コンテンツにスキップ

「グレート義太夫」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
Cewbot (会話 | 投稿記録)
67行目: 67行目:
現在は週3回の[[人工透析]]が欠かせない状態であるが、舞台出演のほか、[[落語]]、ギター漫談にも取り組んでおり、現在は[[ボーイズバラエティ協会]]に入会し、同協会の[[浅草東洋館]]での定席にも上がっている<ref>[http://bo-vara.com/portfolio/%e3%82%b0%e3%83%ac%e3%83%bc%e3%83%88%e7%be%a9%e5%a4%aa%e5%a4%ab グレート義太夫(ギター漫談)] - ボーイズバラエティ協会公式プロフィール</ref>。
現在は週3回の[[人工透析]]が欠かせない状態であるが、舞台出演のほか、[[落語]]、ギター漫談にも取り組んでおり、現在は[[ボーイズバラエティ協会]]に入会し、同協会の[[浅草東洋館]]での定席にも上がっている<ref>[http://bo-vara.com/portfolio/%e3%82%b0%e3%83%ac%e3%83%bc%e3%83%88%e7%be%a9%e5%a4%aa%e5%a4%ab グレート義太夫(ギター漫談)] - ボーイズバラエティ協会公式プロフィール</ref>。


たけしが大会最高顧問を担当する「[[THE MANZAI (お笑いのコンテスト)|THE MANZAI]]2014」では、オープニングで、ドラム演奏を披露している。
たけしが大会最高顧問を担当する「[[日清食品 THE MANZAI|THE MANZAI]]2014」では、オープニングで、ドラム演奏を披露している。


== 出演作品 ==
== 出演作品 ==

2021年5月29日 (土) 11:14時点における版

グレート義太夫
本名 鈴木 正之
ニックネーム たけし軍団弁慶
別名義 夏目亭透析
生年月日 (1958-12-26) 1958年12月26日(65歳)
出身地 東京都板橋区
血液型 B型[1]
言語 日本語
最終学歴 亜細亜大学中退
師匠 ビートたけし
グループ名 たけし軍団
芸風 音楽演奏、ギター漫談
事務所 株式会社TAP
活動時期 1982年 -
過去の代表番組 オレたちひょうきん族
足立区のたけし、世界の北野
痛快なりゆき番組 風雲!たけし城
他の活動 ミュージシャン、作家
配偶者 独身(離婚歴あり)
親族小結國登國生(叔父)
公式サイト 義太夫の部屋
テンプレートを表示

グレート義太夫( - ぎだゆう、本名:鈴木 正之(すずき まさゆき)、1958年12月26日 - )は、日本お笑いタレントミュージシャンである。

東京都板橋区出身。株式会社TAP所属。京華高等学校卒業、亜細亜大学中退。

プロフィール

大学時代、音楽系サークルでドラマーとして活動しているうちに、プロミュージシャンを目指すようになる。バンド『雷神』を組み、アマチュアとして活動していた。

ビートたけしのオールナイトニッポン』のリスナーであった義太夫は、ビートたけしのファンとなり弟子志願をするが、その際ドラムが特技であることを披瀝し、当時のたけしのバックバンド『シークレット・ポリス』に加入することになった。しかし実際には先にレギュラーメンバーのドラマーがいたため、パーカッションとして参加。その後たけし軍団が8人編成から10人編成へ移行する際、井手らっきょとともにたけし軍団に正式加入。ただし特徴のあるキャラクターからか、実際には10人編成の時期より以前に、『オレたちひょうきん族』や一連のバラエティ黄金期の番組に既に出演していた。

名前の由来は、当時プロレスで“毒霧”を吹く謎のレスラーザ・グレート・カブキを揶揄して、風貌が太った体型でだらりとした長髪であったことも共通していたため、“歌舞伎”を“義太夫”と洒落て命名された。

