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1年後東京へ進出し、司会や[[コメディアン]](当時の芸名は団五郎)として活動しながら放送作家の仕事を始める。[[漫才ブーム]]の波に乗り、『[[オレたちひょうきん族]]』『[[笑ってる場合ですよ!]]』の[[構成作家]]を務める。
1年後東京へ進出し、司会や[[コメディアン]](当時の芸名は団五郎)として活動しながら放送作家の仕事を始める。[[漫才ブーム]]の波に乗り、『[[オレたちひょうきん族]]』『[[笑ってる場合ですよ!]]』の[[構成作家]]を務める。


現在も関西ローカル番組で構成を行う他、舞台演劇の脚本・演出、[[IOS (Apple)|iOS]]対応アプリケーションのプロデュース、テレビ番組制作なども手掛けている。
現在も関西ローカル番組で構成を行う他、舞台演劇の脚本・演出、[[iOS (Apple)|iOS]]対応アプリケーションのプロデュース、テレビ番組制作なども手掛けている。


2015年7月には、[[芦有ドライブウェイ]]ルート内の東六甲展望台内に「エンターテイメントカフェMIOROS」をオープンした<ref>「東六甲展望台に新カフェ 芦屋の放送作家が開店」[[朝日新聞]]平成27年7月10日</ref><ref name="mioros"/>。メディアの仕事がある時を除き、自ら接客を行ってたが、2018年8月に閉店した。
2015年7月には、[[芦有ドライブウェイ]]ルート内の東六甲展望台内に「エンターテイメントカフェMIOROS」をオープンした<ref>「東六甲展望台に新カフェ 芦屋の放送作家が開店」[[朝日新聞]]平成27年7月10日</ref><ref name="mioros"/>。メディアの仕事がある時を除き、自ら接客を行ってたが、2018年8月に閉店した。

2021年5月23日 (日) 03:05時点における版

萩原 芳樹(はぎわら よしき、1952年 - )は、放送作家漫才作家萩原芳樹事務所を自ら主催。日本放送作家協会会員。芦屋市在住[1]

来歴・人物

兵庫県姫路市生まれ。幼い頃から演芸が好きで中学生の頃には吉本新喜劇井上竜夫と文通をしていた。高校生の頃、親の反対を押し切り横山やすしに師事し、漫才台本の添削の指導を受ける(但し正式に師弟関係は結んでいない)。

大阪芸術大学在籍中に、桂三枝(現・六代桂文枝)が命名した「ダッシュとんぺー」の芸名でMBSラジオMBSヤングタウン』やMBSテレビヤングおー!おー!』の前説を担当。1年程で辞め、島田洋七と漫才コンビ「B&B」を結成したが、まもなく失踪という形で脱退する(当時の芸名は団順一でボケを担当。相方の島田洋七は当時と洋一と名乗り、突っ込み側であった)。

1年後東京へ進出し、司会やコメディアン(当時の芸名は団五郎)として活動しながら放送作家の仕事を始める。漫才ブームの波に乗り、『オレたちひょうきん族』『笑ってる場合ですよ!』の構成作家を務める。

現在も関西ローカル番組で構成を行う他、舞台演劇の脚本・演出、iOS対応アプリケーションのプロデュース、テレビ番組制作なども手掛けている。

2015年7月には、芦有ドライブウェイルート内の東六甲展望台内に「エンターテイメントカフェMIOROS」をオープンした[2][1]。メディアの仕事がある時を除き、自ら接客を行ってたが、2018年8月に閉店した。

ダウンタウン浜田雅功小川菜摘夫妻の仲人でもある。

担当番組

過去に関わった担当番組

舞台

その他

  • 赤井英和のわがまま気まま大阪まっぷ(iphoneおよびiPadアプリ)
  • 神戸とっておき面白ガイド(iphoneおよびiPadアプリ)
  • 漫才ブームforever(イベント企画、なんばグランド花月、2013年5月1日)
  • MIOROS(六甲山にあるカフェ、2015年7月にプロデュースオープン)

出演番組

外部リンク

出典

  1. ^ a b 1年ぶり全線開通、兵庫・芦有ドライブウェイ 芦屋在住の萩原さん、東六甲展望台に新カフェ開店”. サンケイスポーツ (2015年7月28日). 2015年8月8日閲覧。
  2. ^ 「東六甲展望台に新カフェ 芦屋の放送作家が開店」朝日新聞平成27年7月10日