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*[[1991年]] [[ハーバード大学]][[経営大学院]][[ハーバード・ビジネス・スクール]]修了、Master of Business Administration
*[[1991年]] [[ハーバード大学]][[経営大学院]][[ハーバード・ビジネス・スクール]]修了、Master of Business Administration
*[[1992年]] [[ボストンコンサルティンググループ]]入社
*[[1992年]] [[ボストンコンサルティンググループ]]入社
*[[1994年]] [[アップル (企業)|アップルコンピュータ]]入社
*[[1994年]] [[Apple|Apple Computer]]入社
*[[1997年]] [[コンパックコンピュータ]](現[[日本ヒューレット・パッカード]])入社
*[[1997年]] [[コンパックコンピュータ]](現[[日本ヒューレット・パッカード]])入社
*[[2003年]] [[日本ヒューレット・パッカード]]代表取締役社長就任
*[[2003年]] [[日本ヒューレット・パッカード]]代表取締役社長就任

2021年5月20日 (木) 10:31時点における版

ひぐち やすゆき

樋口 泰行
2012年
生誕 (1957-11-28) 1957年11月28日(66歳)
日本の旗 日本兵庫県
国籍 日本の旗 日本
出身校 大阪大学工学部
ハーバード大学経営大学院
職業 経営者
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樋口 泰行(ひぐち やすゆき、1957年11月28日 - )は、日本の実業家。現在、パナソニック代表取締役専務兼コネクティッドソリューションズ社社長。

来歴・人物

兵庫県生まれ。大阪大学工学部卒業。松下電器産業のエンジニア時代、同じプロジェクトで仕事をした米国IBMスタッフたちから、強烈なカルチャーショックを受け、「MBA留学」を渇望するようになる。猛勉強の末、ハーバード大学ハーバード・ビジネス・スクールへ入学し、修了後は異色のキャリアを積む。そして2003年、45歳という若さで日本ヒューレット・パッカード社長に抜擢された。

経歴だけを見れば、一見華やかなエリートと思われるが、本人は内向的で、話し下手で、人一倍不器用な人間だったと言う。それでも大きな成果を上げることができたのは、愚直なまでの「努力」と「熱意」で目の前の仕事と格闘してきたからであり、たとえどんなに厳しい環境でも、必死に努力して自分の存在価値を示せば、次のステップが見えてくる。そんな信念を持って生きてきた事を綴り、2005年3月に著書『「愚直」論』を出版した。

同年5月に日本ヒューレット・パッカード社を退任し、産業再生機構の支援で再建中であったダイエー代表取締役社長に就任した。しかし、同社を支援する丸紅との確執から、2006年10月に社長を退任。そんな「ダイエー再生」に挑んだ499日間の出来事を綴り、2007年12月に著書『変人力』を出版した。

2007年3月5日付で、マイクロソフト日本法人の代表執行役最高執行責任者(COO)に、翌2008年4月1日付で、同代表執行役社長 兼 米国本社コーポレートバイスプレジデントに就任した。2015年7月1日、副社長であった平野拓也へ社長職を譲り、自身は代表執行役会長に就任。2017年4月1日付で古巣パナソニックに復帰し、専務役員・コネクティッドソリューションズ社社長に就任[1]。社内服装自由化や本社の東京移転に取り組んだ。

経歴

著書

出典

関連項目

先代
高柳肇
日本ヒューレットパッカード社長
2003年 - 2005年
次代
小田晋吾
先代
蓮見敏男
ダイエー社長
第5代:2005年 - 2006年
次代
高橋義昭
(社長代行)

西見徹
社長
先代
ダレン・ヒューストン
日本マイクロソフト社長
第6代:2008年 - 2015年
次代
平野拓也