「アレラーミチ家」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
Katzenfrucht (会話 | 投稿記録) m編集の要約なし |
m Bot作業依頼: ハンガリー王記事群の改名に伴うリンク修正依頼 (ベーラ3世 (ハンガリー王)) - log |
||
28行目: | 28行目: | ||
{{familytree | | | | | | | | | | | JUD |y|GU5 | | GIO | | SAV |GU5=グリエルモ5世|JUD=ユディト<br>(オーストリア辺境伯[[レオポルト3世 (オーストリア辺境伯)|レオポルト3世]]娘)|GIO=ジョヴァンナ<br>=フランドル伯[[ギヨーム・クリトン]]|SAV=[[サヴォイア家]]|boxstyle_GU5 =background-color: #dfd;}} |
{{familytree | | | | | | | | | | | JUD |y|GU5 | | GIO | | SAV |GU5=グリエルモ5世|JUD=ユディト<br>(オーストリア辺境伯[[レオポルト3世 (オーストリア辺境伯)|レオポルト3世]]娘)|GIO=ジョヴァンナ<br>=フランドル伯[[ギヨーム・クリトン]]|SAV=[[サヴォイア家]]|boxstyle_GU5 =background-color: #dfd;}} |
||
{{familytree | |,|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|+|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|v|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|.| | | | | | | | | | |}} |
{{familytree | |,|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|+|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|v|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|.| | | | | | | | | | |}} |
||
{{familytree |GUL |y|SIB | |ISA |y|CO1 | | | | | | HEL |y|~|~|BO1 |~|~|y| MAR |~|IS2 | |RA2 |~| MAC | |GUL=グリエルモ|SIB=[[シビーユ (エルサレム女王)|シビーユ]]<br>エルサレム女王|THE=テオドア<br>([[イサキオス2世アンゲロス]]姉妹)|ISA=[[イザベル1世 (エルサレム女王)|イザベル1世]]<br>エルサレム女王|CO1=[[コンラート1世 (モンフェラート侯)|コッラード]]|RA2=ラニエリ2世|MAC=マリア<br>([[マヌエル1世コムネノス]]娘)|HEL=ヘレナ・デル・ボスコ|BO1=[[ボニファーチョ1世 (モンフェッラート侯)|ボニファーチョ1世]]|MAR=[[マルギト (東ローマ皇后)|マルギト]]<br>(ハンガリー王[[ベーラ3世]]娘)|IS2=[[イサキオス2世アンゲロス|イサキオス2世]]<br>東ローマ皇帝|boxstyle_CO1 =background-color: #dfd;|boxstyle_BO1 =background-color: #dfd;}} |
{{familytree |GUL |y|SIB | |ISA |y|CO1 | | | | | | HEL |y|~|~|BO1 |~|~|y| MAR |~|IS2 | |RA2 |~| MAC | |GUL=グリエルモ|SIB=[[シビーユ (エルサレム女王)|シビーユ]]<br>エルサレム女王|THE=テオドア<br>([[イサキオス2世アンゲロス]]姉妹)|ISA=[[イザベル1世 (エルサレム女王)|イザベル1世]]<br>エルサレム女王|CO1=[[コンラート1世 (モンフェラート侯)|コッラード]]|RA2=ラニエリ2世|MAC=マリア<br>([[マヌエル1世コムネノス]]娘)|HEL=ヘレナ・デル・ボスコ|BO1=[[ボニファーチョ1世 (モンフェッラート侯)|ボニファーチョ1世]]|MAR=[[マルギト (東ローマ皇后)|マルギト]]<br>(ハンガリー王[[ベーラ3世 (ハンガリー王)|ベーラ3世]]娘)|IS2=[[イサキオス2世アンゲロス|イサキオス2世]]<br>東ローマ皇帝|boxstyle_CO1 =background-color: #dfd;|boxstyle_BO1 =background-color: #dfd;}} |
||
{{familytree | | | |!| | | | | | | |!| | | | | | | |,|-|-|-|^|-|-|-|.| | | |!| |}} |
{{familytree | | | |!| | | | | | | |!| | | | | | | |,|-|-|-|^|-|-|-|.| | | |!| |}} |
||
{{familytree | | |BO5 | | | | | |MAR | | SOF |~|GU6 |y| BER | | AGN | |DEM |BO5=[[ボードゥアン5世 (エルサレム王)|ボードゥアン5世]]<br>エルサレム王|MAR=[[マリー・ド・モンフェラート|マリア]]<br>エルサレム女王|SOF=ゾフィー<br>(皇帝[[フリードリヒ1世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ1世]]娘)|GU6=グリエルモ6世|BER=ベルタ・ディ・クラヴェザーナ|AGN=アニェーゼ<br>=ラテン皇帝[[アンリ (ラテン皇帝)|アンリ]]|DEM=[[デメトリオ・ディ・モンフェラート|デメトリオ]]<br>テッサロニキ王|boxstyle_GU6 =background-color: #dfd;}} |
