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「第42回国民体育大会」の版間の差分

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まず、国体開催に関しては、[[天皇]]・[[皇后]]をはじめとする皇族が臨席するのだが、沖縄県は[[沖縄県の歴史#琉球処分|琉球処分]]後に方言禁止等の[[皇民化教育]]が施され、その帰結で[[1945年]]に[[太平洋戦争]]の[[沖縄戦|地上戦]]に巻き込まれ、戦後はアメリカ支配下<ref>いわゆる、昭和天皇による沖縄メッセージ(1989年1月公表、当分の間沖縄の異民族支配を容認する内容だった</ref>におかれるなど、数々の犠牲を被った結果、復帰後反天皇制(皇室制度)への活動の拠点として沖縄が利用され、海洋博の際に当時の皇太子[[上皇明仁|明仁親王]]・同妃[[上皇后美智子|美智子]]に対し火炎瓶が投げつけられるなどの[[ひめゆりの塔事件|事件]]があった。このため、沖縄の訪問に際しては賛否両論が巻き起こった。
まず、国体開催に関しては、[[天皇]]・[[皇后]]をはじめとする皇族が臨席するのだが、沖縄県は[[沖縄県の歴史#琉球処分|琉球処分]]後に方言禁止等の[[皇民化教育]]が施され、その帰結で[[1945年]]に[[太平洋戦争]]の[[沖縄戦|地上戦]]に巻き込まれ、戦後はアメリカ支配下<ref>いわゆる、昭和天皇による沖縄メッセージ(1989年1月公表、当分の間沖縄の異民族支配を容認する内容だった</ref>におかれるなど、数々の犠牲を被った結果、復帰後反天皇制(皇室制度)への活動の拠点として沖縄が利用され、海洋博の際に当時の皇太子[[上皇明仁|明仁親王]]・同妃[[上皇后美智子|美智子]]に対し火炎瓶が投げつけられるなどの[[ひめゆりの塔事件|事件]]があった。このため、沖縄の訪問に際しては賛否両論が巻き起こった。


1922年に摂政として訪問して以来となる昭和天皇の訪問がまさに実現するかと思われたそのとき、昭和天皇は病に倒れ、訪問が不可能となり、かわって前述の皇太子夫妻が天皇の名代として臨席した。結局昭和天皇は、沖縄訪問が実現しないまま、1989年1月7日に崩御(死去)した。なお、上皇・上皇后は天皇・皇后時代に国体・全国障害者スポーツ大会以来となる沖縄訪問を全国植樹祭の際に果たし、その後も国立劇場おきなわでの組踊を観覧するなど、数度の訪問をしている。他にも[[徳仁|親王時代の今上天皇]](このときに初めて沖縄を訪問。沖縄海洋博覧会の際に[[秋篠宮文仁親王]]とともに訪問する予定だったが、火炎瓶事件で当時未成年だった皇族の訪問はすべてキャンセルされた)、[[仁親王]]らがこの国体の際訪問している。
1922年に摂政として訪問して以来となる昭和天皇の訪問がまさに実現するかと思われたそのとき、昭和天皇は病に倒れ、訪問が不可能となり、かわって前述の皇太子夫妻が天皇の名代として臨席した。結局昭和天皇は、沖縄訪問が実現しないまま、1989年1月7日に崩御(死去)した。なお、上皇・上皇后は天皇・皇后時代に国体・全国障害者スポーツ大会以来となる沖縄訪問を全国植樹祭の際に果たし、その後も国立劇場おきなわでの組踊を観覧するなど、数度の訪問をしている。他にも[[徳仁|親王時代の今上天皇]](このときに初めて沖縄を訪問。沖縄海洋博覧会の際に[[秋篠宮文仁親王]]とともに訪問する予定だったが、火炎瓶事件で当時未成年だった皇族の訪問はすべてキャンセルされた)、[[仁親王]]らがこの国体の際訪問している。


==関連して発生した事件==
==関連して発生した事件==

2021年4月27日 (火) 14:42時点における版

第42回海邦国体
参加人数 28,665
競技数 冬4、夏5、秋32
開会式 1987年1月27日
閉会式 1987年10月30日
開会宣言 西銘順治沖縄県知事(当時)
夏季大会メイン 那覇市奥武山運動公園水泳プール
秋季大会メイン 沖縄県総合運動公園陸上競技場

第42回国民体育大会(だい42かいこくみんたいいくたいかい)は1987年に開催された国民体育大会である。冬季大会のテーマは「信濃路国体」、夏季・秋季大会のテーマは「海邦国体」でスローガンは「きらめく太陽 ひろがる友情」、マスコットはクイクイである。本大会をもって国体の開催都道府県が全国を一巡し、来年から二巡目に入る。

沖縄県内にこれといった山がないせいか、山岳競技を行っていない(ただし近年は沖縄県内でも山岳競技が可能になった)。

大会概要

期間 開催地 競技数 参加者数
1987年1月27日 - 1月30日 長野県軽井沢町 2 1,952
1987年2月19日 - 2月22日 長野県白馬村 2 1,937
1987年9月20日 - 9月23日 沖縄県(5市町村) 5 4,924
1987年10月25日 - 10月30日 沖縄県 32 19,581
合 計 41 28,394

