「ハンガリーの聖マルガリタ」の版間の差分
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マルギトは[[四旬節]]の間はほとんど何も食べず、眠らずに過ごしたという。また自ら進んで汚い仕事を行った。28歳にて死去した。マルギトが王女であった頃使えていた召使いのアグネスは、「王女でありながら、私たちより謙遜な方であった」と語った。 |
マルギトは[[四旬節]]の間はほとんど何も食べず、眠らずに過ごしたという。また自ら進んで汚い仕事を行った。28歳にて死去した。マルギトが王女であった頃使えていた召使いのアグネスは、「王女でありながら、私たちより謙遜な方であった」と語った。 |
2021年5月19日 (水) 21:33時点における版
ハンガリーの聖マルガリタ(マルギト) | |
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聖ミハーイ教会の聖マルガリタ像 | |
他言語表記 |
Szent Margit(ハンガリー語) Sancta Margarita Hungariae(ラテン語) |
生誕 |
1242年1月27日 クロアチア王国・クリス要塞 |
死没 |
1270年1月18日 ブダペスト・マルギット島 |
崇敬する教派 | カトリック教会 |
列福日 | 1789年 |
列聖日 | 1943年11月19日 |
記念日 | 1月18日(カトリック) |
ハンガリーの聖マルガリタ(ラテン語: Sancta Margarita Hungariae)、ハンガリー語名マルギト(Szent Margit, 1242年1月27日 - 1270年1月18日)は、カトリックの聖人。ハンガリー王国アールパード朝の王女。ハンガリー国王ベーラ4世とマリア・ラスカリナ王妃の第9子である。叔母にカトリック・聖公会・ルーテル教会の聖人であるエルジェーベト(エリザベト)がいる。
生涯
クロアチア王国・クリスの要塞にて、10人兄弟の9番目の娘として生まれる[1]。モンゴル帝国のハンガリーへの侵攻による政情不安のため、両親はブダペスト[2]のドミニコ会修道院に4歳のマルギトを預けた。マルギトは12歳になると修道女になることを決意し、ボヘミア王オタカル2世からの結婚の申し込みを始め、全ての縁談を断り、修道女としてのつましい暮らしを望んだ。
マルギトは四旬節の間はほとんど何も食べず、眠らずに過ごしたという。また自ら進んで汚い仕事を行った。28歳にて死去した。マルギトが王女であった頃使えていた召使いのアグネスは、「王女でありながら、私たちより謙遜な方であった」と語った。
マルギトは1943年11月19日、教皇ピウス12世によって列聖された。カトリックでの祝日は1月18日である。絵画では通常、手に本と白い百合の花を持った姿で描かれる[3]。
遺物の一部はハンガリーのエステルゴム、パンノンハルマ、ジェールに保存されている。
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白い百合と本を持つ聖マルガリタ
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聖マルガリタの墓(ブダペスト・マルギト島のドミニコ会修道院にて)
脚注
- ^ “Klis –vrata Dalmacije” (Croatian) (PDF). Građevinar (Zagreb: Croatian Society of Civil Engineers) 53 (9): 605–611. (September 2001). ISSN 0350-2465. オリジナルの2011年7月18日時点におけるアーカイブ。 2012年9月22日閲覧。.
- ^ 当時はブダとオーブダ、ペシュトがまだ統合されていない。
- ^ Attwater, Donald and Catherine Rachel John. The Penguin Dictionary of Saints. 3rd edition. New York: Penguin Books, 1993. ISBN 0-14-051312-4.