『シークレット・ポリス』時代は、楽曲『浅草キッド』の制作時にたけしにアドバイザーとして関わり、またライブアルバム『野戦病院〜ビートたけし&たけし軍団ライブ』(1985年7月5日発売)収録の楽曲『バラード』の作詞作曲を行っており、陰のたけしの音楽ブレーンとしての存在面があった。ただしこれらの印税は太田プロサイドの判断で本人には振り込まれていない。

その後たけしらとともに雑誌社フライデー襲撃事件にも参加した。その際、消火器を持って大暴れし、「たけし軍団の弁慶」とネタにされた。

若い頃は力士と見紛う程の大兵肥満であり、力士お断りを標榜する食べ放題の焼肉店で、帽子を被った姿を変装した力士と主人に間違われて追い返されそうになったことがある[2][3]

一時期、顔が麻原彰晃に似ていたため「麻原彰晃の弟ではないか」と都市伝説になったこともある。

無類の好きである。元 小結國登國生は叔父にあたる。

ミュージシャン活動としては 1992年にたけしと宮沢りえが共演したエースコックスーパーカップのCMソングの作詞、作曲を担当した。その他にも細川ふみえ『ポチにやつあたり』、中條かな子『ことばさがして』、日髙のり子『十年後の私』などを作曲した。また北野ファンクラブの人気コーナー『亀有ブラザーズ』ではギター演奏を担当した。

近年は蜷川幸雄演出作品の常連。コメディ・リリーフとして重宝されている。2006年、『タイタス・アンドロニカス』の再演では、イギリスロイヤル・シェイクスピア・シアターでの公演も経験。道化役を演じ、観客の爆笑を取っていた。

事務所の後輩マキタスポーツのバンド『マキタ学級』のサポートギタリストでもあり、そのブルージーなギターサウンドはファンも多い。アルバム『金もうけ』では、スケジュールの関係でレコーディングにあまり参加出来ず、コーラスと『NEWS』という曲のギターのみとなっている。

2002年に長年の同棲相手と結婚したが、2006年に離婚している。

2009年6月、自らの糖尿病生活を綴ったエッセイ「糖尿だよ、おっ母さん!」を発表。

現在は週3回の人工透析が欠かせない状態であるが、舞台出演のほか、落語、ギター漫談にも取り組んでおり、現在はボーイズバラエティ協会に入会し、同協会の浅草東洋館での定席にも上がっている[4]

たけしが大会最高顧問を担当する「THE MANZAI2014」では、オープニングで、ドラム演奏を披露している。

出演作品

テレビ番組

  • オールスター後夜祭(2019年4月7日[5]、TBS)-『第3回 赤坂5丁目 Qカット選手権』で優勝し、賞金5万円を獲得した。

ラジオ番組

映画

Vシネマ

  • 虎狼の大義(2013年) - 遠藤 役

舞台

コンピュータゲーム

著書

受賞

脚注

  1. ^ グレート義太夫のプロフィール”. グレート義太夫オフィシャルブログ 糖尿ちょっとチョコ喰う. 2014年10月4日閲覧。
  2. ^ 食い放題の焼き肉で相撲取りに間違えられたグレート義太夫(1/2ページ) 日刊ゲンダイDIGITAL 2020/09/27 06:00 (2021年2月6日閲覧)
  3. ^ 食い放題の焼き肉で相撲取りに間違えられたグレート義太夫(2/2ページ) 日刊ゲンダイDIGITAL 2020/09/27 06:00 (2021年2月6日閲覧)
  4. ^ グレート義太夫(ギター漫談) - ボーイズバラエティ協会公式プロフィール
  5. ^ Inc, Natasha. “有吉MC「オールスター後夜祭'19春」あかつ、コウメ、ジョイマン、ザコシ集結”. お笑いナタリー. 2019年4月10日閲覧。
  6. ^ Inc, Natasha (2019年2月25日). “【イベントレポート】マッハ&霜降りが演芸新人賞、日本芸能大賞の鶴瓶はたけしに「同世代でうれしい」(写真14枚)”. お笑いナタリー. 2019年2月25日閲覧。

外部リンク