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*JR[[予讃線]][[宇和島駅]]から徒歩約15分で登り口、登り口から天守まで徒歩約20分 |
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2021年5月13日 (木) 21:19時点における版
宇和島城 (愛媛県) | |
---|---|
天守 | |
別名 | 丸串城、板島城、鶴島城 |
城郭構造 | 梯郭式平山城 |
天守構造 |
複合式望楼型3重3階(慶長6年(1601年)築、非現存) 独立式層塔型 3重3階(寛文11年(1671年)再、現存) |
築城主 | 西園寺公経 |
築城年 | 嘉禎2年(1236年) |
主な改修者 | 藤堂高虎、伊達宗利 |
主な城主 | 藤堂氏、伊達氏 |
廃城年 | 明治4年(1871年) |
遺構 | 現存天守・門、石垣 |
指定文化財 |
重要文化財(天守) 国の史跡 宇和島市指定有形文化財(上り立ち門) |
位置 | 北緯33度13分10.12秒 東経132度33分54.85秒 / 北緯33.2194778度 東経132.5652361度座標: 北緯33度13分10.12秒 東経132度33分54.85秒 / 北緯33.2194778度 東経132.5652361度 |
地図 |
宇和島城(うわじまじょう)は、四国の愛媛県宇和島市丸之内にあった日本の城である。江戸時代は宇和島藩の藩庁となった。城跡は国の史跡に指定されている(1937年(昭和12年)指定)。
概要
宇和島城は、中世期にあった丸串城(板島城)の跡に藤堂高虎によって築かれた近世城郭である。標高74メートル(80メートルとも)の丘陵とその一帯に山頂の本丸を中心に囲むように二ノ丸、その北に藤兵衛丸、西側に代右衛門丸、藤兵衛丸の北に長門丸(二ノ丸とも)を中腹に配置し、麓の北東に三ノ丸、内堀で隔てて侍屋敷が置かれた外郭を廻らせる梯郭式の平山城で、東側に海水を引き込んだ水堀、西側半分が海に接しているので「海城(水城)」でもある[1]。
現在見られる、天守などの建築は宇和島伊達家によるものであるが、縄張そのものは築城の名手といわれた藤堂高虎の創建した当時の形が活用されたと見られている。外堀などの外郭ラインが五角形となる縄張りは、幕府の隠密が江戸に送った密書(『讃岐伊予土佐阿波探索書』)には「四方の間、合わせて十四町」と誤って記され、この史実から高虎の巧みな設計として「空角の経始(あきかくのなわ)」の話が生まれたとされる。
宇和島城には本丸天守から、原生林の中を抜ける間道が数本あり、西海岸の舟小屋、北西海岸の隠し水軍の基地などに通じていた。宇和島城には「空角の経始」、間道、隠し水軍などの優れた高虎の築城術の秘法が、見事に生かされた城だったのである。[要出典]
城を囲む五角形の堀は、高虎の後の大名にも代々受け継がれたが、現在は堀も海も埋め立てられている。明治以降は大半の建物が撤去され、城郭は戦後「城山公園」として整備された。建物は天守、追手門などが残されたが、太平洋戦争中の空襲により追手門を焼失して現在は、天守(重要文化財)と上り立ち門(市指定文化財)、石垣が現存する。
歴史・沿革
平安時代から安土桃山時代
- 天慶4年(941年) - 警固使・橘遠保が藤原純友の乱鎮定の際、この地に砦を構えたとされる。
- 嘉禎2年(1236年) - 西園寺公経が宇和島地方を勢力下に置き、現在の城山に砦程度の城を築く。当時は丸串城と呼ばれていた。
- 天文15年(1546年) - 家藤監物が城主となる。大友氏、長宗我部氏等の侵攻を受けるがこれに耐えた。
- 天正3年(1575年) - 監物が去り、西園寺宣久の居城となる。
- 天正13年(1585年) - 豊臣秀吉の四国討伐により、伊予国は小早川隆景の所領となる。隆景家臣の持田右京が城代を務めた。
- 天正15年(1587年) - 隆景が筑前国に転封となり、代わって大洲城に戸田勝隆が入城。戸田与左衛門が城代となった。
- 文禄4年(1595年) - 藤堂高虎が宇和郡7万石を拝領し入城。
- 慶長元年(1596年) - 高虎が城の建造を開始。
- 慶長6年(1601年) - 現在の城郭が完成、宇和島城と名付けられる。高虎は関ヶ原の戦いの功により前年に国府(現今治市)に移封が決まっていたが、城の完成を見届けた後に移った。
江戸時代
- 慶長13年(1608年) - 富田信高が伊勢国より転封し入城。
- 慶長18年(1613年) - 信高が改易となり、宇和郡は徳川幕府直轄となる。高虎が代官となり良勝(高虎の従弟)を城代とした。
- 慶長19年(1614年) - 伊達政宗の長男(庶子)伊達秀宗が10万石で入封。