{{familytree | | |BO5 | | | | | |MAR | | SOF |~|GU6 |y| BER | | AGN | |DEM |BO5=[[ボードゥアン5世 (エルサレム王)|ボードゥアン5世]]<br>エルサレム王|MAR=[[マリー・ド・モンフェラート|マリア]]<br>エルサレム女王|SOF=ゾフィー<br>(皇帝[[フリードリヒ1世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ1世]]娘)|GU6=グリエルモ6世|BER=ベルタ・ディ・クラヴェザーナ|AGN=アニェーゼ<br>=ラテン皇帝[[アンリ (ラテン皇帝)|アンリ]]|DEM=[[デメトリオ・ディ・モンフェラート|デメトリオ]]<br>テッサロニキ王|boxstyle_GU6 =background-color: #dfd;}} |
2021年5月24日 (月) 21:15時点における最新版
アレラーミチ家(Aleramici)は、11世紀以降、モンフェッラート侯国(1305年まで)およびサルッツォ侯国(1543年まで)を支配したイタリア貴族の家系。
歴史
[編集]アレラーミチ家は10世紀にイタリアに移住した西フランクの貴族の家系と考えられている。アレラーモは961年にイタリア王ベレンガーリオ2世(アレラーモの岳父)により新しく設置された辺境伯の一人であり、その後、王国の分裂により支配権は辺境伯に移った。1040年に初めて「Marcio」の名が用いられ、モンフェッラート侯と呼ばれるようになった。また、領地の西側の分割と、トリノ辺境伯の娘との結婚による相続で、同家の分家(デル・ヴァスト家)がサルッツォ侯国を成立させ、侯国の名は1142年に初めて見られる。
アレラーミチ家の悪名は十字軍において高まった。グリエルモおよびコッラードの兄弟はエルサレム王国で重要な役割を果たし、それぞれの子であるボードゥアン5世およびマリーはエルサレム王位についた。グリエルモおよびコッラードの弟ボニファーチョ1世は第4回十字軍の指導者で、コンスタンティノープルの陥落およびラテン帝国とテッサロニキ王国の成立を主導した。
サルッツォ系アレラーミチ家は1548年に断絶したが、その数年前に侯国を失っていた。モンフェッラート系は1305年にジョヴァンニ1世の死により断絶したが、侯国は女系を通してパレオロゴス家に継承され、230年間統治された。ランチア家を含む他の分家は今日まで続いている可能性がある。
系図
[編集]モンフェッラート侯家
[編集]グリエルモ1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アレラーモ | ゲルベルガ (イタリア王ベレンガーリオ2世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
グリエルモ2世 | オットーネ1世 | アンセルモ1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
グリエルモ3世 | アンセルモ2世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オットーネ2世 | コスタンツァ (サヴォイア伯アメデーオ2世娘) | オットーネ (テウト) 西リグーリア侯 | ベルタ (トリノ辺境伯オルデリーコ・マンフレーディ2世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
グリエルモ4世 | ボニファーチョ・デル・ヴァスト | マンフレード・デル・ヴァスト | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラニエリ1世 | ジゼル (ブルゴーニュ伯ギヨーム1世娘) | ウンベルト2世 サヴォイア伯 | デル・ヴァスト家 ランチア家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ユディト (オーストリア辺境伯レオポルト3世娘) | グリエルモ5世 | ジョヴァンナ =フランドル伯ギヨーム・クリトン | サヴォイア家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
グリエルモ | シビーユ エルサレム女王 | イザベル1世 エルサレム女王 | コッラード | ヘレナ・デル・ボスコ | ボニファーチョ1世 | マルギト (ハンガリー王ベーラ3世娘) | イサキオス2世 東ローマ皇帝 | ラニエリ2世 | マリア (マヌエル1世コムネノス娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ボードゥアン5世 エルサレム王 | マリア エルサレム女王 | ゾフィー (皇帝フリードリヒ1世娘) | グリエルモ6世 | ベルタ・ディ・クラヴェザーナ | アニェーゼ =ラテン皇帝アンリ | デメトリオ テッサロニキ王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マルゲリータ (サヴォイア伯アメデーオ4世娘) | ボニファーチョ2世 | アリス =キプロス王アンリ1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イザベラ (6代ハートフォード伯リチャード・ド・クレア娘) | グリエルモ7世 | ベアトリス (カスティーリャ王アルフォンソ10世娘) | アデライデ =ブラウンシュヴァイク公アルブレヒト1世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アンドロニコス2世パレオロゴス | ヴィオランテ | ジョヴァンニ1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
