼女の奇妙なライフスタイルにすっかり魅了されていることに気づく。
発表までの経緯
ルイジアナ州ニューオーリンズに生まれたカポーティは1940年代にニューヨークへ上京し、『ザ・ニューヨーカー』の下働きをしつつ作家志望として『ミリアム』など作品投稿を行う。1948年には『遠い声 遠い部屋』でデビューし、翌1949年には短編集を刊行している。『ティファニーで朝食を』は1955年ころから執筆を開始し、身辺事情や掲載予定の女性誌『ハーパース・バザー』から掲載を拒否されるなど紆余曲折を経つつ、1958年に『エスクァイア』に発表された。
モデル
主人公のホリーは、複数の実在する人物を混合したキャラクターだった[2]。
社会階層についてホリーが見る夢はカポーティの母親、ホリーが抱く存在への不安はカポーティ自身のものである[2]。それにカポーティのマンハッタン社交界の友人だったキャロル・グレイス(別名キャロル・マーカス)[3][2]、デザイナーのグロリア・ヴァンダービルト[4][2]、ウーナ・オニール・チャップリン[2]、グロリア・ギネス (en:Gloria Guinness)[2]、そしてベイブ・ペイリー (en:Babe Paley)[2]である。
キャロルは生まれは貧しいが、幼いときに母親が大手家電メーカーBendixの社長と結婚したことで富裕層の仲間入りをした女性で、作家のウィリアム・サローヤン、その後俳優のウォルター・マッソーと結婚した。
キャロルやグロリアや他の女性はカポーティにとって次々に入れ替わっているがベイブ・ペイリーは特別で、カポーティにとって彼女以上に重要な人物は存在しなかったと言われている[2]。彼女はCBSを創設したウィリアム・サミュエル・ペイリー (en:William S. Paley) の妻であった[2]。夫は彼女の友人たちなど大勢と公然と不倫をしており、ベイブはまるで囚われの身であったため、カポーティはホリー・ゴライトリーがそうならないようにしている[2]。
主な日本語訳
日本では、2008年2月に村上春樹による新訳が新潮社より出版されて話題となった。
映画
ティファニーで朝食を | |
---|---|
Breakfast at Tiffany's | |
日本で1969年にリバイバル公開された時のポスター 台場一丁目商店街で撮影。 | |
監督 | ブレイク・エドワーズ |
脚本 | ジョージ・アクセルロッド |
原作 | トルーマン・カポーティ |
製作 |
マーティン・ジュロウ リチャード・シェファード |
出演者 |
オードリー・ヘップバーン ジョージ・ペパード パトリシア・ニール |
音楽 | ヘンリー・マンシーニ |
主題歌 |
ヘンリー・マンシーニ(作曲) ジョニー・マーサー(作詞) 「ムーン・リバー」 |
撮影 |
フランツ・プラナー フィリップ・H・ラスロップ |
編集 | ハワード・スミス |
製作会社 |
Jurow-Shepherd Spinel Entertainment |
配給 | パラマウント映画 |
公開 |
1961年10月5日 1961年11月4日[5] |
上映時間 | 115分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
製作費 | $2,500,000 (概算)[6] |
興行収入 |
$8,000,000[6] $14,000,000[6] |
監督はブレイク・エドワーズ、主演はオードリー・ヘプバーン、共演はジョージ・ペパード。トルーマン・カポーティの原作とは異なり、映画は主人公と語り手の作家との恋を中心に描いている。
製作の経緯
