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2021年4月27日 (火) 14:49時点における版
麻生 太郎(あそう たろう、1887年(明治20年)9月 - 1919年(大正8年)3月[1])は日本の実業家。
人物
麻生太吉の三男として生まれる。長兄の太右衛門は病弱で、次兄の鶴十郎も若くして他界したため、麻生家の後継となる[2]。麻生商店取締役を務めた[3]。同姓同名の第92代総理大臣は孫にあたる。
家族・親族
- 祖父 - 賀郎(庄屋)
- 祖母 - マツ(福岡県、永富家出身)
- 父 - 太吉(実業家、政治家)
- 母 - ヤス(福岡県、吉川(きっかわ)半次郎六女)
- 妻 - 夏子(子爵加納久朗の妹、筑後三池藩第6代藩主立花種周の曾孫、立花種道の孫、子爵加納久宜の子)
- 子 - 太賀吉(実業家、政治家)
- 子 - 典太(実業家)
- 孫 - 太郎(実業家、政治家)
- 孫 - 次郎
- 孫 - 泰(実業家)
- 孫 - 寬仁親王妃信子
- 曾孫 - 巌(実業家)
- 曾孫 - 彬子女王
- 曾孫 - 瑶子女王
脚注
- ^ “麻生の歴史 太吉とその家族”. 麻生グループ. 2014年7月19日閲覧。
- ^ “悲嘆と栄誉”. 麻生グループ. 2020年12月2日閲覧。
- ^ 麻生太郎 近現代・系図ワールド~政治家系大事典~吉田茂・麻生太賀吉