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「三崎町 (神奈川県)」の版間の差分

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'''三崎町'''(みさきまち)とはかつて[[神奈川県]][[三浦郡]]に存在した[[町]]で現在の[[三浦市]]南西部にあたる。かつての三崎町の範囲がそのまま三崎町として地域名になっている。ここでは現在の三崎町についても解説する。
'''三崎町'''(みさきまち)とはかつて[[神奈川県]][[三浦郡]]に存在した[[町]]で現在の[[三浦市]]南西部にあたる。かつての三崎町の範囲がそのまま三崎町として地域名になっている。ここでは現在の三崎町についても解説する。

2021年5月13日 (木) 22:06時点における版

みさきまち
三崎町
三崎の市街地遠景
三崎の市街地遠景
廃止日 1955年1月1日
廃止理由 新設合併
三浦郡初声村三崎町南下浦町、→ 三浦市
現在の自治体 三浦市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
三浦郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 三浦郡初声村南下浦町
三崎町役場
所在地 神奈川県三浦郡三崎町
ウィキプロジェクト
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三崎町 (神奈川県)の位置(日本内)
三崎町 (神奈川県)
三崎
三崎の市街地

三崎町(みさきまち)とはかつて神奈川県三浦郡に存在したで現在の三浦市南西部にあたる。かつての三崎町の範囲がそのまま三崎町として地域名になっている。ここでは現在の三崎町についても解説する。

概要

三浦半島の最西南端に位置し港を挟み城ヶ島と向かい合う。一帯は丘陵に谷戸が食い込む複雑な地形である。

古くから栄える下町地区は陸地に食い込む運河のような北条湾(ほうじょうわん)により2つに分けられる。西部側の三崎町は三浦市の中心市街地であり、市役所等公共施設や商店、観光施設が集中している。西部や港の周りには水産加工工場や市場などの港湾施設が多く集まる。北条湾の東部に位置する晴海町地区には住宅地が造成されているが沿岸部は工場地区である。内陸部の地域(栄町、東岡、諏訪町、天神町、城山町など)も住宅地だが、北部に行くにつれて田畑や山林が多くなる。

古くから風光明美な地として知られ、源頼朝が城ヶ島と三崎の宝蔵山に桜を植樹して宴会を催したこともある。

平安後期から室町時代まで三浦党という武家の根拠地の一つであった。三浦党は、鎌倉後期頃に水軍の基地として三崎城を築城した。三浦氏滅亡後は新領主の後北条家が引き続き城を管理し、対岸の房総半島の戦国大名里見氏の備えとした。北条氏滅亡後は徳川家の支配下に置かれる。徳川家武将向井正綱が入り徳川氏の御手船衆(徳川水軍)の本拠が置かれた。明治以後は遠洋漁業の拠点として栄えた。三崎のマグロ漁は1960年代に最盛期を迎え、3軒の映画館、数多くの遊興施設、花街が賑わい、当時は「眠らない街」と呼ばれるほどであった[1]。その後、冷凍技術の発達で日本国外から安価なマグロが流入するようになると、三崎のマグロ漁は衰退していった[2]

近年は、三崎漁港の水揚げ高が近年減少しているため、古い景観を残す街並みや自然、東京からのアクセスの良さなどの長所を活かし気軽に訪れられる観光地として町おこしを進めている。その結果、特産品マグロを目玉とし様々な魅力を持つ観光地としても知られるようになった。また古い街並みを生かしたフィルム・コミッション事業も盛んである。三浦を舞台にした映画、ドラマ、ゲーム作品を紹介するNPO法人が経営するギャラリーも開所している。2015年(平成27年)の三崎魚市場の取扱総量は21,892t(うち遠洋漁業による取扱量は14,069t)であり、同年8月1日現在のみうら漁業協同組合の組合員数は916人(うち正組合員は352人)である[3]

東京大学の付属機関である臨海実験所がある地でもある。この臨海実験所は日本最初のものであり、そのため、海洋生物の研究が古くよりよく行われている。海岸の生物の分布に三崎がよく上がっているのもこのためである。この地の名のついたものにミサキコモチクラゲミサキギボシムシなどがある。

沿革

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い三崎町、諸磯村、小網代村、城ヶ島村、六合村が合併し三崎町が成立する。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 三浦郡初声村・南下浦町と合併、同時に市制を施行し三浦市となる。
  • 2009年(平成21年)9月: 三崎の仲崎・花暮地域に伝わる小正月の伝統行事「チャッキラコ」がユネスコ世界無形文化遺産に登録される。

三崎にある主な施設

うらり 産直センター
海南神社

アクセス

脚注

  1. ^ 加藤 2017, p. 72.
  2. ^ 加藤 2017, pp. 72–73.
  3. ^ 【3】水産業”. 平成27年度版三浦市統計書. 三浦市市民部統計情報課. 2017年5月11日閲覧。

参考文献

  • 加藤佳一『ローカル路線バス終点への旅』洋泉社、2017年4月19日、223頁。ISBN 978-4-8003-1199-3 

関連項目

三崎を舞台にした作品

外部リンク