- 元和元年(1615年) - 秀宗入城。
- 寛文2年(1662年) - 2代藩主宗利が天守をはじめ、城郭全体の改修に着手。
- 寛文6年頃(1666年) - 天守の建築完了。現存12天守の一つにかぞえられる天守は宗利によるもので、幕府への届出は修理とされていたが、土台は岩盤から石垣へ、構造は望楼型から層塔型へ、外観は下見板張から白漆喰総塗込へとまったく異なる天守が建築された。
- 寛文11年(1671年) - 改修竣工。
近現代
- 明治4年(1871年) - 明治政府により城は兵部省に帰属。大阪鎮台の所管となる。
- 明治33年(1900年) - この頃より櫓・城門などが解体される。
- 昭和9年(1934年) - 天守・追手門(大手門)が国宝保存法に基づき、当時の国宝(現行法の「重要文化財」に相当)に指定される。
- 昭和12年(1937年)12月21日 - 国により史跡に指定される[2]。管理団体は宇和島市。
- 昭和20年(1945年)7月12日 - 太平洋戦争末期の宇和島空襲により追手門を焼失。
- 昭和24年(1949年) - 伊達家が天守と城山の大半を市に寄贈、管理下に置かれる。
- 昭和25年(1950年) - 文化財保護法の施行により天守が重要文化財に指定される。
- 昭和35年 - 37年(1960年 - 1962年) - 天守を解体修理。
- 平成18年(2006年)4月6日 - 日本100名城(83番)に選定された。
- 平成28年(2016年)3月1日 - 作事所跡などが国の史跡「宇和島城跡」に追加指定された[2][3]。
遺構
天守
当初、高虎による複合式望楼型の三重天守が上がっていたが、寛文2年(1662年)から寛文11年(1671年)に2代目藩主伊達宗利によって行われた改修の際に修築の名目で現在の独立式層塔型3重3階に建て替えられた。
- 慶長期
- 高虎の天守は、自然の岩盤の上に地業を施して天守台とし、初重に大入母屋屋根、2重目以上の平面は複雑に突出した外観であったが、初重平面はほぼ歪みのない正方形で、広島大学大学名誉教授・三浦正幸は、この技術が後の歪みのない正方形平面を必要とする層塔型天守に応用されることとなったのであるという。実際にこの後、高虎によって亀山城に層塔型の天守が建てられている[4]。
- 寛文期
- 現在に伝わる天守である。廊下の内側に障子戸が残る形式は現存唯一とされ、また畳敷きの名残である「高い敷居」があり、これらは簡略化されがちとされる江戸時代中期の天守に安土桃山時代から江戸時代初期にかけての古い意匠が用いられたとされる。壁には狭間や石落としなど戦いの備えが一切なく、窓には縦格子があるものの、五角形にして外を眺めやすくしている。使い勝手や装飾が重視されていることから無防備な太平の世の建築であるといわれるが[5]、実際はすべての窓の下の腰壁には鉄砲掛けがあり、腰程の高さにあけられた窓から直接射撃を行う設計であったと考えられている[6]。
外観は長押形で飾られた白漆喰総塗籠の外壁仕上げの各重に千鳥破風、唐破風を配置した外観である。天守の入り口には唐破風屋根で開放的な造りの玄関が用いられている。妻飾りには伊達家の家紋が付けられ、上から「九曜」、「宇和島笹」、「竪三つ引」の紋が見られ、また屋根瓦にも「九曜」が用いられている。
現地情報
交通
料金
- 大人:200円
利用情報
参考文献
- 西ヶ谷恭弘 編『定本 日本城郭事典』秋田書店、2000年。ISBN 4-253-00375-3。
- 井上宗和『日本の城の秘密 : 戦国武将の知略と攻防のドラマ』祥伝社〈ノンブック. 日本史の旅 ; 7〉、1980年。
- 『宇和島城』 宇和島市教育委員会文化・スポーツ課作成パンフレット
脚注
- ^ 全国城郭管理者協議会監修『日本の名城』碧水社、1997年。
- ^ a b “宇和島城の作事所跡 国史跡追加へ”. 愛媛新聞. (2015年11月21日) 2015年11月21日閲覧。
- ^ 平成28年3月1日文部科学省告示第35号
- ^ 三浦正幸監・編集 編『CG復元 よみがえる天守』新人物往来社、2001年。ISBN 4-404-02767-2。
- ^ 村田修三 監修『ビジュアル・ワイド 日本名城百選』小学館、2008年。ISBN 978-4-09-681564-9。
- ^ 三浦正幸 監修『【決定版】図説・天守のすべて』学習研究社〈歴史群像シリーズ特別編集〉、2007年。ISBN 978-4-05-604634-2。
関連項目
外部リンク
- 宇和島城 - 宇和島市公式ホームページ
- 宇和島城 - 宇和島市観光協会
- 国指定文化財等データベース
- 公益財団法人宇和島伊達文化保存会