パレオロゴス家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ランチア家
[編集]Friedrich Schirrmacher (1871) による。
オットーネ 西リグーリア侯 | ベルタ (トリノ辺境伯オルデリーコ・マンフレーディ2世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ボニファーチョ・デル・ヴァスト | マンフレード | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マンフレード1世・ランチア サルッツォ侯 | ボニファーチョ インチーザ侯 | グリエルモ デル・ヴァスト侯 | ウーゴ | アンセルモ | オットーネ・ロヴェーリオ | エンリコ サヴォーナ侯 | エンリコ パテルノー領主 ブテーラ伯 | フランドリーナ (シチリア伯ルッジェーロ1世娘) | アデライデ 1=シチリア伯ルッジェーロ1世 2=エルサレム王ボードゥアン1世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
デル・ヴァスト家 (サルッツォ侯) | マンフレード1世 ブスカ侯 ラウレーティ伯 | ベレンガリオ ブスカ侯 =イミリア | ボニファーチョ クラヴェザーナ侯 | グリエルモ カーヴァ侯 | ルッジェーロ | シモーネ ポリカストロ伯 | ルッジェーロ2世 シチリア王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マンフレード2世 | グリエルモ | オットーネ | ライモンド | マンフレード | (庶子) ルッジェーロ・スクラヴス | コスタンツァ シチリア女王 | ハインリヒ6世 神聖ローマ皇帝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マンフレード3世 | ガルヴァノ 1268年にコンラディンと共に捕まり断頭刑(ローマ?) =マルゲリータ(ガリティエリ・デ・オークラ娘) | 娘 =エッツェリン | 娘 =アリアーノ伯ボニファーチョ | フェデリーゴ スクイッラーチェ伯 | ビアンカ (愛妾) | フリードリヒ2世 神聖ローマ皇帝 シチリア王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マンフレード | イソルダ =ホーエンブルク辺境伯ベルトルト | ロンブラダ | ジョルダーノ・デ・アリアーノ サン・セヴェリーノ伯 1266年より捕虜 | アウロラ | マンフレーディ シチリア王 | コンスタンツェ(アンナ) =ニカイア帝ヨハネス3世 | コンラート4世 神聖ローマ皇帝 シチリア王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フェデリーゴ | コンスタンツィア アデノルフォ・デ・アクイーノ(アチェッラ伯トンマーゾ1世の子)と婚約 | ベアトリーチェ =ウゴリーノ・デ・センノ・デ・ウバルディーニ | ガレオット 1268年に父と共に断頭刑 クビトーザ(アチェッラ伯トンマーゾ1世娘)と婚約 | ベアトリーチェ =コンラート・フォン・アンティオキア(フリードリヒ2世庶子フリードリヒの子) | 娘 ヘレナ王妃の幽閉中の友人 | コンラディン シチリア王 エルサレム王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(庶子) トディスカ | フェデリーコ | エンリコ | ガルヴァノ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参考文献
[編集]- Hermann Grote: Stammtafeln, Leipzig 1877, S. 347 (Markgrafen von Saluzzo)
- Harry Bresslau: Jahrbücher des Deutschen Reiches unter Konrad II. S. 399–404
- Detlev Schwennicke: Europäische Stammtafeln Band II (1984) Tafel 199–200, darin benutzt:
- Leopoldo Usseglio: I Marchesi di Monferrato in Italia ed in Oriente durante i secoli XII e XIII, 2 Bände, Mailand 1926 (Biblioteca della Società storica Subalpina NS VI-VII)
- Maria d'Incisa di Camerana: I Marchesi d'Incisa di Discendenza Aleramica del secolo XII ad oggi, Florenz o.J.
- Raymond-Joseph Loenertz: Les Seigneurs Tierciers de Négrepont, in: Byzantion 35, 1965
- Charles Brand: Byzantium confronts the West 1180–1204, 1968
- Jean Lognon: Les compagnons des Villehardouin, 1978
- Pompeo Litta: Famiglie celebri italiane, o.J.
- John L. la Monte, Feudal Monarchy in the Latin Kingdom of Jersalem 1100 to 1291, Kraus Reprint Co., 1970, p.393.
- Friedrich Schirrmacher, Die letzten Hohenstaufen, Vandenhoeck & Ruprecht, 1871.