製作者マーティン・ジュロウが映画化権の獲得のためにカポーティを口説き落とし、カポーティは、ホリーにはマリリン・モンローが第一候補として、映画化を了承した[7]。その帰りの飛行機で、偶然ジュロウはモンローと隣り合わせになった[7]。『ティファニーで朝食を』に関してモンローはミルトン・グリーンから聞いて知っており興味を示していたが、モンローはポーラ・ストラスバーグと話し合わなければいけないとした。ジュロウが言うには、後日ポーラはジュロウ宛に「マリリン・モンローは夜の女をお引き受けいたしません」として断りの電話を入れてきたという[7]。
しかし同じ製作のリチャード・シェファードが言うには、製作者2人はモンローが適役とは考えていなかった[7]。そこで一時期モンローの代理業務をしていたシェファードがモンローに電話し、「この役は別の人でいきます」と伝え、モンローは「オッケー」と言ったという[7]。
どちらにしてもモンローの話は無くなり、まったく個性の異なるヘプバーンに出演依頼がなされた。マーティン・ジュロウと脚本のジョージ・アクセルロッドがヘプバーンの説得に当たり、当時妊娠中だったヘプバーンは「赤ちゃんを育てたいんです」「私には売春婦の役はできませんわ」として断ったが、ジュロウは「我々が作りたいのは夢見る人の映画なんです」と説得した[7]。ヘプバーンはもしお引き受けするにしても、脚本のきわどい暗示をやわらげて欲しいと要望を出した[7]。
ヘプバーンはエージェントには女優として要求されることが過大だとして不安を述べている[7]。エージェントはこれが反オードリーではなく、新しいオードリーだと説明して引き受けさせた[7]。脚本はヘプバーンの魅力が生かされるように書き直された。
カポーティはヘプバーンが映画に主演すると聞いて、少なからず不快感を表したと伝えられる[8]。ところがヘプバーンには直筆で「このたびは『ティファニーで朝食を』の映画への出演をご承諾いただき、大変うれしく思っております。脚本に対する意見もありませんし、脚本そのものをこれまで読む機会もありませんでしたが、オードリーもホリーもどちらもすばらしい女性なので、必ずやよい作品になることと信じております。」という手紙を送っている[7][9]。
さらに当時ブレイク・エドワーズの妻だったパトリシア・スネルにホテルまで送ってもらった際には「君の旦那に映画を監督してもらって、本当に、本当によかった。映画の出来が素晴らしくて感動した。ああいう映画になって満足だ」と言っていた[7]。
だが、実際には後年のインタビューでカポーティは「こんなにひどいミスキャストの映画は見たことがない」「あの役をオードリーがやると決まった時には、ショックで怒りに震えました」「ブレイク・エドワーズみたいな無能な監督を引っ張ってきて、あいつにはツバを吐きかけてやりたいくらいだ!」「脚本は僕にどうかって話もあったんですよ」と述べているが、実際にはカポーティへの脚本の依頼はなされていない[7]。
ジョニー・マーサー作詞・ヘンリー・マンシーニ作曲で劇中にヘプバーン自身が歌った挿入歌「ムーン・リバー」が有名であるが、原作中の歌とは異なる。映画完成後のパラマウント映画関係者向披露試写会で、就任したばかりのパラマウント映画の新社長は、歌のシーンはカットした方がよいと言い放ったが、ヘプバーンが激怒して立ち上がり「絶対にカットはさせません」と言ったといわれてきた[10][11][12][13]。しかし、「控えめに言っても敵対的と言えるこんな態度は、どう考えてもオードリー・ヘプバーンの得意なレパートリーではない」として、ヘンリー・マンシーニ自身が書いた自伝では「オードリーは何か言いたそうに椅子の中でもぞもぞしていた」だけということが挙げられている[7]。実際にはヘプバーンではなく、プロデューサーであるリチャード・シェファードが「絶対にカットなんてさせないぞ。するなら俺を殺してからにしろ!」と言ったと判明したと明かされている[7][14]。
映画あらすじ
