アンリ1世 (ブラバント公)
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アンリ1世 Henri I | |
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ブラバント公 | |
在位 | 1184年 - 1235年 |
出生 |
1165年 |
死去 |
1235年9月5日 神聖ローマ帝国、ケルン |
埋葬 | ブラバント公領、ルーヴェン、聖ペテロ教会 |
配偶者 | マティルド・ド・ブローニュ |
マリー・ド・フランス | |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ブラバント家 |
父親 | 下ロレーヌ公ゴドフロワ8世 |
母親 | マルガレーテ・フォン・リンブルク |
アンリ1世(Henri Ier, 1165年 - 1235年9月5日)は、ブラバント公(在位:1184年 - 1235年)。父はルーヴェン伯兼下ロレーヌ公ゴドフロワ8世(7世とも)、母はリンブルク公ハインリヒ2世の娘マルガレーテ。
生涯
[編集]1184年、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世にブラバント公の称号を与えられ、ブラバント公国を創設した(父も共同統治)。1185年にスヘルトーヘンボスを自治都市に指定、繁栄の基礎を築いた。1190年の父の死により下ロレーヌ公爵位も相続した(但し、実権の伴わない名誉職)。神聖ローマ帝国の内乱ではオットー4世を支持、娘マリアを娶わせたが、1214年、ブーヴィーヌの戦いに参戦して敗北、フリードリヒ2世に降伏した。1234年に婿のホラント伯フロリス4世と共にブレーメンへ遠征した。
1235年、ケルンで死去。遺体はルーヴェンの聖ペテロ教会へ埋葬された。
子女
[編集]1179年、ブローニュ伯マチュー・ダルザスと女伯マリーの娘マティルドと結婚、6人の子が生まれた。
- マリー(1190年 - 1260年) - 神聖ローマ皇帝オットー4世と結婚、死別後ホラント伯ウィレム1世と再婚。
- アデライード(1190年 - 1265年) - ブローニュ女伯。ルース伯アルヌール3世(en)と結婚、次いでオーヴェルニュ伯ギヨーム10世と再婚。
- マルグリット(1192年 - 1231年) - ゲルデルン伯ゲルハルト3世と結婚。
- マティルド(1200年 - 1267年) - ライン宮中伯ハインリヒ6世と結婚、死別後ホラント伯フロリス4世と再婚。
- アンリ2世(1207年 - 1248年)
- ジョフロワ(1209年 - 1253年) - ガースベーク領主
1213年にフランス王フィリップ2世とアニェス・ド・メラニーの娘マリーと再婚、2人の子が生まれた。
- エリーザベト(? - 1272年) - クレーフェ伯・ディンスラーケン領主ディートリヒと結婚、次いでヴァッセンベルク伯ゲルハルト2世と再婚。
- マリー - 早世
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