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「カルロ3世 (ナポリ王)」の版間の差分

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[[1369年]]に[[マルゲリータ・ディ・ドゥラッツォ]]と結婚したが、マルゲリータは同族の従妹であるだけでなく、ナポリ女王[[ジョヴァンナ1世・ダンジョ|ジョヴァンナ1世]](カルロの又従姉に当たる)の姪でもあった。マルゲリータの母{{仮リンク|マリア・ディ・カラブリア|en|Maria of Calabria}}(1329年 - 1366年)がジョヴァンナの妹だったのである<ref name=T581>タックマン、p. 581、注91</ref>。
[[1369年]]に[[マルゲリータ・ディ・ドゥラッツォ]]と結婚したが、マルゲリータは同族の従妹であるだけでなく、ナポリ女王[[ジョヴァンナ1世・ダンジョ|ジョヴァンナ1世]](カルロの又従姉に当たる)の姪でもあった。マルゲリータの母{{仮リンク|マリア・ディ・カラブリア|en|Maria of Calabria}}(1329年 - 1366年)がジョヴァンナの妹だったのである<ref name=T581>タックマン、p. 581、注91</ref>。


同族の又従兄に当たるハンガリーおよび[[ポーランド王国|ポーランド]]の王[[ラヨシュ1世]]は、ナポリ王位を狙ってジョヴァンナ1世と敵対していた。カルロはラヨシュ1世の命を受け、[[1382年]]にジョヴァンナ1世を殺害し、自らがナポリ王カルロ3世となった<ref name=T581 />。ジョヴァンナ1世の養子[[ルイ1世・ダンジュー]]との抗争も発生したが、[[1384年]]にルイ1世が死去、抗争は収まった<ref name=T581 />。
同族の又従兄に当たるハンガリーおよび[[ポーランド王国|ポーランド]]の王[[ラヨシュ1世 (ハンガリー王)|ラヨシュ1世]]は、ナポリ王位を狙ってジョヴァンナ1世と敵対していた。カルロはラヨシュ1世の命を受け、[[1382年]]にジョヴァンナ1世を殺害し、自らがナポリ王カルロ3世となった<ref name=T581 />。ジョヴァンナ1世の養子[[ルイ1世・ダンジュー]]との抗争も発生したが、[[1384年]]にルイ1世が死去、抗争は収まった<ref name=T581 />。


同年にラヨシュ1世が男子の継承者を持たずに死去した。ラヨシュ1世の長女[[マーリア (ハンガリー女王)|マーリア]]とその夫[[ジギスムント (神聖ローマ皇帝)|ジギスムント]]([[神聖ローマ皇帝]][[カール4世 (神聖ローマ皇帝)|カール4世]]の次男、後の皇帝)が王位を継承することになっていたが、その即位に対してハンガリー国内では反対派も多く、[[1385年]]にカルロ3世は反対派から迎えられ、ハンガリー王カーロイ2世として即位した。しかし翌1386年、カルロ3世はマーリアの母親[[エリザベタ・コトロマニッチ]]によって暗殺され<ref name=T581 />、マーリアとジギスムントが王位に復帰した。
同年にラヨシュ1世が男子の継承者を持たずに死去した。ラヨシュ1世の長女[[マーリア (ハンガリー女王)|マーリア]]とその夫[[ジギスムント (神聖ローマ皇帝)|ジギスムント]]([[神聖ローマ皇帝]][[カール4世 (神聖ローマ皇帝)|カール4世]]の次男、後の皇帝)が王位を継承することになっていたが、その即位に対してハンガリー国内では反対派も多く、[[1385年]]にカルロ3世は反対派から迎えられ、ハンガリー王カーロイ2世として即位した。しかし翌1386年、カルロ3世はマーリアの母親[[エリザベタ・コトロマニッチ]]によって暗殺され<ref name=T581 />、マーリアとジギスムントが王位に復帰した。

2021年5月24日 (月) 21:51時点における版

カルロ3世 / カーロイ2世
Carlo III / II. Károly
ナポリ王
ハンガリー王
在位 ナポリ王:1382年 - 1386年
ハンガリー王(カーロイ2世):1385年 - 1386年

出生 1345年
ナポリ王国の旗 ナポリ王国ナポリ
死去 1386年2月24日
ハンガリー王国の旗 ハンガリー王国ヴィシェグラード
埋葬 ハンガリー王国の旗 ハンガリー王国セーケシュフェヘールヴァール
配偶者 マルゲリータ・ディ・ドゥラッツォ
子女 一覧参照
家名 アンジュー=ドゥラッツォ家
王朝 ナポリ・アンジュー朝
父親 グラヴィーナ伯ルイージ
母親 マルゲリータ・ディ・サンセヴェリーノ
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カルロ3世(Carlo III, 1345年 - 1386年2月24日)は、アンジュー家出身のナポリ王(在位:1382年 - 1386年)およびハンガリー王(カーロイ2世、II. Károly, 在位:1385年 - 1386年)。

生涯

ナポリ王ロベルトの末弟ドゥラッツォ公ジョヴァンニの孫で、ナポリ王カルロ2世の曾孫に当たる。父グラヴィーナ伯ルイージはジョヴァンニの次男であり、元来カルロはアンジュー家(アンジュー=シチリア家)のうちでも傍系の生まれである。

1369年マルゲリータ・ディ・ドゥラッツォと結婚したが、マルゲリータは同族の従妹であるだけでなく、ナポリ女王ジョヴァンナ1世(カルロの又従姉に当たる)の姪でもあった。マルゲリータの母マリア・ディ・カラブリア(1329年 - 1366年)がジョヴァンナの妹だったのである[1]

同族の又従兄に当たるハンガリーおよびポーランドの王ラヨシュ1世は、ナポリ王位を狙ってジョヴァンナ1世と敵対していた。カルロはラヨシュ1世の命を受け、1382年にジョヴァンナ1世を殺害し、自らがナポリ王カルロ3世となった[1]。ジョヴァンナ1世の養子ルイ1世・ダンジューとの抗争も発生したが、1384年にルイ1世が死去、抗争は収まった[1]

同年にラヨシュ1世が男子の継承者を持たずに死去した。ラヨシュ1世の長女マーリアとその夫ジギスムント神聖ローマ皇帝カール4世の次男、後の皇帝)が王位を継承することになっていたが、その即位に対してハンガリー国内では反対派も多く、1385年にカルロ3世は反対派から迎えられ、ハンガリー王カーロイ2世として即位した。しかし翌1386年、カルロ3世はマーリアの母親エリザベタ・コトロマニッチによって暗殺され[1]、マーリアとジギスムントが王位に復帰した。

1378年教会大分裂が発生しており、カルロ3世はローマ教皇ウルバヌス6世からナポリ王位を承認されたが、アヴィニョン対立教皇クレメンス7世はルイ1世をナポリ王とした。この対立はカルロ3世の暗殺後も尾を引き、ルイ1世とカルロ3世それぞれの子・ルイ2世・ダンジューラディズラーオはアヴィニョン派、ローマ派に分かれて王位争奪戦を繰り広げていった。

家族

妃マルゲリータとの間には1男2女が生まれた。

脚注

  1. ^ a b c d タックマン、p. 581、注91

参考文献

  • バーバラ・W・タックマン、徳永守儀 訳 『遠い鏡』 朝日出版社、2013年

関連項目

先代
ジョヴァンナ1世
ナポリ王
1382年 - 1386年
次代
ラディズラーオ1世
先代
マーリア
ハンガリー王
1385年 - 1386年
次代
マーリア(復位)
ジグモンド