華やかな世界に憧れるホリー・ゴライトリーは、収監中のマフィア、サリー・トマトと面会し、彼の話す「天気予報」をある弁護士に伝えることで多額の報酬を受け取り生計を立てていた。アパルトマンには彼女の取り巻きの男達が訪れては騒動になっている。同じアパルトマンに自称作家のポール・バージャクが引っ越してくる。ポールが最後に出版したのは何年も前で、今は裕福なマダム「2E」の愛人をしていた。
ホリーはポールに兄フレッドの姿を重ね、また無邪気で奔放なホリーにポールは魅かれていく。しかし、ある日アパルトマンの前に佇む男がおり、2Eの夫が雇った探偵ではないかと疑うポールが男に近づくと、彼はテキサスの獣医で姓をゴライトリーと言った。彼はホリーの夫であり、ポールは彼女の本名はルラメイで、不幸な生い立ちから14歳で結婚したことを知る。ホリーはポールに付き添って夫に別離を告げ、ポールとの親交を深める。ポールも2Eに関係を終わらせようと話し、引き止められるが断り別れを告げる。
ポールはホリーと共に訪れたティファニーでお菓子のおまけの指輪に刻印をしてもらうが、その後彼女は図書館で熱心に南米のことを勉強していた。なんとブラジルの大富豪ホセとの結婚が決まったと言い、喧嘩別れに終わる。その際、ポールはホリーに自分も他の男と一緒ならと化粧室へ行く際のチップを渡し去って行ってしまう。数か月後、ポールがホリーの家に招かれると、リオデジャネイロ行きを明日に控え、彼女はすっかり家庭的になろうとしていた。一方、ポールも作家として生計を立てられるようになっていた。ホリーが料理に失敗し、二人は外食に行くが、帰宅すると警官が待ち構えていた。
サリー・トマトの麻薬密売に加担したとして、ホリーは拘留され、さらに大々的に報道されてしまう。翌日、ポールの迎えで保釈され、猫と共にホテルへ身を隠すように告げられる。ホセからの家名に傷がつくいう理由で結婚は破談にするとの手紙をポールが読み上げる。しかし彼女は予定通りリオに行くと言って聞かず、私はこの猫と一緒で名前がない、とタクシーを停め外に逃がしてしまう。ポールはもう必要なくなったとティファニーで刻印をしてもらった指輪をホリーに投げつけ、彼女を残してタクシーから降りる。ホリーは指輪を指に嵌めるか否か涙ながらに逡巡し、タクシーを降りてポールを追う。雨の中で猫が見つかりポールとも再会し熱い抱擁を交わすのだった。
キャスト
役名 | 俳優 | 日本語吹替 | ||
---|---|---|---|---|
フジテレビ版 | 日本テレビ版 | ソフト版 | ||
ホリー・ゴライトリー | オードリー・ヘップバーン | 池田昌子 | ||
ポール・バージャク | ジョージ・ペパード | 金内吉男 | 野沢那智 | |
2E | パトリシア・ニール | 初井言栄 | 谷育子 | 沢田敏子 |
ドク・ゴライトリー | バディ・イブセン | 塚本信夫 | 小林修 | 山野史人 |
ユニオシ, I.Y. | ミッキー・ルーニー | 田中信夫 | 緒方賢一 | 辻親八 |
O・J・バーマン | マーティン・バルサム | 加藤正之 | 阪脩 | 稲葉実 |
ホセ・ダ・シルヴァ・ペレイラ | ホセ・ルイス・デ・ヴィラロンガ | 立沢雅人 | 納谷六朗 | 田原アルノ |
メグ | ドロシー・ホイットニー | 沢田敏子 | 雨蘭咲木子 | |
サリー・トマト | アラン・リード | 藤本譲 | 村松康雄 | |
ティファニーの店員 | ジョン・マッギーヴァー | |||
その他 | 勝田久 緑川稔 |
峰恵研 西村知道 島香裕 さとうあい 田原アルノ 古田信幸 種田文子 木藤聡子 |
仲野裕 宝亀克寿 古田信幸 中澤やよい 遠藤純一 すずき紀子 斎藤恵理 相楽恵美 | |
演出 | 中野寛次 | 伊達康将 | ||
翻訳 | 飯嶋永昭 | 岩佐幸子 | 杉田朋子 | |
調整 | 前田仁信 | 遠西勝三 | ||
選曲 | 重秀彦 | |||
効果 | 遠藤堯雄 | リレーション | ||
録音 | スタジオ・ユニ | |||
制作担当 | 神部宗之 菊地由香 (東北新社) |
|||
