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「アンリ2世 (ブラバント公)」の版間の差分

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== 子女 ==
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# フィリップ
# フィリップ
# マティルド(1224年 - 1288年) - [[カペー家#アルトワ家|アルトワ伯]][[ロベール1世 (アルトワ伯)|ロベール1世]]と結婚、後にサン=ポル伯ギー3世と再婚。
# マティルド(1224年 - 1288年) - [[カペー家#アルトワ家|アルトワ伯]][[ロベール1世 (アルトワ伯)|ロベール1世]]と結婚、後にサン=ポル伯ギー3世と再婚。
# ベアトリス(1225年 - 1288年) - [[テューリンゲンの君主一覧|テューリンゲン方伯]]、対立ローマ王[[ハインリヒ・ラスペ]]と結婚、後に[[フランドル伯]][[ギヨーム2世 (フランドル伯)|ギヨーム2世]]と再婚。
# ベアトリス(1225年 - 1288年) - [[テューリンゲンの君主一覧|テューリンゲン方伯]]、対立ローマ王[[ハインリヒ・ラスペ (テューリンゲン方伯)|ハインリヒ・ラスペ]]と結婚、後に[[フランドル伯]][[ギヨーム2世 (フランドル伯)|ギヨーム2世]]と再婚。
# マリー(1226年 - 1256年) - [[バイエルン大公|上バイエルン公]]兼[[ライン宮中伯]][[ルートヴィヒ2世 (バイエルン公)|ルートヴィヒ2世]]と結婚したが、[[ドナウヴェルト]]で姦通罪で処刑された。
# マリー(1226年 - 1256年) - [[バイエルン大公|上バイエルン公]]兼[[ライン宮中伯]][[ルートヴィヒ2世 (バイエルン公)|ルートヴィヒ2世]]と結婚したが、[[ドナウヴェルト]]で姦通罪で処刑された。
# マルグリット(1227年)
# マルグリット(1227年)

2021年5月26日 (水) 21:30時点における版

アンリ2世
Henri II
ブラバント公
在位 1235年 - 1248年

出生 1207年
死去 1248年2月1日
配偶者 マリア・フォン・ホーエンシュタウフェン
  ゾフィー・フォン・テューリンゲン
子女 一覧参照
家名 ブラバント家
父親 ブラバント公アンリ1世
母親 マティルド・ド・ブローニュ
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アンリ2世(Henri II de Brabant, 1207年 - 1248年2月1日)は、ブラバント公(在位:1235年 - 1248年)。父はブラバント公アンリ1世、母はブローニュ伯マシューと女伯マリーの娘マティルド。ローマ皇帝フリードリヒ2世対立王に擁立されたテューリンゲン方伯ハインリヒ・ラスペは婿、ホラント伯ウィレム2世は甥にあたる。

子女

1215年ローマ王フィリップの娘マリアと結婚、6人の子を儲けた。

  1. フィリップ
  2. マティルド(1224年 - 1288年) - アルトワ伯ロベール1世と結婚、後にサン=ポル伯ギー3世と再婚。
  3. ベアトリス(1225年 - 1288年) - テューリンゲン方伯、対立ローマ王ハインリヒ・ラスペと結婚、後にフランドル伯ギヨーム2世と再婚。
  4. マリー(1226年 - 1256年) - 上バイエルン公ライン宮中伯ルートヴィヒ2世と結婚したが、ドナウヴェルトで姦通罪で処刑された。
  5. マルグリット(1227年)
  6. アンリ3世(1230年 - 1261年)

1240年、テューリンゲン方伯ルートヴィヒ4世エリーザベト・フォン・ウンガルンの娘ゾフィーと再婚、2人の子を儲けた。

  1. エリーザベト(1243年 - 1261年) - ブラウンシュヴァイクアルブレヒト1世と結婚。
  2. ハインリヒ1世(1244年 - 1308年) - ヘッセン方伯ヘッセン家の祖。
先代
アンリ1世
ブラバント公
1235年 - 1248年
次代
アンリ3世