コンテンツにスキップ

「平館城」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
1行目: 1行目:
{{mapplot|141.09066|39.94480|平舘}}
{{Location map|Japan Mapplot|coordinates={{Coord|39.94480|141.09066}}|caption=平舘|width=256}}
'''平館城'''(たいらだてじょう)は、[[岩手県]][[八幡平市]]平舘に所在した[[日本の城]]。
'''平館城'''(たいらだてじょう)は、[[岩手県]][[八幡平市]]平舘に所在した[[日本の城]]。



2021年5月13日 (木) 22:19時点における版

平館城の位置(日本内)
平館城
平舘

平館城(たいらだてじょう)は、岩手県八幡平市平舘に所在した日本の城

沿革

平館は北岩手西根の中心地で、北は一戸、南は厨川に通ずる交通の要衝であった。平館城は平館集落西側の丘陵地帯の八幡神社裏手の山頂部と南側の最高所の舘山の2郭に分けられる[1]

歴史

築城年代は不明。室町期からみられる地名で、陸奥国磐手郡平舘村。八戸南部氏の主要な所領であったとみられる。天正年間の城主は一戸城主一戸政連の弟信濃守政包平舘氏を継ぎ、1,000石を領して当館を居城としたとあるが、それ以前は判明しない。

一戸政連は一戸城を継いで兵部大輔政連と称し、一戸南部氏の庶流荒木田五郎(一戸五郎)光恒の子孫に当たると伝えており、 天正9年(1581年)7月、平舘政包は九戸政実に誘われ、一戸城で一戸政連およびその子出羽を共に殺害して、南部信直によって知行召し上げとなったが、津軽石行重(宮古)の子が平館彦六と称して再興している。

脚注

参考資料

  • 『岩手県史 第3巻 中世篇 下』岩手県、1961年10月20日。 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 3 岩手県』角川書店、1985年3月8日。ISBN 4-040-01030-2 
  • (有)平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系 第3巻 岩手県の地名』平凡社、1990年7月13日。ISBN 4-582-91022-X 
  • 児玉 幸阿・坪井 清足『日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』新人物往来社、1980年7月15日。 

関連項目