プロデューサー | 富岡文枝 (フジテレビ) |
金井芳広 門屋大輔 (日本テレビ) |
||
プロデューサー補 | 奈良直子 | |||
制作 | 東北新社 | |||
初回放送 | 1978年3月10日 『ゴールデン洋画劇場』 21:00 - 22:54 |
1995年1月20日 『金曜ロードショー』 21:03 - 22:54 |
スタッフ
- 監督:ブレイク・エドワーズ
- 原作:トルーマン・カポーティ
- 脚本:ジョージ・アクセルロッド
- 撮影:フランツ・プラナー
- 音楽:ヘンリー・マンシーニ
- 美術:ローランド・アンダーソン、ハル・ペレイラ
- 衣裳:ユベール・ド・ジバンシィ、イーディス・ヘッド、ポーリーン・トリジェール
作品の評価
Rotten Tomatoesによれば、批評家の一致した見解は「いくつかの醜い時代錯誤が含まれているが、ブレイク・エドワーズはこの象徴的な古典的な作品で最高に面白く、オードリー・ヘップバーンは完全にスクリーンを照らしている」であり、52件の評論のうち高評価は88パーセントにあたる46件で、平均点は10点満点中7.42点となっている[15]。 Metacriticによれば、6件の評論のうち、高評価は5件、賛否混在は1件、低評価はなく、平均点は100点満点中76点となっている[16]。
賞歴
- アカデミー賞
- 主題歌賞受賞:ヘンリー・マンシーニ、ジョニー・マーサー
- 作曲賞受賞:ヘンリー・マンシーニ
- 主演女優賞ノミネート:オードリー・ヘプバーン
- 脚色賞ノミネート:ジョージ・アクセルロッド
- 美術賞ノミネート:ローランド・アンダーソン、ハル・ペレイラ、サム・カマー、レイ・モイヤー
- ゴールデングローブ賞
- 作品賞(ミュージカル・コメディ部門)ノミネート
- 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)ノミネート:オードリー・ヘプバーン
- ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞
- 最優秀外国主演女優賞受賞:オードリー・ヘプバーン
- 全米監督協会賞
- 長編映画監督賞ノミネート:ブレイク・エドワーズ
- 全米脚本家組合賞
- 最優秀脚本賞受賞(コメディ部門):ジョージ・アクセルロッド
- ローレル賞
- 最優秀主題歌賞受賞:ヘンリー・マンシーニ、ジョニー・マーサー
- 最優秀作品賞(コメディ部門)ノミネート
- 最優秀主演女優賞(コメディ部門)ノミネート:オードリー・ヘプバーン
- バンビ賞
- 主演女優賞ノミネート:オードリー・ヘプバーン
- グラミー賞
- 最優秀レコード賞(ムーン・リバー)受賞:ヘンリー・マンシーニ
- 最優秀楽曲賞(ムーン・リバー)受賞:ヘンリー・マンシーニ、ジョニー・マーサー
- 最優秀サウンドトラック・アルバム作曲賞受賞:ヘンリー・マンシーニ
- 最優秀インストゥルメンタル編曲(ムーン・リバー)受賞:ヘンリー・マンシーニ
- 最優秀パフォーマンス賞ダンス音楽オーケストラ部門受賞:ヘンリー・マンシーニ
- 最優秀アルバム賞ノミネート;ヘンリー・マンシーニ、オードリー・ヘプバーン
- サテライト賞
- 最優秀クラシックDVD賞ノミネート(2006):アニバーサリー・エディション
- アメリカ国立フィルム登録簿
- 登録:2012年
- Online Film & Television Association
- 殿堂入り:2013年
- 国際映画音楽批評家協会賞
- 最優秀アーカイブリリース賞(フィルムバージョン版アルバムに対して)2014年ノミネート:ヘンリー・マンシーニ、ダグラス・フェイク、ロジャー・フェイゲルソン、ジェフ・ボンド、ジョー・シコリャック
ユニオシの描写