大会における整備

この大会に合わせて、沖縄県内の各市町村(当時の53市町村の大多数)に運動公園、陸上競技場、体育館が整備された。メイン以外の主な新設競技場は、宜野湾市立体育館、糸満市西崎総合体育館など。一方、奥武山運動公園はほとんど改修で済ませた。奥武山体育館が沖縄県立武道館となったのは、国体開催より10年以上も後のことである。

主会場

メイン会場は、若夏国体で使われた奥武山運動公園改修ではなく、沖縄市泡瀬に新運動公園を建設して作られた。この公園造成のためにも泡瀬干潟が一部埋め立てられている。

交通整備

国体にあわせて、道路整備が主に行われた。

まず、それまで名護市許田から石川市(現うるま市石川地区)石川までしか開通していなかった(1975年沖縄海洋博覧会にあわせて整備)沖縄自動車道を、那覇市首里崎山町まで開通させ、それにあわせて国道330号線の宜野湾市嘉数(現在のバークレーズコート付近)から宜野湾市我如古までの西原バイパスを仮開通させるなど新規インター付近の道路整備を行った。メイン会場となる県総合運動公園陸上競技場へのアクセスには、北中城村字渡口から沖縄市泡瀬まで沖縄県道227号沖縄県総合運動公園線を整備した。その一方で、沖縄都市モノレールは海邦国体までに開通させるプランもあったが、開通したのは2003年8月だった。

那覇空港は滑走路が3000mに延長された以外、改修を行っておらず、那覇港の改修も水深を深くした以外の改修はしていない(那覇空港現ターミナル完成は1999年5月、泊埠頭ターミナルビル(とまりん)完成は1995年で、いずれも海邦国体より後に行われた。)。

宿泊施設

宿泊施設としては、折しも同時期に起きたバブル景気によりリゾートホテルが恩納村中心に建設され、那覇市ほか都市部にも沖縄ワシントンホテルなどの新規ホテルがオープンしたが、大部分は一般住宅に宿泊する「民泊」という形態がとられた。[1]なお、美ら島沖縄総体2010では民泊は使わず既存のホテル・民宿・合宿ができる宿舎などで対応するとのこと。

大会に出場した主な選手

開催に関する問題点

この国体は、史上有数の開催是非が問われた大会だといえるほど問題点が多い大会だった。

まず、国体開催に関しては、天皇皇后をはじめとする皇族が臨席するのだが、沖縄県は琉球処分後に方言禁止等の皇民化教育が施され、その帰結で1945年太平洋戦争地上戦に巻き込まれ、戦後はアメリカ支配下[2]におかれるなど、数々の犠牲を被った結果、復帰後反天皇制(皇室制度)への活動の拠点として沖縄が利用され、海洋博の際に当時の皇太子明仁親王・同妃美智子に対し火炎瓶が投げつけられるなどの事件があった。このため、沖縄の訪問に際しては賛否両論が巻き起こった。

1922年に摂政として訪問して以来となる昭和天皇の訪問がまさに実現するかと思われたそのとき、昭和天皇は病に倒れ、訪問が不可能となり、かわって前述の皇太子夫妻が天皇の名代として臨席した。結局昭和天皇は、沖縄訪問が実現しないまま、1989年1月7日に崩御(死去)した。なお、上皇・上皇后は天皇・皇后時代に国体・全国障害者スポーツ大会以来となる沖縄訪問を全国植樹祭の際に果たし、その後も国立劇場おきなわでの組踊を観覧するなど、数度の訪問をしている。他にも親王時代の今上天皇(このときに初めて沖縄を訪問。沖縄海洋博覧会の際に秋篠宮文仁親王とともに訪問する予定だったが、火炎瓶事件で当時未成年だった皇族の訪問はすべてキャンセルされた)、寬仁親王らがこの国体の際訪問している。

関連して発生した事件

学校現場での日章旗(日の丸)掲揚、君が代斉唱が推奨されたが、沖縄県教職員組合などが反対運動を行ったばかりでなく、1986年には高校の卒業式が大荒れになり、さらに那覇市立神原中学校で一部の卒業生によって旗が倒されたりもした。そして、読谷村営野球場でのソフトボール開会式で、当時同村内のスーパー経営・知花昌一(その後読谷村議会議員)によって旗が引き下ろされた上燃やされ、知花が逮捕されるという事件が起きた。その後右翼団体が「国旗燃ヤス村ニ平和ワ早スギル天誅ヲ下ス」などとしてスーパーへの放火や、同村にあるチビチリガマ(住民が集団自決した洞窟)にある「平和の像」をなぎ倒すなどの破壊事件等報復が相次いだ。後者の事件では実行犯の右翼団体構成員2名が逮捕された。さらに自衛隊・米軍の参加を巡っても論議が巻き起こった(若夏国体の時に自衛隊参加問題が起きている)。

実施競技

総合成績

天皇杯

  • 1位 - 沖縄県
  • 2位 - 東京都
  • 3位 - 大阪府

皇后杯

  • 1位 - 沖縄県
  • 2位 - 愛知県
  • 3位 - 東京都

脚注

  1. ^ 海邦国体で民泊 千葉の片岡さん、山城さんと再会 琉球新報2007年10月15日朝刊より
  2. ^ いわゆる、昭和天皇による沖縄メッセージ(1989年1月公表、当分の間沖縄の異民族支配を容認する内容だった

参考文献

外部リンク