コンテンツにスキップ

「ゲーザ2世 (ハンガリー王)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: ハンガリー王記事群の改名に伴うリンク修正依頼 (イシュトヴァーン3世 (ハンガリー王)) - log
Cewbot (会話 | 投稿記録)
18行目: 18行目:
| 配偶者1 = [[エフロシニヤ・ムスチスラヴナ]]
| 配偶者1 = [[エフロシニヤ・ムスチスラヴナ]]
| 配偶者2 =
| 配偶者2 =
| 子女 = [[イシュトヴァーン3世 (ハンガリー王)|イシュトヴァーン3世]]<br>[[ベーラ3世]]<br>エルジェーベト<br>ゲーザ<br>オドラ<br>イロナ<br>マルギト
| 子女 = [[イシュトヴァーン3世 (ハンガリー王)|イシュトヴァーン3世]]<br>[[ベーラ3世 (ハンガリー王)|ベーラ3世]]<br>エルジェーベト<br>ゲーザ<br>オドラ<br>イロナ<br>マルギト
| 王家 = [[アールパード家]]
| 王家 = [[アールパード家]]
| 王朝 = [[アールパード朝]]
| 王朝 = [[アールパード朝]]
28行目: 28行目:
'''ゲーザ2世''' (II. Géza, [[1130年]] - [[1162年]][[5月31日]])は、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王及び[[クロアチア王国|クロアチア]]王(在位:[[1141年]] - 1162年)。
'''ゲーザ2世''' (II. Géza, [[1130年]] - [[1162年]][[5月31日]])は、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王及び[[クロアチア王国|クロアチア]]王(在位:[[1141年]] - 1162年)。


[[1141年]]、父[[ベーラ2世 (ハンガリー王)|ベーラ2世]]が亡くなってわずか3日後に即位したが、幼少のため母イロナが摂政を務めた。[[1156年]]、[[東ローマ帝国|東ローマ皇帝]][[マヌエル1世コムネノス|マヌエル1世]]が差し向けた[[アンドロニコス・コントステファノス]]率いる討伐軍に敗北し、息子である[[ベーラ3世]]を人質に差し出して東ローマの宗主権を認めることになった。この現状を打開するため、[[神聖ローマ帝国]]と結ぼうとしたが、結局死ぬまで東ローマの介入に苦しめられた。
[[1141年]]、父[[ベーラ2世 (ハンガリー王)|ベーラ2世]]が亡くなってわずか3日後に即位したが、幼少のため母イロナが摂政を務めた。[[1156年]]、[[東ローマ帝国|東ローマ皇帝]][[マヌエル1世コムネノス|マヌエル1世]]が差し向けた[[アンドロニコス・コントステファノス]]率いる討伐軍に敗北し、息子である[[ベーラ3世 (ハンガリー王)|ベーラ3世]]を人質に差し出して東ローマの宗主権を認めることになった。この現状を打開するため、[[神聖ローマ帝国]]と結ぼうとしたが、結局死ぬまで東ローマの介入に苦しめられた。


== 子女 ==
== 子女 ==
1146年、[[キエフ大公国|キエフ大公]][[ムスチスラフ1世]]の娘[[エフロシニヤ・ムスチスラヴナ|エウフロシネ]]と結婚した。以下の子をもうけている。
1146年、[[キエフ大公国|キエフ大公]][[ムスチスラフ1世]]の娘[[エフロシニヤ・ムスチスラヴナ|エウフロシネ]]と結婚した。以下の子をもうけている。
* [[イシュトヴァーン3世 (ハンガリー王)|イシュトヴァーン3世]](1147年 - 1172年) - ハンガリー王(1162年 - 1172年)
* [[イシュトヴァーン3世 (ハンガリー王)|イシュトヴァーン3世]](1147年 - 1172年) - ハンガリー王(1162年 - 1172年)
* [[ベーラ3世]](1148年 - 1196年) - ハンガリー王(1172年 - 1196年)
* [[ベーラ3世 (ハンガリー王)|ベーラ3世]](1148年 - 1196年) - ハンガリー王(1172年 - 1196年)
* エルジェーベト(1149年 - 1189年以降) - 1147年に[[ボヘミア公]]{{仮リンク|ベドジフ (ボヘミア公)|label=ベドジフ|cs|Bedřich (kníže)}}と結婚
* エルジェーベト(1149年 - 1189年以降) - 1147年に[[ボヘミア公]]{{仮リンク|ベドジフ (ボヘミア公)|label=ベドジフ|cs|Bedřich (kníže)}}と結婚
* ゲーザ(1150年 - 1210年以降)
* ゲーザ(1150年 - 1210年以降)

2021年5月24日 (月) 21:13時点における版

ゲーザ2世
II. Géza
ハンガリー王
在位 1141年 - 1162年

出生 1130年
ハンガリー王国の旗 ハンガリー王国、トルナ
死去 1162年5月31日
埋葬 ハンガリー王国の旗 ハンガリー王国セーケシュフェヘールヴァール聖堂
配偶者 エフロシニヤ・ムスチスラヴナ
子女 イシュトヴァーン3世
ベーラ3世
エルジェーベト
ゲーザ
オドラ
イロナ
マルギト
家名 アールパード家
王朝 アールパード朝
父親 ベーラ2世
母親 ヘレナ(イロナ)
宗教 ローマ・カトリック教会
テンプレートを表示

ゲーザ2世 (II. Géza, 1130年 - 1162年5月31日)は、ハンガリー王及びクロアチア王(在位:1141年 - 1162年)。

1141年、父ベーラ2世が亡くなってわずか3日後に即位したが、幼少のため母イロナが摂政を務めた。1156年東ローマ皇帝マヌエル1世が差し向けたアンドロニコス・コントステファノス率いる討伐軍に敗北し、息子であるベーラ3世を人質に差し出して東ローマの宗主権を認めることになった。この現状を打開するため、神聖ローマ帝国と結ぼうとしたが、結局死ぬまで東ローマの介入に苦しめられた。

子女

1146年、キエフ大公ムスチスラフ1世の娘エウフロシネと結婚した。以下の子をもうけている。

先代
ベーラ2世
ハンガリー王
1141年 - 1162年
次代
イシュトヴァーン3世
先代
ベラ1世
クロアチア王
1141年 - 1162年
次代
スティエパン4世