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この都市の地名は、{{lang|la|''Mons Faliscorum''}}({{仮リンク|ファリスキ人|en|Falisci}}の山)に由来しており、のちに[[エトルリア]]の支配下に入った。この都市には、{{仮リンク|ファヌム・ヴォルトゥムナエ|en|Fanum Voltumnae}}と呼ばれるエトルリアの[[古代ローマの神殿|神殿]]があったと考えられている。[[ローマ帝国]]のもとで、この祭典は{{仮リンク|ウォルシニー|en|Volsinii}}付近において執り行われていた。 |
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モンテフィアスコーネの名を記した最古の文書は[[853年]]のもので、このとき都市はトスカナ司教に属していた。1058年には[[教皇]][[ステファヌス |
モンテフィアスコーネの名を記した最古の文書は[[853年]]のもので、このとき都市はトスカナ司教に属していた。1058年には[[教皇]][[ステファヌス9世 (ローマ教皇)|ステファヌス9世]]が、1074年には教皇[[グレゴリウス7世 (ローマ教皇)|グレゴリウス7世]]が、それぞれ訪れている。 |
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1093年には、[[神聖ローマ帝国|神聖ローマ皇帝]][[ハインリヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ4世]]が城塞を包囲した。1185年には皇帝[[フリードリヒ1世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ1世]]が訪れており、この城塞の重要性が確認できる。その後の2世紀にわたり、モンファルコーネは[[教皇領]]となり、その全盛期を迎えた。城はしばしば教皇の御座所となり、拡張と装飾が加えられた。14世紀の[[アヴィニョン捕囚]]の時代には、この城は教皇使節アルボルノス枢機卿{{enlink|Gil Álvarez Carrillo de Albornoz}}の居城であった。 |
1093年には、[[神聖ローマ帝国|神聖ローマ皇帝]][[ハインリヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ4世]]が城塞を包囲した。1185年には皇帝[[フリードリヒ1世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ1世]]が訪れており、この城塞の重要性が確認できる。その後の2世紀にわたり、モンファルコーネは[[教皇領]]となり、その全盛期を迎えた。城はしばしば教皇の御座所となり、拡張と装飾が加えられた。14世紀の[[アヴィニョン捕囚]]の時代には、この城は教皇使節アルボルノス枢機卿{{enlink|Gil Álvarez Carrillo de Albornoz}}の居城であった。 |
2021年4月30日 (金) 22:01時点における版
モンテフィアスコーネ Montefiascone | |||
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行政 | |||
国 | イタリア | ||
州 | ラツィオ | ||
県/大都市 | ヴィテルボ | ||
CAP(郵便番号) | 01027 | ||
市外局番 | 0761 | ||
ISTATコード | 056036 | ||
識別コード | F499 | ||
分離集落 | #分離集落参照 | ||
隣接コムーネ | #隣接コムーネ参照 | ||
地震分類 | zona 2B (sismicità media) | ||
気候分類 | zona E, 2467 GG | ||
公式サイト | リンク | ||
人口 | |||
人口 | 13,498 [1] 人 (2018-01-01) | ||
人口密度 | 128.9 人/km2 | ||
文化 | |||
住民の呼称 | montefiasconesi | ||
守護聖人 | アンティオキアのマルガリタ (Santa Margherita d'Antiochia) | ||
祝祭日 | 7月20日 | ||
地理 | |||
座標 | 北緯42度32分25秒 東経12度02分13秒 / 北緯42.54028度 東経12.03694度座標: 北緯42度32分25秒 東経12度02分13秒 / 北緯42.54028度 東経12.03694度 | ||
標高 | 590 (220 - 633)[2] m | ||
面積 | 104.75 [3] km2 | ||
ヴィテルボ県におけるコムーネの領域 | |||
ポータル イタリア |
モンテフィアスコーネ(イタリア語: Montefiascone)は、イタリア共和国ラツィオ州ヴィテルボ県にある都市で、その周辺地域を含む人口約1万3000人の基礎自治体(コムーネ)。