日系アメリカ人の登場人物のユニオシは、アメリカ社会におけるステレオタイプな日本人像(黒ぶちの眼鏡、出っ歯、[l]と[r]を混同するなど)を反映して表現されている。ユニオシを演じた白人俳優ミッキー・ルーニーは当時を振り返って「監督の指示通りにコメディ感を演出した演技だった」と語っている。
ミッキー・ルーニーは繰り返し釈明と弁明を行う必要に迫られた。ルーニー自身は「40年間どこへ行っても賞賛を受け、当のアジア人である中国人からも『傑作だ』と称賛された」と弁解している。
リトル・ブラック・ドレス
本作の冒頭でオードリー・ヘプバーンが着用したジバンシィのドレスは非常に人気があり、映画に登場するドレスとしては最も有名なもののひとつである[17]。
ミュージカル
脚注
- ^ Halford, Macy. “Was Holly Golightly Really a Prostitute?” (英語). The New Yorker. 2020年10月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j サム・ワッソン (2011年10月31日初版発行). 『オードリー・ヘプバーンとティファニーで朝食を』p76-p85. 株式会社マーブルトロン
- ^ The Real Holly Golightly , The New York Times, July 19, 1992
- ^ グロリア・バンダービルトさん死去 米富豪・デザイナー
- ^ 南俊子. (1971年12月20日初版発行). 『シネアルバム5 オードリー・ヘプバーン』. 芳賀書店.
- ^ a b c “Breakfast at Tiffany's (1961)” (英語). IMDb. 2011年5月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n サム・ワッソン (2011年10月11日初版発行). オードリー・ヘプバーンとティファニーで朝食を. 株式会社マーブルトロン
- ^ 村上春樹訳『ティファニーで朝食を』(新潮社)訳者あとがき
- ^ エレン・アーウィン&ジェシカ・Z・ダイヤモンド (2006年9月25日). 『the audrey hepburn treasures』にその複製が添付されている. 講談社
- ^ バリー・パリス (1998年5月4日初版発行). 『オードリー・ヘップバーン』上巻. 集英社
- ^ エレン・アーウィン&ジェシカ・Z・ダイヤモンド (2006年9月25日). 『the audrey hepburn treasures』. 講談社
- ^ ジェリー・バーミリー (1997年6月13日). スクリーンの妖精 オードリー・ヘップバーン. シンコー・ミュージック
- ^ 日本コロムビアや20世紀フォックスからDVDが発売され、BS11でも放送された『想い出のオードリー・ヘプバーン』では監督のブレイク・エドワーズもそう言っている。
- ^ 『ティファニーで朝食を』のDVDおよびブルーレイの特典のリチャード・シェファード自身の音声解説で、自分が言ったと語っている。
- ^ “Breakfast at Tiffany's (1961)” (英語). Rotten Tomatoes. 2020年11月18日閲覧。
- ^ “Breakfast at Tiffany's Reviews” (英語). Metacritic. 2020年11月18日閲覧。
- ^ “Audrey Hepburn's little black dress tops fashion list”. The Independent (2010年5月17日). 2011年5月16日閲覧。
外部リンク
- ティファニーで朝食を - allcinema
- ティファニーで朝食を - KINENOTE
- Breakfast at Tiffany's - オールムービー(英語)
- Breakfast at Tiffany's - IMDb(英語)