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2021年4月27日 (火) 05:49時点における版
唜島 | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 말도 |
漢字: | 唜島 |
発音: | マルド |
日本語読み: | まつとう |
ローマ字: | Maldo |
現地名: 말도(唜島) | |
---|---|
名の由来 | 「果て(唜(끝))」にある「島(섬)」に由来[1] |
地理 | |
場所 | 黄海 |
座標 | 北緯37度41分14秒 東経126度07分48秒 / 北緯37.687314度 東経126.130105度 |
諸島 | 江華郡附属島嶼[2] |
面積 | 1.449 km2 (0.559 sq mi)[3] |
海岸線 | 6.1 km (3.79 mi)[3] |
行政 | |
道 | 仁川広域市 |
郡 | 江華郡 |
面・里 | 西島面唜島里 |
唜島(マルとう)は、大韓民国仁川広域市江華郡西島面[3]唜島里にある島。面積は 1.449 km2、海岸線の長さは 6.1 kmである[3](島の海岸線の長さは、2015年には 5.91 kmとやや短くなっている[4])。クッチョム(끝점:「果ての島」の意味)[注 1]とも言う[3]。
仁川から北ヘ45 km、黄海道延安郡海城半島から南へ7 kmの海上に位置し、喬桐島・乶音島・注文島と近接する[3]。
1914年3月1日、西島面に編入され、1962年10月1日、乶音出張所管轄になった[3]。
概要
島名は「果てにある島」という語に由来する[1]。尹斗緒の『東国輿地図』(1712年 - 1715年?)には末占(말점; マルチョム)[注 1]と[3][7]、1783年の『江華府志』では末叱島(맔도; マルト)[注 2][9]と、1894年の『江華府志』では唜島(말도; マルド)[注 2]と表記したが[10]、漢字表記のみが違うだけで、読み方は同じだった[7]。島名の由来に関する異説として、この島が西島面の最果てにあるうえ、昔、この島の官庁報告が常に遅れ、叱責を多く受けたことで、「果て」の「末」字に「叱る」の「叱」字を付けて「唜島」としたと言うが[3]、民間語源にすぎないものと思われる[注 2]。
『世宗実録地理志』には、「また西のかた水路15里に末島(말도; マルド)がある。周りは10余里で、畑は3結ある。喬桐から人々が往来しながら農事を営む」と記録されている[3][11]。『新増東国輿地勝覧』では「末島:府の西のかた5里にある。周りは43里である」とした[12]。1696年に発行された江華府の邑誌である『江都誌』は「末島:少島(阿此島)の傍にある。周りは43里であり、水路は90里である。13戸の百姓が暮らしており、今は本府で羊を飼う」と記述した[13]。
朝鮮民主主義人民共和国黄海南道延安郡海城半島から南へわずか7 km離れているに過ぎず[3][4]、烏頭山前から始まる漢江河口の中立区域の終点である[14]。島の西南、海抜100 mの高地に非武装地帯の立て札第1号が据え付けてある[4]。
朝鮮戦争前の唜島一帯は黄金漁場として有名で、漁業従事者たちだけで80余世帯が暮らしており、盛況であったという[3]。1950年に漁撈阻止線が確定される前には、キグチが大量に獲れたので、この頃は島の周囲が一大活況を呈した[3]。
しかし、終戦以後、北方限界線直下に位置するようになって漁撈が禁止され、民間人が統制されたことで(民間人出入統制区域)、住民は次第に減り、2010年には住民は8世帯16名[14]、2015年には5世帯10名にすぎなくなった[4]。特に、1965年に咸朴島漁民拉北事件が繰り広げられて以後、1970年代初に政府の支援で2世帯が一つの家に暮らす家を作って互いを監視し、北の侵入に備えるようにした[14][15]。江華郡庁で運営する行政船5075号でだけ接近することができる[16]。
1950年代より1960年代末まで、大韓民国空軍は特務隊(現・諜報部隊)を唜島を始めとする黄海沿岸の数々の島に派遣して北派工作任務を委ねた。当時の特務隊員の証言によれば、唜島に建てた灯台で龍媒島や咸朴島に光を照らして北派工作員に帰還信号を送ったという[17]。工作員たちは唜島を根拠地とし、貝を採る漁民に偽装して朝鮮民主主義人民共和国に浸透し、機関員を拉致する活動を繰り広げることもした[18]。現在は海兵隊が駐屯するが、隊員たちは面会と外泊が禁止されている[19]。
海岸は岩石で成り立っており、北部中央の唜島湾が寄港地だが、干潟が露出して船の出入が不便である[3]。丘陵の起伏がひどくて耕地が少なく、住民は半農半漁の生活をしている[3]。現在は主にクロソイ・スズキ・クジメなどが多く獲れ、沿岸では海釣りを楽しむことができる[3]。
唜島の雨温図
唜島 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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脚注
注釈
- ^ a b 「占(점)(チョム)」は、「苫」とも書き、元来「셤(ショム)」と発音し、「島(しま)」を意味する朝鮮語の古語である[5](現代語では「섬(ソム)」)。また「クッチョム」(끝점)の当て字が「唜占」とも言える[6]。
- ^ a b c 「叱」は、一つ前の漢字音(音節)に終声のパッチㇺᆺ(シオッ)、または間のㅅ(形態素の区切りがあることが意識されて次の音節の初声が濃音化することを表す)があることを表す漢字表記であり、「唜」という漢字はそれを一文字で表記したものである[8]。ただし、上述のとおり、その意識は早くに薄れ、この島の名としては「唜島」と書いて「말도(マルド)」と読むようになっている[7]。
出典
- ^ a b 金秉旭ほか 2015, p. 319.
