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2021年5月13日 (木) 21:14時点における版

藤橋城・西美濃プラネタリウム
藤橋城・西美濃プラネタリウム
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施設情報
正式名称 藤橋城・西美濃プラネタリウム
愛称 藤橋城
専門分野 プラネタリウム
開館 1989年
所在地 501-0802
日本の旗 日本
位置 岐阜県揖斐郡揖斐川町鶴見332番地1北緯35度38分17.63秒 東経136度29分13.97秒 / 北緯35.6382306度 東経136.4872139度 / 35.6382306; 136.4872139
プロジェクト:GLAM
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藤橋城の位置(日本内)
藤橋城
藤橋城の位置
残雪の山と藤橋城

藤橋城・西美濃プラネタリウム(ふじはしじょうにしみのぷらねたりうむ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町鶴見(旧藤橋村)にある町営のプラネタリウム

概要

1989年に旧藤橋村が建設した「プラネタリウム」で、外見を彦根城に似た天守風にし藤橋城と名づけた。

藤橋城は4階建てで、1階がプラネタリウム、2階が星の展示室、3階が旧藤橋村の歴史と民俗の展示(甲冑も展示)、4階が展望室である)[1]

かつてこの地には「杉原砦」と呼ばれるがあったが、付近には多数の砦があり、現在の藤橋城のある場所に痕跡は全く無く、砦があった明確な事実はない。城址としてでなく完全な観光地として成立している。

施設利用

休館日
毎週月曜日と火曜日(祝日と重なる場合は週初めの2日間)、及び12月から3月(積雪の為)。
開館時間
10:00から16:30
入場料
大人500円、小人250円、幼児100円で、隣の藤橋歴史民俗資料館と共通。

杉原砦

藤橋城付近には、かつて南北朝時代に「杉原砦」といわれるがあったとされる。南北朝時代、この地は美濃国から越前国近江国に抜ける戦略上重要な地であり、南朝側の新田義貞が、北朝側の土岐氏に対抗し砦を建設されたとされている。廃砦時期は不明。南朝勢力側の砦があったのは事実ではあるが、資料によっては築城時期が1400年頃となっているが、1400年頃は新田義貞はもう生存しておらず、南北朝時代も終わっている為、矛盾がある。

なお、この地の住人に杉原家盛(杉原六郎左衛門家盛)があり、後の豊臣秀吉の正室ねねはこの家の出身。

アクセス

周辺施設

脚注

  1. ^ a b 藤橋城(西美濃プラネタリウム)”. 揖斐川町. 2015年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月4日閲覧。
  2. ^ 藤橋歴史民俗資料館”. 揖斐川町. 2012年2月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月4日閲覧。
  3. ^ 徳山会館”. 揖斐川町 (2019年4月5日). 2019年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月2日閲覧。

関連項目

外部リンク