「サン=ヴァレリー=シュル=ソンム」の版間の差分
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2021年4月15日 (木) 22:56時点における版
Saint-Valery-sur-Somme | |
---|---|
行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オー=ド=フランス地域圏 |
県 (département) | ソンム県 |
郡 (arrondissement) | アブヴィル郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 80721 |
郵便番号 | 80230 |
市長(任期) |
ステファーヌ・オースリエ (2008年-2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes Baie de Somme Sud |
人口動態 | |
人口 |
2,790人 (2006年) |
人口密度 | 266人/km2 |
住民の呼称 | Valéricains[1] |
地理 | |
座標 | 北緯50度11分20秒 東経1度37分50秒 / 北緯50.1888888889度 東経1.63055555556度座標: 北緯50度11分20秒 東経1度37分50秒 / 北緯50.1888888889度 東経1.63055555556度 |
標高 |
平均:m 最低:1 m 最高:43 m |
面積 | 10.5km2 (1 05ha) |
公式サイト | site officiel de la mairie |
サン=ヴァレリー=シュル=ソンム (Saint-Valery-sur-Somme)は、フランス、オー=ド=フランス地域圏、ソンム県のコミューン。
地理
ソンム川河口に位置する。ル・クロトワ、ル・ウルデルと並ぶソンム湾に面した3つの港町の1つである。
語源
ピカルディ語ではSaint-ValeryをSaint-Waryとつづる。この名はラテン語のValeriusとは関係がない。ゲルマン語の名Walaricから派生した名称である。
歴史
アミアン司教聖人記によれば、クロタール2世はかつてのガロ=ローマ領Leuconeを聖ヴァレリー(fr)に授けた。Leuconeは11世紀までキリスト教巡礼地だった。
981年、ユーグ・カペーは聖ヴァレリーの聖遺物を奪うためブランクタク砦を通過した。中世都市としてのサン=ヴァレリー=シュル=ソンムは、聖ヴァレリーの教会周辺にこの時期に生まれたと見られている。ルーアンからブローニュ=シュル=メールへ至る道上にある地理的位置から、重要な通過地点だった。ノルマンディー公ギヨーム(イングランド王ウィリアム1世)は、イングランド征服のため1066年にこの港を出港している。サン=ヴァレリーは、今日よりはるかに規模の大きかったクレシーの森から切り出される木材を供給していた。
ユグノー戦争中の1568年、ユグノー派の指揮官コックヴィル率いるユグノー軍がサン=ヴァレリーを征服した。彼は、ピカルディ総督ブリサック伯ティモレオン・ド・コッス軍に敗退した。ユグノー派の生存者はわずか300人であった[2]。
サン=ヴァレリーの漁業地区クールガン(Courtgain)は、港へ向かって狭い住宅が立ち並ぶ。海老やニシンを中心に漁を終えた船が戻ると、女たちは魚の塩漬けを缶詰に加工して働いていた。この漁業の風景は現在のサン=ヴァレリーからほとんど失われている。
姉妹都市
脚注
- ^ "Nom des habitants des communes françaises". Habitants.fr. 2008年7月12日閲覧。
- ^ John Lothrop Motley, History of the Netherlands, PG Edition, volume 15. Disponible en ligne [1]. Consulté le 22 février