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* [[バトルホーク]] 第1話「闘人どくろ鎌」(1976年、12ch) - 楯哲舟 <small>※第2話以降も回想シーンや遺影で登場</small>
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* [[大都会 PARTIII]] 第1話「帰って来た黒岩軍団」(1978年、NTV) - 三好敬三(東友会幹部)
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* [[西遊記 (1978年のテレビドラマ)#西遊記(1978年)|西遊記]] 第4話「妖怪夫婦・金角、銀角」(1978年、NTV) - [[金角・銀角|金角大王]]
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* [[特捜最前線]] 第101話「拳銃哀歌I・狼たちは跳んだ!」・第102話「拳銃哀歌II・狼たちの決算!」(1979年、[[テレビ朝日|ANB]]) - 小田島満雄
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* [[日曜恐怖シリーズ#1979年放送分|日曜恐怖シリーズII]] 第9話「悲しみの山荘」(1979年、KTV)
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2021年4月13日 (火) 09:43時点における版

うちだ りょうへい
内田 良平
生年月日 (1924-02-05) 1924年2月5日
没年月日 (1984-06-15) 1984年6月15日(60歳没)
出生地 千葉県銚子市
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ
主な作品
映画
『ギャング同盟』
やくざ刑事シリーズ
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内田 良平(うちだ りょうへい、1924年2月5日 - 1984年6月15日)は、日本俳優詩人千葉県銚子市出身。

来歴・人物

法政大学経済学部在学中の1950年新協劇団に入り、演劇を始める[1][2]1951年杉浦直樹小松方正らと劇団「新演劇研究所」を結成して活動するが、ほどなく解散した。東映での映画出演を経て、1953年に友人から小林正樹を紹介され、その伝手で松竹映画にも出演。日活の『機動捜査班』シリーズに出演した後、1963年に東映の『ギャング同盟』で初主演する。

1965年、愛人に「へそ下」を切られるスキャンダルが起きる。「34歳、独身」という触れ込みだったが、東京、京都に別々の内妻がいる「41歳」だったことが報道で明らかになってしまう。

彫りの深い日本人離れしたマスクからギャング役などの悪役を中心に数多く映画とテレビドラマで助演を果し、映画『やくざ刑事シリーズ』、『青春の殺人者』、『ザ・スパイダースのバリ島珍道中』等の話題作でコミカルなものからアクション、世相実録ものでシニカルなものまで幅広い演技で出演した。1963年の映画『十三人の刺客』で思慮遠望巡らす鬼頭半兵衛役は当たり役の一つとされる。

詩人としても知られ、動物や昆虫をテーマにした詩を数多く作った。なかでも詩集『おれは石川五右衛門が好きなんだ』の「ハチのミヤモトムサシは死んだんだ」にむろふしチコが補作詞した楽曲「ハチのムサシは死んだのさ」は、1972年平田隆夫とセルスターズによって大ヒットした。

1984年6月15日、演劇の巡業先で心筋梗塞のため急死した。60歳没。

エピソード

  • 私生活ではチロリアンハットを愛用収集し演劇仲間がそれを着用しているとその入手先を必ず尋ねるほどだった。

出演

映画

テレビドラマ

演劇

バラエティー番組

吹き替え

アニメ

CM

  • 一力本店(宮城県仙台市の下関活ふぐ料理店)

著書

  • 『おれは石川五右衛門が好きなんだ 内田良平詩集』サンケイ新聞社出版局、1974年
  • 『虫の気持ちがわかるかい』婦人生活社、1977年
  • 『内田良平のやさぐれ交遊録』ちはら書房、1979年
  • 『みんな笑ってる 内田良平詩集』河出文庫、1984年4月
  • 『朱いかもめ 内田良平遺稿詩集』作品社、1984年11月
    後半部は俳優仲間・友人たち十数名の追悼回想
  • 『乙姫様の玉手箱』潮出版社、1984年12月
    童話・自伝小説・紀行エッセイ

参考資料

  • 梅林敏彦「内田良平インタビュー〜俺は映画俳優ってのに誇りが持てなくてね」『アウトローに挽歌はいらない』北宋社、1979年、113-127頁。 

脚注

  1. ^ 同郷の先輩岡田英次が所属、演出部に加入した。
  2. ^ 梅林敏彦 1979, p. 115

関連項目

外部リンク