マリア・ラスカリナ
表示
マリア・ラスカリナ Maria Laskarina | |
---|---|
ハンガリー王妃 | |
| |
在位 | 1218年 - 1270年 |
出生 |
1206年頃 |
死去 |
1270年6月16日/24日 ハンガリー王国、ブダ |
埋葬 | ハンガリー王国、エステルゴム |
結婚 | 1218年 |
配偶者 | ハンガリー王ベーラ4世 |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ラスカリス家 |
父親 | ニカイア皇帝テオドロス1世ラスカリス |
母親 | アンナ・アンゲリナ |
宗教 | キリスト教正教会 → カトリック教会 |
マリア・ラスカリナ(Maria Laskarina, 1206年頃 - 1270年6月16日または6月24日)は、ハンガリー王ベーラ4世の妃。ハンガリー語名はラスカリス・マーリア(Laszkarisz Mária)。
生涯
[編集]ニカイア帝国初代皇帝テオドロス1世ラスカリスと、妃アンナ・アンゲリナの次女として生まれた。
1218年、ベーラ4世と結婚した。2人の間には10子が生まれた。
- マルギト(1220年 - 1242年)
- キンガ(1224年 - 1292年)
- アンナ(1226年 - 1285年) - ガーリチ公ロスチスラフ・ミハイロヴィチの妻
- カタリン(1229年 - 1242年)
- エルジェーベト(1236年 - 1271年) - バイエルン公ハインリヒ13世妃
- コンスタンツィア(1237年 - ?) - ガーリチ公レフ妃
- ヨラーン(1239年 - 1298年) - ヴィエルコポルスカ公ボレスワフ妃
- イシュトヴァーン5世(1239年 - 1272年)
- マルギト(1242年 - 1270年)
- ベーラ(1243年 - 1269年)
1270年、マリアはブダで死去し、エステルゴムに埋葬された。
近代ギリシャ王国の初代国王オソン1世はヴィッテルスバッハ家のバイエルン王子であったが、ギリシャ王に推戴された理由の一つとして、マリアの息子イシュトヴァーン5世の子孫で東ローマ皇帝の末裔であったことが挙げられた。またオソン以外のギリシャ国王候補者もマリアの血を引いていた。