ボルセーナ湖を望む丘の上に位置する市街は長い歴史を持ち、司教座聖堂(ドゥオーモ)を擁する。中世以来すぐれたワインの生産でも知られており、D.O.C.ワイン(原産地統制を受けたイタリアワイン)「エスト! エスト!! エスト!!! ディ・モンテフィアスコーネ」の産地である。
地理
位置・広がり
ヴィテルボ県北部に所在するコムーネである。ボルセーナ湖南東の丘の上に位置するモンテフィアスコーネの街は、県都ヴィテルボの北北西約15km、チヴィタヴェッキアの北北東約53km、ペルージャの南南西約70km、首都ローマの北北西約79kmに位置する。
隣接コムーネ
-
町から眺めるボルセーナ湖
-
旧市街
歴史
この都市の地名は、Mons Faliscorum(ファリスキ人の山)に由来しており、のちにエトルリアの支配下に入った。この都市には、ファヌム・ヴォルトゥムナエと呼ばれるエトルリアの神殿があったと考えられている。ローマ帝国のもとで、この祭典はウォルシニー付近において執り行われていた。
モンテフィアスコーネの名を記した最古の文書は853年のもので、このとき都市はトスカナ司教に属していた。1058年には教皇ステファヌス9世が、1074年には教皇グレゴリウス7世が、それぞれ訪れている。
1093年には、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が城塞を包囲した。1185年には皇帝フリードリヒ1世が訪れており、この城塞の重要性が確認できる。その後の2世紀にわたり、モンファルコーネは教皇領となり、その全盛期を迎えた。城はしばしば教皇の御座所となり、拡張と装飾が加えられた。14世紀のアヴィニョン捕囚の時代には、この城は教皇使節アルボルノス枢機卿 (Gil Álvarez Carrillo de Albornoz) の居城であった。
しかしながら、1462年の教皇ピウス2世の時代には、すでに城は荒廃した状態になっていた。1657年の疫病や、1697年の地震は、荒廃に拍車をかけた。
1870年、教皇領の編入により、この都市はイタリア王国の一部となった。第二次世界大戦中の1944年5月には、連合軍の爆撃により被害を受けている。
行政
分離集落
モンテフィアスコーネには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。
- Le Coste, Le Grazie, Le Mosse, Zepponami, Fiordini
社会
人口
人口推移
人口推移 | ||
---|---|---|
年 | 人口 | ±% |
1871 | 7,231 | — |
1881 | 7,389 | +2.2% |
1901 | 9,371 | +26.8% |
1911 | 9,971 | +6.4% |
1921 | 10,336 | +3.7% |
1931 | 10,864 | +5.1% |
1936 | 11,277 | +3.8% |
1951 | 11,563 | +2.5% |
1961 | 12,054 | +4.2% |
1971 | 11,819 | −1.9% |
1981 | 12,508 | +5.8% |
1991 | 12,656 | +1.2% |
2001 | 12,653 | −0.0% |
2011 | 13,388 | +5.8% |
文化・観光
- モンテフィアスコーネの大聖堂
- モンテフィアスコーネの大聖堂 (Montefiascone Cathedral) は、建築家ミケーレ・サンミケーリ(1484年-1559年)の初期の作品のひとつである。聖マルゲリータにささげられたこの聖堂は1330年に破壊され、300年にわたって再建工事が続けられた。1670年には火災の被害に遭い、工事はさらに10年延びることとなった。現在の内装は、1893年に補修されたものである。
交通
道路
- 国道
脚注
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Total Resident Population on 1st January 2018 by sex and marital status” (英語). 2018年11月15日閲覧。
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Viterbo (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年3月8日閲覧。
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Viterbo (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年3月8日閲覧。
外部リンク
サン・ロレンツォ・ヌオーヴォ グラードリ |
ボルセーナ | バニョレージョ | ||
カポディモンテ マルタ |
||||
モンテフィアスコーネ | ||||
ヴィテルボ |