- ^ 金鍾塤(キム・チョンフン(김종훈)) (2014) [1983] (朝鮮語), 개정증보판 韓國 固有漢字 硏究 (改訂増補版 ed.), ソウル: 보고사(寶庫社)[集文堂(집문당)], pp. 207-208, ISBN 9791155163061
- ^ 金鍾塤 2014, pp. 64, 198.
- ^ a b c 金秉旭ほか 2015, p. 320.
- ^ 金鍾塤 2014, p. 91.
- ^ 金秉旭ほか 2015, p. 307.
- ^ 金秉旭ほか 2015, p. 308.
- ^ “地理志 京畿” (朝鮮語:訳/古典中国語:原文). 世宗実録 第148巻. 朝鮮王朝実録. 漢陽: 国史編纂委員会. (1454). p. 富平都護府 江華都護府
- ^ “京畿” (朝鮮語). 新増東国輿地勝覧 第12巻. 漢陽: 韓国古典総合データベース. (1530). p. 江華都護府
- ^ 李衡祥(이형상; イ・ヒョンサン)著 イム・ハクソン(임학성)ほか訳 (2015) [1694-1696], カン・トグ(강덕우)/カン・オギョプ(강옥엽), ed. (朝鮮語), 역주 강도지 (상)(訳注 江都誌 [上]), 仁川: 仁川広域市 歴史資料館, pp. 71-72, ISBN 9788993590968
- ^ a b c チョン・ソンテ(전성태); シン・チュンボン(신준봉) (2010年6月8日). “전쟁 60년, 전후세대의 155마일 기행 ⑪ 한강하구 중립지역” (朝鮮語). 中央日報 2019年9月23日閲覧。
- ^ ホン・スンフン(홍승훈)客員写真記者 (2012年6月15日). “잊혀진 섬, 강화 말도(唜島)” (朝鮮語). 畿湖日報 2019年9月23日閲覧。
- ^ パク・ヒジェ(박희제) (2011年8月8日). “[수도권/올 여름, 그 섬에 가고 싶다]<8·끝>강화군 말단 주문도-볼음도-아차도-말도” (朝鮮語). 東亜日報 2019年9月23日閲覧。
- ^ キム・テワン(김태완) (2019年10月). ““휴전 협정 이후에도 함박도는 분명 대한민국 땅이었다”” (朝鮮語). 月刊朝鮮 ((株)朝鮮ニュースプレス) 2019年9月23日閲覧。
- ^ ソン・ホングン(송홍근) (2017年9月3日). ““90특무대 ‘북파 공작’ 기억해달라”” (朝鮮語). 新東亜 2019年9月23日閲覧。
- ^ クォン・キョンソン(권경성) (2008年9月28日). “서해 끝 섬 군인들의 '은밀한 생'” (朝鮮語). メディア・オヌル (Media Today) 2019年9月23日閲覧。
- ^ “NASA Earth Observations Data Set Index”. NASA. 2016年1月30日閲覧。
参考文献
- 金秉旭(キム・ピョンウク(김병욱))ほか (2015) (朝鮮語), 인천의 지명 (하)(仁川の地名 [下]), 仁川: 仁川広域市 市史編纂委員会