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== 生涯 ==
== 生涯 ==
[[フランス王国|フランス]]貴族[[グライー家|フォワ伯家]]の傍系出身で、名目上のケンダル(カンダル)伯ガストン2世・ド・フォワと最初の妻である[[ナバラ王国|ナバラ]]王女カトリーヌ<ref>[[ガストン4世 (フォワ伯)|フォワ伯ガストン4世]]とナバラ女王[[レオノール (ナバラ女王)|レオノール]]の三女。</ref>の娘として生まれた。従妹[[ジェルメーヌ・ド・フォワ|ジェルメーヌ]]<ref>ガストン4世とレオノールの三男[[ジャン・ド・フォワ (ナルボンヌ子爵)|ジャン]]の娘。母はルイ12世の姉マリー・ドルレアン。祖母レオノールの異母弟[[アラゴン君主一覧|アラゴン王]][[フェルナンド2世 (アラゴン王)|フェルナンド2世]]の後妻となった。</ref>とともに、フランス王[[ルイ12世 (フランス王)|ルイ12世]]の宮廷で従姉である王妃[[アンヌ・ド・ブルターニュ]]<ref>ガストン4世とレオノールの四女[[マルグリット・ド・フォワ|マルグリット]]の娘。</ref>に育てられた<ref>他にフォワ家のいとことして、ナバラ王[[フランシスコ1世 (ナバラ王)|フランシスコ1世]]と女王[[カタリナ (ナバラ女王)|カタリナ]]の兄妹、[[ガストン・ド・フォワ (ヌムール公)|ヌムール公ガストン]](ジェルメーヌの弟)がいる。又従妹には[[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]]の愛妾になった[[フランソワーズ・ド・フォワ|フランソワーズ]]がおり、同じく王妃アンヌに育てられた</ref>。
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1502年、[[ウラースロー2世]]の3番目の王妃として迎えられた。政略結婚であったが、ウラースローとアンナの結婚は幸福なものであった。2人は1男1女をもうけた。
1502年、[[ウラースロー2世 (ハンガリー王)|ウラースロー2世]]の3番目の王妃として迎えられた。政略結婚であったが、ウラースローとアンナの結婚は幸福なものであった。2人は1男1女をもうけた。
*[[アンナ・ヤギエロ|アンナ]]([[1503年]] - [[1547年]]) - 後に[[ボヘミア王国|ボヘミア]]と[[ハンガリー王国|ハンガリー]]の王位を継承し、[[神聖ローマ皇帝]]にもなる[[ハプスブルク家]]の[[フェルディナント1世 (神聖ローマ皇帝)|フェルディナント大公]]と結婚。
*[[アンナ・ヤギエロ|アンナ]]([[1503年]] - [[1547年]]) - 後に[[ボヘミア王国|ボヘミア]]と[[ハンガリー王国|ハンガリー]]の王位を継承し、[[神聖ローマ皇帝]]にもなる[[ハプスブルク家]]の[[フェルディナント1世 (神聖ローマ皇帝)|フェルディナント大公]]と結婚。
*[[ラヨシュ2世]]([[1506年]] - [[1526年]]) - ハンガリーとボヘミアの王。フェルディナントの妹[[マリア・フォン・エスターライヒ|マリア]]と結婚。
*[[ラヨシュ2世]]([[1506年]] - [[1526年]]) - ハンガリーとボヘミアの王。フェルディナントの妹[[マリア・フォン・エスターライヒ|マリア]]と結婚。

2021年5月24日 (月) 22:14時点における版

アンナ
Anna
ハンガリー王妃
ボヘミア王妃
王妃アンナ像(部分、1509年、リトムニェジツェ
在位 1502年 - 1506年

出生 1484年
死去 1506年7月26日
ハンガリー王国ブダ
埋葬 ハンガリー王国セーケシュフェヘールヴァール、聖イシュトヴァーン大聖堂
結婚 1502年9月29日 セーケシュフェヘールヴァール
配偶者 ハンガリー王・ボヘミアウラースロー2世
子女 アンナ
ラヨシュ2世
家名 フォワ=カンダル家
父親 ケンダル伯ガストン2世・ド・フォワ
母親 カトリーヌ・ド・フォワ
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アンヌ・ド・フォワフランス語: Anne de Foix, 1484年 - 1506年7月26日)は、ハンガリーボヘミアの王ウラースロー2世の3番目の妃。家名はフォワ=カンダル(Foix-Candale)ともされる。ハンガリー語名はツァンダレ=イ・アンナCandale-i Anna)、チェコ語名はAnna z Foix a Candaleバスク語名はAna Kandalakoaオック語名はAna de Fois-Candala

生涯

フランス貴族フォワ伯家の傍系出身で、名目上のケンダル(カンダル)伯ガストン2世・ド・フォワと最初の妻であるナバラ王女カトリーヌ[1]の娘として生まれた。従妹ジェルメーヌ[2]とともに、フランス王ルイ12世の宮廷で従姉である王妃アンヌ・ド・ブルターニュ[3]に育てられた[4]

1502年、ウラースロー2世の3番目の王妃として迎えられた。政略結婚であったが、ウラースローとアンナの結婚は幸福なものであった。2人は1男1女をもうけた。

ラヨシュの出産後まもなく、22歳で死去した。

脚注

  1. ^ フォワ伯ガストン4世とナバラ女王レオノールの三女。
  2. ^ ガストン4世とレオノールの三男ジャンの娘。母はルイ12世の姉マリー・ドルレアン。祖母レオノールの異母弟アラゴン王フェルナンド2世の後妻となった。
  3. ^ ガストン4世とレオノールの四女マルグリットの娘。
  4. ^ 他にフォワ家のいとことして、ナバラ王フランシスコ1世と女王カタリナの兄妹、ヌムール公ガストン(ジェルメーヌの弟)がいる。又従妹にはフランソワ1世の愛妾になったフランソワーズがおり、同じく王妃アンヌに育てられた
アンヌ・ド・フォワ血統(フォワ=カンダル家) (血統表の出典)

ガストン2世・ド・フォワ
父の父
カンダル伯ジャン1世・ド・フォワ
カンダル伯ガストン1世・ド・フォワ ベアルン子爵アルシャンボー・ド・グライー
フォワ女伯イザベル
マルグリット・ダルブレ アルノー・アマニュー・ダルブレ
マルグリット・ド・ブルボン
父の母
マーガレット・カーデストン
サー・トーマス・カーデストン
エリザベス・ド・ラ・ポール サフォーク伯マイケル・ド・ラ・ポール
キャサリン・ドゥ・スタッフォード

ナバラ王女カトリーヌ・ド・フォワ
フォワ伯ガストン4世 フォワ伯ジャン1世 ベアルン子爵アルシャンボー・ド・グライー
フォワ女伯イザベル
ジャンヌ・ダルブレ ドゥリュー伯シャルル1世・ダルブレ
マリー・ド・シュリー
母の母
ナバラ女王レオノール
アラゴン王フアン2世 アラゴン王フェルナンド1世
レオノール・デ・アルブルケルケ
ナバラ女王ブランカ1世 ナバラ王カルロス3世
レオノール・デ・トラスタマラ


参考文献

  • Anthony, Raoul “Identification et Etude des Ossements des Rois de Navarre inhumés dans la Cathédrale de Lescar”(1931年、Paris, Masson)
  • Kropf, Lajos(ラヨシュ・クロフ) “Anna királyné, II. Ulászló neje ”(ウラースロー2世の王妃アンナ)(Századok (世紀雑誌)、1895年、pp.689-709)

外部リンク